コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

ニーズがあれば…(応機)

2018-12-23 00:45:34 | お礼参り

放浪の旅からちょっと横道
というか、本来自分の思いと出会うことが目的の旅なので本筋と言っても良いかも

1日目の”出会い”を通じて、私の中の思いが言語化できてきたこと
テーマ的な言葉で言えば「ニーズに合う」とうこと


縁あって浄土真宗に出会い、私自身が悟っていく道で重要だったことは「後生の一大事」ということ
私の知識や認知力を超えたところで、私の行く末を案じてくださる存在がある
それは、今現在生きている世界(今生)でのあれやこれやなどとは比べ物にならない苦の世界であり、そこから解脱することで得られる悟りの世界
なので、「今生の大事に右往左往するな」と

このこと自体は「まこと」であり、ぬかすことはできない
そして、このことの「純粋性」を大事にする法座に当たり前に接していたことで、ここから逸脱することは考えられなかった

自分自身にも枠ができ、相手にも枠を示す…時には押し付ける
だって、「まこと」なのだから

また、浄土真宗というカテゴリーにありながら、この「まこと」の純粋性から外れる教団やお寺の現状に憂いを感じていた
「なぜ、純粋に後生のことを問わないのか?」と

しかし、カウンセリングにも触れるうちに変かが起こった
いくら「まこと」を大事にしていても、目の前で関わるのは「人間」という存在同士であり、それは「目の前の出来事に右往左往する愛しい存在」であるということ

さらに「受容」ということを重んじるならば、その右往左往を、その苦悩をそのまま受け入れることの是非が問われる

純粋性や「まこと」を押し出して、「いまそこにいるあなた」を切りつけてよいものか

あるひとは、先祖の供養が大問題で宗教に触れているだろう
あるひとは、占いやまじないの結果に心の安定を求めているだろう
あるひとは、癒しやヒーリングで苦しみを軽減しているだろう
あるひとは、今晩の食い扶持に困って腹の足しにならない説教なんて見向きもしないだろう

そんなことが「後生の一大事」に関係ないからといって切り捨てられても、責めることではない
「あなたはそうなんですね」と受容する

振り返れば、弥陀の誓願は「あまねく衆生を救う」というもの
それを「救うというのだから何もせずにお任せ」となると少し違ってくるのだが、受容という点ではこちらの「ありよう」を超えて、「今欲するもの」を超えて、願い、誓ってくださっている


と、話がまとまりにくくなってきたが、大元が「受容」の塊なのだから、人間同士の関わりにおいて「純粋性」だけを是としなくともよい
弱い弱い人間という存在同士で、供養であろうが癒しであろうが、「いまここのあなた」が求めるものに応じて接する

ニーズがあるのならば、供養を大事にする集まりであっても、癒しを与える集いであっても、一宿一飯を与える場であってもいいじゃないか、と

 

かたくなに「まこと」だけにそぎ落とされた集まりも、ニーズがあるならそれでよし
「まこと」なんて思いが至らなくても、目の前の関わりとしてゆったりお茶を飲んでいてもよし

もちろん、どっちかに決めなくとも、その時その場所、その時の仲間で、右に行こうが左に行こうがよし


まぁ、このよしあしってのも所詮私のものさしの範囲ですけどね


お礼参りツアー 2018秋 その3

2018-12-18 18:34:58 | お礼参り

 

今回の放浪、最初の目的地である名古屋の西念寺さんへ
昔の友人が夫婦となり、いま僧侶夫妻として居られるお寺

この西念寺というお寺自体には初めてのお参りだし、何の思い入れもない
でも、ご縁のあるお二人が居られる場であり、今という時でもある

ちょっと入り口に迷いながらも、門をくぐった瞬間に出会うご住職、そしてすぐに迎えに来てくださったお連れ合い様
本堂の写真も撮るのを忘れて、招かれるまま本堂へ
懐かしいお二人のお顔を拝見しながら、阿弥陀様にお参り

ようこそ、この二人を迎えてくださいました、と


このお二人とは、学生として京都に居られたときのご縁
私が参加していた法座にお参りされ、熱心に求めておられた
その彼らが、僧籍を習得し、お寺を護り、御法の相続をされている
じつに尊いことであり、そのことが今の私を投影して「さて、私は?」と問いかけをくださる

最近の出来事や昔話を行ったり来たりしながら、至福の時間

かつて、彼らを含む学生世代が熱心に「真宗カウンセリング」を学び、熱く語っていた影響を受け、私も真宗カウンセリングを学びだした
そう、大事な先輩でもある


私自身は、歳を重ね、熱く関わるエネルギーが尽きてきている
対して、彼らは今まさに、どんどん学び、新たなものを吸収し、新たな出会いを通じ、「法脈」を”今”に則した形で伝えてくれている

