コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

息子たちのこと(ほめられて伸びる)

2010-10-25 23:07:54 | 親子コミュニケーション

長男が夏休みに写生大会で書いた絵が「京都新聞社賞」を受賞した。
 
「東寺」というお寺があるんだけど、毎年そこで開かれているもの。
ほかにも「市長賞」とか「校長会賞」とかいろいろあるから、どれが天辺かはわからないけれど…
今は区役所に展示してあって、各賞には佳作や入選ってのがあるから、選考者が3枚ほど選んで決めるんだろうけど、「京都新聞社賞」だけは、佳作も入選もなし。
ってことは、京都新聞の選考担当者が一発で惚れてくれたってことか。
区役所には一緒に写生大会に参加した次男の絵も飾ってある。


他の絵を見ると、しっかりと全体像を枠内に収めて、整えている。
わが息子にはそういう発想はないのかも。
でもその分、目に映る”今”をしっかり切り取ったものになっているのかもしれない。

11月に東寺である、地域の「ふれあい祭り」にて表彰式があるらしい。

さらに、学校で書いた絵が来月に京都市美術館で展示されるらしい。
こちらは「第48回全市子ども会(自由画)美術展」ってやつ。
学校から何人かが選ばれてるんだろうなぁ。


じつは、私が見る限り、あまり写実的ではないと思う。
絵心のない私は 「写実的」=上手 って意識があるからなぁ。
息子は、むしろ枠にはまらず、大胆な絵を描く。
で、保育園時代、みんなとちょっと違う雰囲気で描かれる息子の絵を、保育士の先生が良くほめてくれた。
ほめてほめて育ててくれた。
そのことで息子は絵が好きになり、今でも自由に書いているんだろう。

自由にさせてもらうこと
認めてもらうこと
ほめてもらうこと

ほんと、おかげさまだ。

まぁ、少なくとも私には似ずに、芸術的才能があるんだろうなぁ。
このまま育ってほしいなぁ。



で、この長男のおおらかさは先日の運動会でも発揮された。
ちょっと太っちょ気味の息子だが、やはりかけっこはちょっと苦手。
でも、ハードル走は少し自信を持ってるようだ。
そのハードル走、4人で走って、ハードルを越すごとに後続と差をつけていく。
さすがに自信があると言うだけあって、結果に結びついている。
3つ目のハードルを越したところで独走…と思いきや、見事に転倒。
大の字になってしまったが、起き上がって最後まで走り切った。
ゴール地点に言って声をかけたが、思ったほど悔しがりもしていない。
途中まで1位だったことを話題にして、ちょっとハグしておいた。
本人の内心はどうだったか知れないが、結果とは別に、自信があるといっていた言葉を一時的にでも証明できたことをうれしく思っていると伝えておいた。
ちょっとハグは照れくさそうにしてたけど。


ただ、こうやって長男ばかりほめていると次男は心中おだやかじゃないだろう。
兄に対して闘争心を燃やし、1位になったかけっこの結果をほめてもらいにきた。
こちらもハグつきでちゃんと見ていたことを伝えた。
まぁ、次男の場合は褒められると調子に乗りすぎて、余計なことまでしてしまい、結果怒られると言うことが多いんだけれども。



長男は長男で、次男は次男で、それぞれの個性があり、それぞれの得意分野がある。
でも親としては、どうしても同じ出来事を比較して、判断してしまう。
当然、年齢的なハンデがある次男のほうが、比較されると不利になる。
(そういう対応をしていることをちょっと反省…)

でも、ちゃんとほめることが出来る点はきっとあるはず。
数年後、次男のほうがどんな分野でほめられたことを活かして、何らかの結果を出してくれたらうれしいな。
(もちろん、何の結果を出せなくても、そこに居てくれることだけで大きな喜びだが)


休日参観 と PTA

2010-06-07 21:49:41 | 親子コミュニケーション
息子らの小学校で、日曜参観とPTA総会でした。
思い返せば、昨年のPTA総会に参加したことで、いろいろと変化がありましたから。
日曜参観の日に総会があることで、どちらかというと「おかあさんの役」ってイメージのPTA活動にお父さんが興味を持ってくれれば。
私は、「せっかく日曜参加に合わせて開催されるのだから」ってことで昨年参加しましたしね。

