コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー2018 1日目 女川町

2018-08-20 23:30:10 | お礼参り


今年の夏休みも、連れ合いと予定を合わせ旅行に行くことができた
車で遠出もこれが最後かもしれないので以前から連れ合いのリクエストを聞いいていた「平泉、花巻」を選択
それならば仙台に宿を取って、1日目は被災地の今を体感しに行こうということに

木曜日、連れ合いの仕事が終わるのを待ちなんだかんだ準備をして出発
帰省ラッシュの可能性がある関東ルートを避け、慣れ親しんだ北陸周りで
慣れてるとはいえ、何度も走った上越まででまだ半分
途中、こまめに休憩を取りながら約1000kmの移動


まずは、4年ぶりに、これまで2回訪れた女川町へ
町に向かう途中、以前は被災したままだった鉄道の線路はきれいに修復されていた
旧市街地に出る直前で散見された、基礎だけになった宅地も整備されていた
町に入ると、道路のあちこちは工事の障壁で道が入り組んでいる
おかげで、道を間違えて見えている目的地になかなか着かない


まずは旧医療センターへ
ここから被災した海側が一望できるが、ここは更地のまま
ただ、以前はあった倒壊したビルもきれいに撤去されていた

駅側を望むと、ずいぶん復興している
電車が通るようになり、駅周辺に多くの建物が

そこには新たな慰霊碑も立っていた
「いのちの石碑プロジェクト」のひとつ

医療センターをあとにし、途中駅前を通り、避難場所となっていた運動公園へ

途中に建設中の役所もあった
仮設住宅はほとんどなく、テニスコートが復活したり、マンションになったりしていた

ついで女川中学校へ
ふたたびここの石碑に向き合う
この高さまで水が襲っていた事実に改めて畏怖を覚える

以前がれき置き場だった道から戻ろうとしたが、ここは関係車両以外立ち入り禁止になっていた

駅前が復興していたので、見学
「START ONAGAWA」の旗が迎えてくれた

 


ここは依然訪れた「希望の鐘 復興商店街」が移設されたようだ
希望の鐘もあらたに設置され、キレイな駅前広場になっている

ただ、以前復興商店街にあったような小さなお店がどのくらいここに参加出来ているのか、少し心に引っかかった

ともあれ、駅を通じて、地元の方や訪れる方でにぎわっているのは良いことだ

 

ひとつ気になったのは、復興に際して、道を高くして防波の役割を持たせるという話を以前聴いていたのだが、それは進んでいないまま駅前が整備されていること
もちろん、役場の再興など予算の順番もあるだろうが
(あとで訪れた石巻や仙台はまずその道を高くする工事がされていたようだし)

 

ここまで変化したことが素敵なのはもちろんだが、まだまだ復興は途上だと感じた

忘れてはならない

ということと、私の言葉や写真だけで分かったつもりにならず、機会があればみなさんもぜひ自らの目で五感で触れていただきたい


お礼参りツアー2018 序章

2018-08-18 10:23:06 | お礼参り

今年の春でひと段落ついたPTA活動
長くやらせていただきました
振り返ってみると、自分の学校や地域での活動がベースの活動だけだと思っていたものが、ある契機で全く違う視点を持つことになりました
それが東北大震災とその被災児童たちに対する活動
同じ「保護者」として何ができるのか

一区切りのこの夏、再び東北を訪れさせていただくことができました

「東北のことを忘れない」

以前から変わったところ、変わってないところを肌で感じてきました

昔のように長時間のPC作業ができないので、とぎれとぎれの投稿になりますが

まずは、これまでを振り返ってみます

小学校のPTA会長を引き受けたのが2011年、同時に区の理事校になっていたので区の代表として小P連の理事会に参加し、様々な研修などの機会をいただく

そんな研修の一つで、仙台を訪問された方々の話を聞かせていただいた

「遠いところでのお話」(2011年)

自分の学校の会長は続けても、理事の活動は任期の一年だけのつもりだったが、魅力的な方々の集まりに感化され、また日P全国大会の京都大会が迫っていたこともあり翌年も小P連に関わらせていただいた
そして、この年に京都のPTA代表として仙台PTAフェスティバルのお手伝いに同行させていただいた
そして、前年は話でしかなかった被災地を肌で感じた
6年前のこと


「仙台訪問(PTAフェスティバル)1」(2012年)

「仙台訪問(PTAフェスティバル)2」

「仙台訪問(PTAフェスティバル)3」

 

翌年は別の用事のため、夜に仙台入り

被災地訪問された方々と合流して、PTAフェスティバルだけのお手伝い
でも、そこに訪れる人を通して被災後に触れることができた

「仙台PTAフェスティバル 2013」(2013年)

翌年はPTAフェスティバル前日から訪問
この参加は京都市のPTAから予算を捻出していただいての訪問
私の力不足で諸事情から、毎年熱意をもって仙台や他地区のPTAさんと絆をつないでこられた先輩が参加できなくなり、私が唯一の参加経験者となった
ということで、私が同行した皆さんをご案内