羨ましさを感じながら、そおういう彼らと触れることで今の私が味わっている「(悟りの)境地」に思いを馳せ、そのことを言葉にすることができた


ほんのわずかな時間
しかし、今の私にとても必要だった時間


しあわせそうなネコの姿にも、言語は人間同士でしか伝わらないけど、言語を越えた何かが彼らから伝えられているんだろうなと感じた


そうやって気ついたり、深まった味わいについてはまた改めて


お礼参りツアー 2018秋 その2

2018-12-14 20:56:51 | お礼参り



津島を後にして目的のお寺へ…

の前にもう一つ寄り道

「京介」といういかにもな名前をもらいながら、実は私名古屋生まれ
途中岐阜大垣を挟みつつ、幼稚園卒園までは名古屋人でした

で、産まれた地は記憶にないのですが、幼稚園時代を過ごした場所はおぼろげに記憶がある

とうことで、「又穂団地」に立ち寄りました
近頃のナビは便利ですね

よく考えてみると、幼稚園時代から50年!!!
地名はありましたが果たしてどうなっているのか
思い出は甦るのか

ちゃんとありました~(T_T)
当然、改修や塗り替えなどはあるんでしょうが、イメージはそのままです

住んでいたのは2号館


確か廊下の端から名古屋城が見えてた記憶があるんですが…
外に出れなかったので確認できませんでした

そしてなにより記憶をワサワサさせたのは公園
半分テニスコートになってましたが、記憶にある遊具があります

この砂場の壁にある穴から顔出して他の覚えてます
なぜか、子どものころの妹の顔が思い浮かんできました

この滑り台、前かがみで階段登って、登り切って安心して体を起こしたら毎回このアーチで頭ぶつけてたの思い出します
きっとそのせいで頭が悪くなったんだと思ってます


テニスコートのあたりは広場でした
NHK教育の「手をつなごう」というコーナーが収録に来てて、私も参加
でもオープニングの歌の時こけて、泣きながら部屋に帰りました
オープニング映像は団地屋上から俯瞰で撮ってたんですが、一人だけ輪から走って逃げてく私が映っていたのを鮮明に思いだします

団地の横に床屋がありました
帰りに飴とかキャンディーくれたの覚えてます
お店は残ってたけど、営業してる気配はなし

その横には駄菓子屋があり、夏の暑いときに「キャンディー」買ってきてと言われ、ミルキーを買って帰ったら「頼んだんわアイスキャンディーや」と怒られたのを覚えています
思えば5歳のころからオヤジには萎縮の勧請しか残っていないことを今思い出しました

 

団地を後にして、通ってた幼稚園へ
「金城幼稚園」
さすがにうろうろして中を覗いたら不審者に思われるので、向かい側に車を停めて
門柱に乗ってる人形、なんとなく覚えがある気が…
でも、幼稚園自体はあんまり覚えてないですね

名古屋時代、当たり前だと思っていて、京都に行ったら当たり前じゃなかったこと
「幽霊城のドボチョン一家」を誰も知らなかったこと
「シロ・クロ・マッチャ・アズキ・コーヒー・ユズ・サクラ~」と歌ってもだれも反応してくれなかったこと

覚えてないこと
私も、ナモ とか ダギャー とか言ってたんだろうか???

 

50年ぶりの地
結構おもいでの刺激を受けました


お礼参りツアー 2018秋 その1

2018-12-10 09:42:46 | お礼参り



最初の目的地は名古屋のお寺

の前に、せっかくゆっくり放浪をするのだから回り道
ただ目的地に移動するのじゃなく、いろいろと思いを馳せながら

ということで、早めに高速を降りて津島へ

ここは大恩あるAさんの居られる地
いろいろあって袂を分かったが、それで恩が消えるわけではない

まだ仏教・真宗についてなにも知らなかったころ
ただ好きあった相手が寺の娘だったというだけで、宗教を”理解”したいと思った
いや実際は、宗教で悩んでいた彼女を、宗教の呪縛から解き放つために飛び込んだという方が正しい
そうして初めて参加した法座にAさんがいた

いまでも思い出せる光景

法座のあとの懇親会で
「お酒の場は楽しみましょうよ」という人を相手に
「なにいってんの、お酒呑むから本音で話せるんじゃない」と、熱く語るAさん
宗教的な話題の中身はちんぷんかんぷんだったが、その”熱”は理解できた
いや、理解を越えて、熱にほだされていた
周りはどんどん寝ていくが、この二人の問答はお酒が尽きても終わらない