でも…総会の部屋にお父さんは私一人でした。
参観にはいっぱいお父さんが居られたんですけどね。


PTA役員は9時に集合して、まずは総会会場の会議室のセッティング。
その間、ほかのお母さん方といろいろ子育てトーク。
こういう時間が結構好きです。

私自身が、スクールカウンセラーさんや、ニート対策の講習などで知りえたこと…それらの中には当たり前のようで知られていないこともいっぱいあります。
そういうことを「知ってて当然」としちゃうんじゃなくて、「ご存知かもしれませんが」っていう気持ちではなしをすると、結構「それを忘れてた!」って感じで気づきにつなげてくださるんですよね。

で、いろんな面でがんばってるお母さん方は、「もっとこうありたい」って願いを自分にも子どもにも向けて、そんじゃない「現状」を嘆いたり怒ったりしてしまいがちのようです。
だから、そういう理想は理想として、今の状態を「そっと認めてみる」って事が大事ですね。
いやぁ、私自身こういいつつも、普段はそういう余裕はなかったりしますけれど。
でも最初から「そんなん無理」って決めずに、できないなりにもフッと思い出せたら、自分を周りを「そっと認めて」みる、そして「やさしく抱っこ(自分自身も)」してみれば、きっと何かが変わってきます。


ある程度準備が整ったら、子どもらの教室で参観。
最初に4年生の部屋に行き、あとで2年生の部屋へ。
まぁ、参観に来てる親を気にしたり、すぐに周りの子らとおしゃべりしちゃうのは仕方ないですかね。
最近では「歩き回って授業にならない」って話も聞きますが、私が見た範囲ではちゃんと授業が成り立ってる感じでした。
ただ、ふっと思ったのは、先生の質問に手は上げるんですが「はいっ」って声があまり聞こえないんですね。
2年生のほうは結構声だしてましたが。
なんとなく私のイメージは、うるさいくらいに「はいっ」「はいっ」って競うように手を上げてた記憶があるんですが(で、いざ前に出て間違ってたりするご愛嬌も含めて思い出ですね)


その後、いよいよ総会です。
昨年のイメージや、伝え聞く「問題提議」などから、多少活発な意見交換が(まぁ平たく言えばもめるってことですが)あると予想していて、ほかの役員さんたちも緊張されてましたが、肩透かしを食らったようにスムーズに進行。
むしろいろんな意見を「聞かせてもらおう」と思ってた私としては、物足りないくらい。
私みたいなのが前に出て司会進行してたんで(議長は教務の先生でしたが)みなさん臆したのかも知れませんね。
(二人ともどちらかといえば怖そうな第一印象の風貌ですから)
だとしたら、それは総会としてはよくない。
無言の圧力で声を封じたのなら、申し訳ない話です。
まぁ、終わったものは終わったものとして、別の機会にサロン的な意見交換の場があってもいいかなって思ってます。
あんまり新しいことを始めるのは、学校側は好まないかもしれませんが。

終わってから事務連絡もかねて校長先生と少し話する時間があったんですが、ちょっと意識のすれ違いがある感じも。
PTAなんですから”T”である先生方がもうちょっと総会や行事に関心を持ってくれたらいいのにって思いがずっとあり、そのことをちょっとぶつけてみました。
まぁ、こちらが知らないだけで意識を持ってくださってる先生も居られるでしょう。
また、近年は先生も忙しいですから、役割分担の線引きをして、活動はできるだけ保護者サイドに投げたい気持ちもあるでしょう。
そういうことならそれでもOKなんですが、どう思ってるかの様子がつかめないってのが面白くありません。

「先生もPTAに協力」ではなくて、「先生も一緒に活動」が本来だと思うんですけどねぇ。
まぁ、私はイベント担当にもなってるんで、どこかで巻き込むイベントをしてみてもいいかもしれません。
新しいことをやるときの負担をどう考えるかですけどね。


などと、昨日のことを通じていろいろ思わされていますが、やっぱ「声を聞く」ってことがないと関係はできないですね。
誰かが間に入って声が聞こえないだとか、声を出しにくい雰囲気を作ってしまうとか…
話の中身以前に、コミュニケーションしてる実感がほしいかな。
そういう問題をいろいろ感じた一日でした。