「仙台訪問2014」(2014年)

「仙台訪問2014 その2」

そしてこの年を最後に、京都市PTAとしての仙台PTAフェスティバル参加は終わる
予算的な面もあるので仕方ないし、最初に被災地と関わって、熱く活動されていた先輩方が現役を離れ、顔ぶれも(考え方も)変わった
当時を知る私に力があり、先輩方のように熱意を伝えられれば何かが変わったかもしれないが、そういうキャラではなかったし、なにより力不足だった
立場も変わってしまったし

なので、何らかの形でこうして細々伝えるのが精いっぱい

しかし、この夏、少しまとまった休みが夫婦で合わせられたので、東北の旅行を提案してみた
連れ合いが活きたかった場所を絡めて、宮城も訪問させていただくことにした

ということで、まずは前置き
次回から今の被災地を報告させていただきたい

 


お礼参り<ルーツを巡る旅>2 當専寺編

2017-06-16 17:34:46 | お礼参り

6/11

休みの日、思い立って出かけるとき、いろいろご縁のある所を巡りたくなる。

行きたいところは山ほどあれど、いつまであるかわからぬ命

いつまで見えるかわからぬ光

 

この日は奈良方面に行きたいと決めていた。

最初の目的地は葛城市方面

が、途中で「斑鳩」の標識を見つけ、連れ合いと「法隆寺行ってみようか」と。

実は中まで行ったことがなかった。

 

聖徳太子ゆかりのお寺

これはこれで、私にご縁がつながっている仏教として大事なルーツになる。

でも、そのお徳を知るほど事前勉強せずに行ったんで…

現地の観光ボランティアさんにいろいろ教えてもらいながらゆるりと

 

で、昼食挟んで3時間ほど滞在し、当初の目的地へ

 

「それは日和の好い三月下旬の午後であつた。
 私は東山の将軍塚に立つて、
 松林の間から隠見する京都の風光を眺めてゐた。」

こう始まる本を何度読み返したことだろうか

求道物語「佛敵」

その著者である 伊藤康善師のお寺である。

 

直接師事したわけではないが、師の流れをくむところで長く聴聞させていただいた。

私の真宗を通じていただいた「領解(りょうげ)」は、師の存在なくしてはなかった。

師がいるわけでもなく、また今のお寺の伽藍に用があるわけでもなく、でも、少しでもお礼の旅をするうえで、もう一度訪ねておきたかった。

過去にも数度お参りさせていただいたが、イメージで残っているのより周囲がきれいな街並みになっておいた。

師が歩き回ったであろう、大和の山々に囲まれた地

目に映るもの、耳に聞こえる音、肌に感じる風

ありがとうございました

青く熱かった私自身の求道時代を振り返り、師の残した言葉に何を感じ、何を理解するか、そんなところにばかり力が入っていた次代を振り返りました。

師のような伝道の道からは遠くにいますが、いろいろな縁を通じて法脈は私を貫いています。

 

このあと、カウンセリングの師もめぐる予定でしたが、無理せず、その分この地をゆっくりと味わいました。

 

またいつか…

は、もうないかな。

 


お礼参り<ルーツを巡る旅>1 日高念仏碑編

2016-11-23 18:34:18 | お礼参り

休みの日、思い立って出かけるとき、いろいろご縁のある所を巡りたくなる。

行きたいところは山ほどあれど、いつまであるかわからぬ命

いつまで見えるかわからぬ光


少し前から連れ合いと相談して、休みの日に余裕があれば「江原」に行きたいと話していた。
目的は、過去にご縁があって協力させていただいた「念仏碑」にもう一度お参りしておきたかったから

深夜に出発し、朝から城崎温泉を訪れ、出石そばをいただいてから目的地へ。

この念仏碑を今の場所に移設される際に、T本さんから「念仏碑のおいわれ」を作成する依頼を受けた。
もともとお世話になっていたT本さんのお話、二つ返事で引き受けた。
当時は私の持っている加工機械のキャパが少なく、6枚に分けての制作、今ならもっときれいに一枚の大理石板で仕上げられたけど。


この念仏碑の法要がある日、T本さんのおうちに泊まらせていただき、二日間の法座にもお参りさせていただいた。
法座でも多くの方とともに仏法讃談していたが、夜に二人きりでお話ししたときのT本さんの鋭い眼光と口調は今も忘れない。
大きなお育てをいただいた。

この地には、他にも私が運営委員長を引き受ける際に、導いてくださった先輩S田さんや、エネルギッシュな活動をされながら若くしてお浄土へ還られたU田さんも居られた。
そんな先達にも思いをはせながら、念仏碑のお掃除をさせていただいた。

そういう時間こそが、わたしにとってご法座だと感じながら。


一緒に行った連れ合いは、偶然この日に行われていた日高の家庭法座に招いていただき、帰りは二人でお互いの法味を語りながら。

 

お礼参りであり、ルーツを巡る旅であり・・・
それは今の自分を見つめる時間でもある