何かわからないが、眼を放してはいけない場にいる

私も朝まで二人を観ていた

今の私の感覚でその時に起こっていたことを述べることもできるだろうが、それはやめておく

私の宗教観がどう変遷しようと、その日のそのひと時がなければ今はないってのは確か


おうちも数度お邪魔したが、もう何十年も前なので住所地に行ってもわからなかった
なので、名前は知っていたが訪れたことのなかった津島神社で紅葉を楽しんで次の地へ向かった



お礼参りツアー 2018秋 序章

2018-12-07 11:51:40 | お礼参り

ここ数年実現できているお礼参りツアー
私にとっての「終活」
二つの流れがあって、一つはお世話になった方々(人だけでなく諸仏も含む)を通じて、今までと今を振り返る旅
もう一つはずっと苦労をかけてきた家族へのお礼

もちろん、両方兼ね備えてる場合もある

きっかけは心身の不調
「死」が身近になり、観たいものも見れず、行きたくとも動けずってのを感じる
そうすると、ますますいままでのご縁がありがたくなる

同時にいろいろ引き受けてきたものを手放すことで時間が取れるようになった
自分や連れ合いとのことに時間を向けられる

こう思うようになって何か所か巡ることができた
最初は連れ合いと休みが合う週末に日帰りで行けるところ

お世話になった方々や「念仏碑」に思いをはせるべく、兵庫県日高の地を出石や城崎温泉をかねて

私にとっての法脈の大きな師、伊藤康善先生のお寺や活躍された道場を巡り、法隆寺へもお参り(ほんとうは宇陀の方の恩師のお寺も計画してたけど時間切れ)

夏休みなどは宿泊も兼ねて、私は仕事でよく行ったけど連れ合いはあまり行ったことのなかった四国一周とか
今年の夏はPTAでお世話になった地でもある仙台から東北へも

今回、仕事の関係でまとまった休みが取れたけど、平日でもあり連れ合いは忙しい時期だったので「ひとり放浪旅」を敢行

仕事や法座への参加以外でひとりで宿泊を伴う旅なんてなかったなぁ…と気が付いた


テーマは。お世話になった人々と地を巡り、思いを馳せる旅
まさにお礼参りだった

愛知から岐阜、富山に抜ける国道41号線ツアー2泊3日の旅
いろんな方にお世話になりました


お礼参りツアー2018 観光編 3

2018-09-12 20:13:45 | お礼参り

3日目

この日は宮沢賢治を巡る旅を中心に

彼の作品に現れる死生観、その繊細な部分に触れることができれば、と。
連れ合いにとっても、仕事に大いに関わる体験として

前日、宿にしたのは北上市
ここに宮沢賢治ゆかりの碑が数か所あるというので、朝から巡ってみる
案内サイトにあった公園に行くが…それらしきものは見当たらない
他の数か所も観光地図頼りに行くが…

ということで、断念してメインの花巻市へ

まずは「宮沢賢治童話村」

メインの「賢治の学校」ではファンタジックな世界を体感的に

視覚的に色々仕掛けがあるので、視覚に問題のある私にはかなり足元が危うい。が、それが妙な浮遊感になって面白かった
ログハウスを巡る「賢治の教室」では、テーマに沿って「研究者宮沢賢治」の世界を
そのほかも自然あふれるスペースになっているのでのんびり過ごせた

 

次は「山猫軒」で昼食

ご存じ「注文の多い料理店」だ
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」という看板に迎えられて入る


案の定観光客で混んでおり、待っている間は土産物に目が行ってしまうという(笑)
そして入り口にはしっかりと、「クリームの壺」「塩の壺」が用意されるという徹底ぶり

そして「宮沢賢治記念館」へ
こちらは子どもが楽しめる「童話館」とは違い、かなり硬派な展示が中心
様々な作品の背景が楽しめる

私が宮沢賢治に深く触れたのは、これまた漫画の影響
少年誌に連載されていた「六三四の剣」が岩手が舞台で、たびたび宮沢賢治の詩に触れていた
メインはライバルである「修羅」に関わる「春と修羅」の一説



そしてもう一つは主人公の「六三四」が授業で触れたときに「なぜか涙が止まらない」となった「永訣の朝」
「めゆじゆとてちてけんじや」の一説は私の脳裏にも深く刻まれたフレーズだった

今回、展示の中にはもちろんこの部分も掲示されていた
今の私には、この詩は亡き妹にも通じるもので、様々な思いと共に立ちすくんでいた

妹が息を引き取る朝、その前の夜から私は病院に付き添っていた
呼吸器をつけながら一生懸命何かを伝えようとしていた妹
結局聞き取ることはできなかった
聞き取ろうとする努力をしなかった
そのまま、朝、妹は息を引き取った
私にとっては逃れようのない体験だ