装いも新たに

2010-04-07 16:27:27 | 親子コミュニケーション

4月になりました(といっても、もう一週間になりますが)
新年度ということで、学校や職場、環境などが変わった方も居られるでしょう。
桜の咲き乱れる様や、暖かい風に、新たな気持ちで新しいことに臨まれることでしょう。

私としては、今年は子どもの卒業・入学もなく、それぞれが無事進級することで新年度を迎えています。
そして私自身は、今年度から小学校のPTA役員を引き受けさせていただくこととなりました。
昨日がその最初のお役目、入学式のお手伝いです。
今日はまた花冷えになっているのですが、昨日は計ったようなポカポカ陽気。
なかなか素敵な入学式で、ついこの前まで園児だった子どもらがどうどうと小学生になり、また迎える2年生は最下級生からおにいさん・おねえさんになって「なんでもおしえてあげるので、きいてください」と後輩を迎えています。
日々一緒にいると分からないんですが、こういう節目で見るといろいろ感慨深いですね。


さて、PTAというきっかけもいただいたことですし、気が向いたときに連載していた「親子コミュニケーション」の話題を増やして行こうかなとという決意を持っています。
ただ、なかなか時間が取れないことを言い訳に、更新が滞りがちなので、あまり無理をして頓挫してもつまらない。
そこで、「親子コミュニケーション・Light」として、短めの軽~いシリーズをたちあげようかなと。
で、気が乗ったときは今までの続きで大盛りにする、と。

そんなことを考えています。
近々、今までのインデックスページも作りますので、新しいご縁の方にもまとめて読んでいただきやすくするつもりです。

と、まずは宣言しておいて、あとは実行。
(過去、宣言だけで立ち消えているものも多々あるのですが…)

まぁ、ぼちぼちお付き合いください。

明日から…と思ってたけど、明日は「花祭り」なんで、違う味わいの話題になるかもしれませんが…
その辺はやわらかく、柔軟に対応しようと思います。


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 45

2010-01-29 00:05:00 | 親子コミュニケーション

久々に親子コミュニケーションの話題

先日見かけたちょっといい光景。

ショッピングセンターで2歳くらい男の子が展示台をけっていた。
そういう乱暴な光景を見ると「きっと親が普段乱暴な言動をしてるんだろうな」と勝手に想像していた。
ちょっとすると後ろから「けっちゃ駄目」と母親が寄ってくる。

「きっと怒ったり、命令口調で”駄目”を押し付けるんだろうな」と思っていたら、お母さんはすっとしゃがんで「けられたら痛いんだよ」と一言。

子どもと同じ目線で、やさしく教える。
子どもが反応すると笑顔で受け止めて、手をつないで歩いていく。

ほんの些細な情景ですが、うれしい気分になりました。


目の前の出来事として、叩いたりして痛みで「駄目」だと覚えさせる方法もあるでしょう。
大きな声で恫喝して「繰り返さない」ようにしつける方法もあるでしょう。

でも私は、時間はかかってもわかってもらうことが大事だと思ってます。

もしかしたら、子どもは同じことを繰り返すかもしれない。
そういうときでも「前にも言ったでしょ」ではなくて、そのときの出来事に対してもう一度「教える」
時間もかかるし、何度も何度もかける根気が必要かもしれません。
親の側もそうそう余裕はないかもしれません。

でもこの関わり方は、そのつどつどの出来事に対してだけではなく、親子のコミュニケーションを積み重ねていくことが出来るんだと思います。


いきなり話題は飛ぶかもしれませんが、ニートの問題や自死を選ぶ人に関わっている(困っている)方々の話を聞く機会が何度かありました。
そういうときに良く出てくる言葉が「もう少し関わっていれば…」という。

直接的に何かを聞いたりしたりすることではなく、”関わり”を問題にされます。
それは一瞬の出来事で出来上がるものではなく、時間をかけて積み重ねていくものです。
(関わりが壊れるのは一瞬でできますが)


昨年まで受けていた保育園の保護者会から離れ、ちょっと「親子コミュニケーション
」の話題が減りがちでしたが、4月からまた新しい関わりを請け負うことになりそうです。
親子問題で悩んでいる方々と出会う機会が増えれば、またこういう話題が増えてくるかもしれませんね。

