ダニエル(娘のボーイフレンド)に日本人の血が流れている、というので、その日本人について、直接ダニエルに聞いてみました。
「ひいおじいさんの名前はなんていうの」
「おじいさんに聞いたところでは、彼のお母さんが、日本人のハーフなんだそうです。日本人の名前はわかりません」
っていうことは、彼のおじいさんのお母さんの父親が日本人? ダニエルは、4世じゃなくて、5世か。
何年生まれなんだろう。
私は、最初話を聞いたとき、その日本人が、太平洋戦争当時フィリピンにやってきた軍人だと思っていました。けれども、それだとちょっと年代が合わない。
それで、ネットを調べてみました。
どうも、フィリピンにはかなり多くの日本人が移民していたようなのです。(リンク)
フィリピンは、1565年から1899年までスペインに支配されていましたが、1899年以降、米西戦争に勝利したアメリカがフィリピンを手に入れました。
そして、冷涼なバギオを避暑地にしようと、マニラとバギオを結ぶ道路建設を計画、当初は中国人やフィリピン人が工事に動員されましたが、工事は難航。
米国は、ハワイの開拓で実績のある日本人の移民導入を思いつきます。
1903年から導入された日本人移民は期待通りの働きを見せ、道路は1905年に完工。その後日本人移民は、現地で農業を営み、日本人社会を築きました。
日本人とその子孫(日系フィリピン人)は現地で尊敬を集め、日系人社会は発展しましたが、太平洋戦争が彼らの環境を激変させます。
日本軍の侵攻後、日系人も戦争協力を強いられ、隣人・親せき・同僚であったフィリピン人と敵対することになったのです。
多くの日系人が戦争で亡くなり、生き延びた人々も戦後強制送還されました。配偶者とその子供たちはフィリピンに残されました。
しかし、戦中の残虐行為などが理由で、反日感情が強く、日系2世たちは日本人であることを隠し、名前をフィリピン名に変え、貧困のなか、かろうじて生き延びたということです。
きっと、バギオに住むダニエルの5代前の日本人は、このような激動の人生を送った人々の一人と思われます。
2世は今や高齢。彼らを支援する組織も複数立ち上がっているようです。
フィリピンの歴史について、もっと知りたくなりました。
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