   けふのうちに

   とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

   みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から

   みぞれはびちよびちよふつてくる

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた

   これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に

   おまへがたべるあめゆきをとらうとして

   わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

   このくらいみぞれのなかに飛びだした

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

   みぞれはびちよびちよ沈んでくる

   ああとし子

   死ぬといふいまごろになつて

   わたくしをいつしやうあかるくするために

   こんなさつぱりした雪のひとわんを

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

   わたくしもまつすぐにすすんでいくから

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

   おまへはわたくしにたのんだのだ

    銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

   そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

   …ふたきれのみかげせきざいに

   みぞれはさびしくたまつてゐる

   わたくしはそのうへにあぶなくたち

   雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち

   すきとほるつめたい雫にみちた

   このつややかな松のえだから

   わたくしのやさしいいもうとの

   さいごのたべものをもらつていかう

   わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

   みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

   もうけふおまへはわかれてしまふ

   (Ora Orade Shitori egumo)

   ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

   あぁあのとざされた病室の

   くらいびやうぶやかやのなかに

   やさしくあをじろく燃えてゐる

   わたくしのけなげないもうとよ

   この雪はどこをえらばうにも

   あんまりどこもまつしろなのだ

   あんなおそろしいみだれたそらから

   このうつくしい雪がきたのだ

      (うまれでくるたて

       こんどはこたにわりやのごとばかりで

       くるしまなあよにうまれてくる)

   おまへがたべるこのふたわんのゆきに

   わたくしはいまこころからいのる

   どうかこれが天上のアイスクリームになつて

   おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ



宮沢賢治は、祖父が真宗門徒で、様々な先生を招いて子どもらにも法座を開いていたようだ
なので、彼の中に真宗的な思想が垣間見える
その後、真宗を否定して他宗にも傾倒しているようだが、私にとっては底はどうでもよく、彼の「生命」への感じ方…それは当然「死」を見つめるまなざしに心惹かれているのだろう

 

 


お礼参りツアー2018 観光編 2

2018-09-08 13:38:29 | お礼参り

仙台泊のあと、ここも仙台には何回も来ながら立ち寄れなかった青葉城へ

 

メインは伊達政宗だけど、連れ合いは芭蕉の歌碑がお目当て
観光的には城のあった場所からの眺めと、伊達政宗像で終わりだろうけど芭蕉碑を求めて公園一帯を登ったり、降りたり


朝8時ごろからうろうろして、先にレポートした荒浜地区へ

仙台を後にして、これも連れ合いリクエストの奥州平泉へ
今生に「お浄土」を表そうとして作られた地と聞いていたので私も興味津々
帰省の渋滞もあり、大幅に予定が遅れて到着
一日かけてゆっくりめぐるはずが、各寺院の閉園時間までわずか

そこでまずは芭蕉の歌碑と義経ゆかりの「高館義経堂」へ

 

最近連載されていた「ジパング深層海流」という漫画で興味がわいていた地


義経堂のあたりから見下ろす平泉の景色は、漫画であらわされていたものをほうふつさせる、山と河の風景

続いて「中尊寺」
有名な金色堂へ
藤原氏の話も先の漫画で興味があった


普通のお仏壇でも「お浄土」から回向されるように装飾されているが、このすべて金色に輝く姿は少しでもお浄土に近づけようとする、ある意味人間の浅はかな思いが形になったものと感じる
そう、お浄土も諸仏も、色もなければ形も匂いもない
想像の及ばない世界
それを人間の想像の限界であらわそうとしているだけ

と同時に権力の象徴でもあったんだろうな

この二か所が、ともに高台にあったため上り下りだけで時間と体力を消費
もう一か所、池を中心にお浄土を表した庭園のある「毛越寺」を予定してたけどタイムオーバー
残念


お礼参りツアー2018 観光編 1

2018-09-08 12:22:39 | お礼参り

 

さて、この「お礼参り」には、長いこと仕事やPTAで家族サービスしてこなかったことへのお詫びの意味も

で、今回は連れ合いのリクエストで東北に行くことを先に決め、それならば、と震災の地を訪れた

ということで、間に観光スポットも訪問させていただいた

1日目、石巻市では「石ノ森記念館」
私の世代だと、サイボーグ009や仮面ライダーはどストライクだし、キカイダーやイナズマンなど、テレビでも漫画でも楽しんできた
なので、ここの展示は宝の山だ