 

  44-ほめること
  43-こけてもいいよ
  42-追い込む言葉
  41-会話と言語発達
  40-31~39のまとめ
  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ

  番外編


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 44

2009-12-01 22:56:50 | 親子コミュニケーション

親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 44

先日、あるテレビ番組を録画しようとしていたときに、別の番組が目に留まり録画しました。
昨日、録画したものを見たのですが、なかなか面白かったです。
番組名は「プロフェッショナル 仕事の流儀」というNHKのプログラムで、目に留まったのは「井上雄彦」という漫画家。
「スラムダンク」というバスケマンガで一世を風靡し、その後宮本武蔵を描いた「バカボンド」という作品を連載し続けています。

この方の絵も、マンガも好きなのですが、今回はいろんな話の中で印象に残った事を。


ひとつの締切が終わったら、すぐに次の締め切りの作業に入っていくと言う厳しいお仕事。
プロフェッショナルと呼ばれるだけあって、そのこだわりはすさまじいものがあります。
身を削り、心を削り、繰り返していく作業。
そんな井上さんにスタッフが問いかけます。

「絵を描き続けるモチベーションはどこにありますか?」

井上さんは答えます。

「子どもの頃、絵をほめられたから」

家庭で色々あり、少年時代をすごした地で、祖父から言われたそうです。

「髪の毛がまるで生きてるみたいだね。」


認めてもらえるってことはとても嬉しいことですね。
その一瞬の「受け止めてもらった」感は、何かの形で残っていきます。

その一言にそんなに意味を持たせなくてもいいんだと思います。
むしろ、放つ側が思っているのと違うところで、相手に響いていたりします。

だから、ちょっとしたことでも声をかけてあげること。
ほめる言葉はとても大事だと思います。

意気込んだり、影響を考えたりせずに、そおっと一言、ほめてあげてください。

 

  43-こけてもいいよ
  42-追い込む言葉
  41-会話と言語発達
  40-31~39のまとめ
  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ

  番外編


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 43

2009-10-12 00:50:15 | 親子コミュニケーション

 

このテーマは久しぶりです。

今日、保育園の運動会を観に行ってきました。
うちの子は春に卒園しましたが、いっしょにすごいした役員さんたちが多く残ってるのと、先生方の顔もみたかったし。
息子の同級生も多く観に来ていて、楽しんでたようです。

そんな中でのひとこま。

先生方は、グラウンド内で出番のときはとてもにこやかですが、準備の場所では結構大変な様子です。
ベテランの先生だと、その辺はもう余裕でしょうが、若い先生はかなりてんぱった様子。
まぁ仕方ないですね。
そういう中で、中堅の先生方(私自身4人通わせましたから、中堅といっても新人の頃から知ってたりします)が、すっかり逞しくなって…

ある先生が、かけっこの前に子どもらを整列させていました。
並んだ子どもに一言
「こけてもいいしな!」
にっこり笑いながらのこの一言、私は素敵だと思いました。

「がんばってはしる」とか「上手にやる」とかいうことを求めてしまいがちですが、それでなくても緊張してる子どもにプレッシャーですもんね。

もちろん、鼓舞して「がんばれ」っていうのもアリだとは思います。
でも「こけてもいい」っていうのは、とてもほほえましかったんです。

どのようなことでも「それでもいいんだよ」と受け止めてあげる。
大事なことだと思います。

そういう言葉をかけてあげられるくらいに、ちょっと余裕の出てきた先生…ベテラン先生から受け継いだものでしょうし、次の若い世代に引き継いでくれるでしょう。

私の子どもらは、この先生方に育ててもらって良かったと思ってます。

  42-追い込む言葉
  41-会話と言語発達
  40-31~39のまとめ
  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ

  番外編

 


地域若者サポーター ~「がんばれ」をめぐって~

2009-09-26 23:58:15 | 親子コミュニケーション

昨年受講し、「地域若者サポーター養成講座」の第一期生となったのですが、今年も第二期がスタートするにあたり、今日サポーターの交流会がありました。

ニートの状態を何とかしようとするための支援がメインなんですが、まだまだ問題は山積みです。
そのために、行政だけではなく、地域地域にサポーターを置くことによって継続的に「一歩を踏み出していこう」というものです。
一番の目的は、そういう主旨を理解している「受け入れ企業」が多く現れ、暖かく迎え入れてくれることなのですが…
現実は、十分に就労できていた人でさえ職を失っていく現状。
昨年の講習受講時にはまだ「一歩踏み出せば未来が変わって行くかもしれない」とおもわれていたのに、年末には派遣切りが問題になり、年が明ければ正社員の雇用も削減されるという。

以前、ハローワークに勤める方のお話も聞いたのですが、なかなか大変な状況のようです。
そうなると職場に出る以前に、何かに傷つき、恐れて、「コミュニケーション」の一歩を踏み出せない若者たちはどんどん居場所をなくし、家にこもってしまいます。

で、そういう現状と、そん中でも動き出したプロジェクトのお話、そして参加者それぞれの取り組みや考えを交換してきました。

残念ながら、参加者は少なかったのですが…

私の関心はやはりカウンセリングを通じての「いま・ここ・わたし」を受け止めていくことから、引きこもっているひとりひとり、そしてその周りの方の関わりの部分です。

そういう意味では、参加されていた「サポートステーション」の方のお話にぐっと引き寄せられました。
それは「がんばれ」という言葉をめぐってのお話です。
私自身、なんどかこのブログで話題にしていますが、本人なりに「がんばっている」人に対して、その到達への期待や価値観の違いから「がんばれ」と言うことへの問題定義です。

出来ていない事があるときに、その「できない」ということを認めてあげずに、「できるはず」というこちらの価値観で持って「がんばれ」と言ってしまう…これは「いまのままじゃ駄目」ということにつながります。
もちろん、声をかける側にはそんなつもりは無く「応援」ということなんでしょうが…
なかには、そういう応援の声を受けて、嬉しく感じる人もいますし、一概に「がんばれ」が駄目だとは思いませんが、こと「ニート」と言われる人にとっては「がんばれ」といわれるのは困る事が多いのだと思います。

この問題を考えるときに、支援する人たちにこういう意識があるかどうかは大きな問題だと思いますし、サポートステーションの方からこの話を聞けたのは私にとって大きな安心でした。

どうしても引きこもる子に対して、親や周りの人も困惑していますから、どうにか「変わってほしい」という願いを持っていると思います。
それは下手をすると、「その子」の問題にしてしまう。
じつは、親や周りの側にも問題はあり、変わるべきところは一杯あります。
変わるべきとかくと、かなり強い言葉になり、親の側を責めるような言葉に取られてしまうかもしれませんが、「親の側にも問題があることをまず認める」というだけのことです。
それは責められることではなく、そのことで「いっしょに変わっていこう」という気持ちにつながればいいと思います。


私は、今回サポーターにとして登録され、活動していく中で、ひとつはこういう制度・サポートセンターという場所・取り組みがあることを何らかの形で少しでも知らしめていくことが役割だと思っています。
そしてもうひとつ、上に書いたような親や周りの方に心がけを持ってもらうことを伝えていければと思っています。

それはなにも新しいことを始めるではなく、このブログで「親子コミュニケーションの心がけ」としてつづっていることを繰り返していくだけのことでしょう。


このサポーター制度の具体的な取り組みのひとつに「ギタープロジェクト」というのがあります。
自分で何かやってみたいと一歩踏み出せる子たちにとって、とても大事なプログラムです。
こういうものがいろんな趣味のことで、広く行われていけば、何かひとつ達成してみたいという人に大きなきっかけを与えられるでしょう。
しかし、その前段階で、一歩を踏み出せず、傷つき、恐れている人たちが一杯います。
どうしても、そちらのほうに気持ちが行っているなと、今日交換会に参加してあらためて思いましたね。

このブログや「聞き方・伝え方」の集まりを進めていく事が、こういう制度につながっていけば…いや、続けることでつながっていくだろうなと。


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 番外編(Sくんとの戦い)

2009-08-27 00:00:20 | 親子コミュニケーション

ちょっとワークショップの話題から離れて、息子とのひとときを。

昨日から夏休み明けの学校が始まった。
(以前みたいな3学期制じゃないから2学期でもないし、まだ後期になったわけでもないから新学期でもない…こういうときどういえばいいんだろ?)