今の子どもらにも楽しんでもらえるように、歴代の仮面ライダーマスクが原寸大で展示され圧巻だった

でも、やっぱ1号や2号が石ノ森ライダーだなぁ、と。

ここから仙台に戻る途中では松島へ
事前に調べて、島々が一望できるところをナビ登録したのだが…
着いたのは山の中でぜんぜん景色が開けていないところ
なので写真はなしで、移動中に海と島の景色を堪能

仙台市に戻って、PTAフェスティバルでお世話になった公園へ
もう暗くなっていたので歩いただけだが、いつもブースだらけの景色だったんで何もないとちょっと寂しい
そこから、いつも昼食に寄っていた牛タンの店に向かうが…なくなってた?
道を間違えたのかな(T_T)
宿のチェックイン時間もあったんで、牛タンは断念


お礼参りツアー2018 2日目 仙台市

2018-08-29 18:03:39 | お礼参り

1日目にここも訪れるつもりだったが、途中石ノ森記念館や松島など、以前の訪問では立ち寄れなかった観光名所も寄ったため、あわてて観るよりは…と翌日に訪れることにした荒浜小学校

6年前は仙台市教育委員会さんや仙台市PTAのご厚意もあって中を見学させていただいた
また4年前は同行した京都の仲間を前まで案内したが、中には入れなかった

今回、荒浜小学校は「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」として、一般見学者を受け入れる施設となっていた


外観はそのままで、波がきた位置を知らせるボードや部屋の名前、そして「閉校記念碑」が増えていた

裏側に回るとエレベーターが設置されており、屋上や各階に回れる

まずは屋上
そこから見える風景は6年前と変わっていない
がれきは撤去されているが、海までの更地、街があった周辺の更地が広がる
少し変わったのは電線が引き込まれ、この施設や周辺の施設に電気が通っていること

階段を降りて4階へ
ここは当時地域の方が避難されていた場所

黒板や掲示物は当時の様子を残しながら、在りし日の地域のジオラマが設置され、窓の外に広がる景色と比べることができる
語り部(教育委員会の方?)の方がいろいろと説明してくださる

6年前に訪れたことや、校長先生から直々にお話しいただいたことをお伝えすると
「隣の部屋で校長先生がたのお話が聞けるドキュメンタリーを放映してますよ」と教えていただいた

当時の報道などでも見ることができなかった、救助ヘリが撮影した映像と生々しい会話、学校や地域の方のお話が入れ替わりで続く
息をのむ時間とはこういう時間だと思う

今は壊されているが、6年前に案内していただいた体育館にあった時計もここに展示されている

時が止まったその針が示すのは・・・

3階は閉鎖されているが、2階・1階は被災にあった一部の教室が残されている
中には入れないが、廊下からのぞくことはできた

その廊下にも「ここまで水が来たから壁の色が違う」とわかる処が数か所あった

おそらく、前日に無理に来ていても閉館時間でこうやって見ることはできなかっただろう


学校を後にして、海沿いの慰霊碑へ
ここも4年前に訪れているが、いくつか新しいモニュメントも増えていた
また堤防がきれいになっていて、そこまで行けるようになっていた

きれいで静かな海
夏の日差し


本当なら海水浴客でにぎわっている場所だったろう



「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」のHPはこちら


お礼参りツアー2018 1日目-2 石巻市

2018-08-21 20:01:10 | お礼参り

以前来たときは、女川町から石巻に向かう途中で「復興商店街」に立ち寄ったが、「希望の鐘商店街」は駅前に移設されていたので、そのまま石巻まで戻る

ナビをセットすると街中を通るルートが早いようだが、海沿いの道をできるだけ通って日和山へ

海沿いの道は、かさ上げ工事の最中だった
道を高台にすると同時に、防波堤の役目を持たせる
いくつか残っていて稼働している工場はあるけれど、海沿いの工業地帯はまだほとんど更地のまま

日和山からはその様子がよく見える

一方少し内陸の川沿いはかなり建物が増えている印象だった

川の中州には石ノ森章太郎の記念館
ここはすでに復興して稼働している

他の観光客にボランティアさんが説明していたので、横で一緒に聞かせていただいた
公園に掲示された震災前の写真パネル、今、目前にある風景

変わったところと変わらないところ

高速道路に向かう道、仮設住宅が延々と続く地域はまだ残っていた
が、おそらくまだそこで生活してる方は少ないように思えた

以前は散見した、街中にある「1階が無くなっている家」も撤去や建て替えでほとんど見られない

壊れたままだったアーケードもきれいになっていた

でも、やはり、まだ終わっていないと痛感する