思えば昨朝も次男(Sくん)は学校に行きたがらなかった。
口にするのは「眠い」と言う言葉。
でも、昨朝はお兄ちゃんが登校するのにあわせてなんとかいっしょに連れて行ってもらった。

で、今朝の出来事。
まず、朝一番なかなか起きない。
「ねむい~」を連発する。
それでもなんとか顔を洗い朝食を食べる。
この時点でおにいちゃんのほうは早めに学校に行きたいからあせって「はやくして」を連発する。
Sくんはだんだん機嫌が悪くなる。
食事を済ませておにいちゃんが「行こう」と促す。
「いや…」抵抗が始まった。
最初は小さな声、だんだんと声も大きく、床をたたくアクションが加わる。

ここからわたしとの戦いが始まる。

「おにいちゃんに先行ってもらおか?」
「いや」
「じゃぁ用意して行こう」
「いや」
「どうして行かないの?」
「しんどい」
「そうか、しんどいのか。じゃぁお家で寝とく?」
「いや」

このときの配置は、わたしが座っている右横に息子。
目線の高さは同じだけど、わたしが横向きの状態。

ここでとりあえず、おにいちゃんを先に行かせる。

「Sくんはどうする」
「休む」
「熱も無くて病気じゃないなら、お父さんは学校にいって欲しいな」
「いや」
「でも、おとうさんはおねえちぇんと約束があるし(病院に連れて行く約束)、ひとりでお留守番やで」
「いや」
「でも、学校を休む人を外に連れて行けへんで」
「う~」
このあたりから、言葉じゃなくうなり声に変わりだす。

「う~~も~~あ~~」
「お父さんはどうして欲しいか話したから、Sくんがどうしたいか教えて?」
「う~~も~~あ~~」
「言葉がつかえなくなった?」
「う~~も~~あ~~」
「動物さんにはお話聞いてもらえへんなぁ」
「う~~も~~あ~~」

このへんのやり取りを繰り返し繰り返し。
だんだん息子の声は張り上げる声に。

しばらく叫びたいように叫ばせといて放置。
ただし、目は見つめたまま。

「ちょっとこっちに来ようか」
ちょっと声が落ち着いて(疲れた?)きたので、膝に乗せからだを真正面に。
「さあ、どうしたい?」
「いかへん」
「じゃあ一人で寝ておく?」
「いっしょにいて」
「おねえちゃんを病院に連れて行かんとあかん」
「いや」
「学校行くか、寝とくかどっちか選んで」
「う~~も~~あ~~」

うーん、元の木阿弥(こういう使い方でいいのかな?)
歌の歌詞でいうなら「Aパート繰り返し」って感じだろうか。

ここでお姉さん準備完了。
困りながら待機してる。
病院の時間も迫ってる。

「じゃあ、おとうさんは車を取りに行ってくる」
「う~~も~~あ~~」

膝から降ろし、下の階へ。
息子も服を引っ張りながらついてくる。
舞台は玄関へ。

「おとうさんは学校へ行って欲しい。そうか、寝て待ってて。」
「う~~も~~あ~~」
「Sくんはどうしたい?」
「おとうさん、いっしょに居て」
これで交渉決裂。
「無理」
といって、家を出て駐車場に向かう。

しばらく玄関で叫んでたそうだが、車を取ってくる間に、おねえさんが寝室に連れて行き、もう一人の留守番のお姉ちゃんのところへ連れて行く。

家に戻って、待ってた娘を車に乗せ、様子を見に行こうとすると自分から降りてきた。
「どうする?」
「学校行く。でも迎えに来て」
「じゃあ、学校に行って、しんどかったら先生に言って保健室で寝させてもらい。先生が帰ったほうが良いとおもわはったら電話してくれはるから。
さぁ、用意しようか」

いっしょに2階にあがり、着替えて、ランドセルと水筒持って準備完了。
この時点で始業時間、本当なら電話しとかなきゃいけないけど、とりあえず学校へ(先生、ごめんなさい)
学校へついたら、ちょうど先生が教室から出てきたところ。
おそらく職員室に行ってうちに電話しようとされてたんだろう。
「ちょっと調子は悪いようです。
少し話をしていて遅くなりました。
何かあったら、連絡ください、迎えに来ます」
先生は察してくれ、そおっと息子を連れて行ってくれた。

車の中で娘と話して、車を取りに行く間の様子を聞く。
以前なら「うるさい」「だまって」ときつくしかり口調の娘も、「いっぺん上行って待ってよか」と諭してくれたようだ(娘の成長にうるうる…)
「みんな何べんかこうやって泣いて学校行かへんって困らせてたなぁ」
「そうやっけ(苦笑)」
あぁ、娘も自分の時のこと思い出しながら、経験を元に(困らせる側の気持ち)対応してくれたなと。

結局、病院には20分遅れで到着。

うーん、なかなかにハードな朝でした。
まだ、先日のワークショップでいただいた充足感が体に残ってるんで、そこそこゆとりの対応が出来たのかな。
とはいえ、まだまだ受け止めきってないなぁ…

まぁ、いつも偉そうに書いてますが、わたしもこんなもんです。

児童心理に詳しい方、どこか指摘があればぜひ。

  42-追い込む言葉
  41-会話と言語発達
  40-31~39のまとめ
  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ

 


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 42

2009-07-17 00:12:09 | 親子コミュニケーション

先日、お友達家族と食事に行ったとき、お母さん同士がゆっくり話している間に、子どもらを連れて本屋で時間をつぶしていました。
何気なくぶらぶらするとき、何千何万とある書籍の中にフッと目に留まるものがあったりします。
もうこれは偶然の出会いで、その時その場所でないと出会えなかったりするのですが。
といっても、買うほどでもなくパラパラと立ち読みをするだけです。
なので、内容はかなり私の脳内で脚色されているかもしれません。

その本はすでにタイトルも忘れていますが、「職場でのうつ」に対する本。
タイトルを思い出そうと、検索してみたら、あまりにもこのキーワードの本が多すぎて結局見つかりません。
それだけ大きな問題だったりするのでしょう。

で、立ち読み程度なんですが、そこに書かれていることは「あたりまえ」に思えることばかり。
しかし、その「あたりまえ」なことを、「気をつけてください」と大きく取り上げられていたりします。
と、振り返ってみると、私も最初から知っていたのではなく、多くのお育てにより気付かせてもらったものなんですが。

最初のほうに何気ない職場での会話が上げてあります。
そこに、部下を「うつ」に追いやる言葉が隠れているということです。

「この資料を明日までにまとめてください。締切をしっかり守るように」
「君なら出来る、君だから頼めるんだよ」
「無理なことは無い」
「頑張ってくれ」
「どうして判ってくれないんだ」
「君はやらなければならない」

記憶にのこっているところで、こんな感じだったでしょうか。
それぞれに部下の方の受け答えがあるんですが、自信なさげな言葉に対して上司が叱咤激励します。

ここには、自分で判断することを受け入れてもらえない姿があります。

今の自分の能力以上に持ち上げられる。
自分の判断が間違いだとされる。
頑張らなければならないように追い込まれる。
批判される。
強制される。

こういうことが続くと、「疲れた」とか「しんどい」とかいう自己の内部からのメッセージをそのまま受け取ることをさせてもらえなくなります。
仕事・社会というのは、確かにそういう弱音を隠して”頑張る”ことを求められ、それに応えられることが美徳とされてきました。
でも、今の本当の自分の姿からかけ離れればかけ離れるほど、心は病んでいきます。
病んでいるということを自覚できれば良いのですが、それを認めるのが辛いので、そんな自分に蓋をして、情報(身体からのメッセージ)をゆがめて、大丈夫な自分を作り出し、それが正しい自分だと錯覚させてしまう…
私という存在の中に、二つの”私”が存在するのですから、良い訳がありません。


この会話部分を読んでいたときに、親子の会話でもこのパターンはよくあるなと感じます。
「あなたは出来る子だから」
なんていうのも、一見「認めてあげている」という感じがありますが、それはこちら側が上から認めているだけであって、その子の気持ちは置き去りです。
「頑張って」に関しては何度かこのブログでも話題にしていますし、「~しなければならない」という決め付けも苦痛になりますね。
もし、こちらの思いを伝えたいのなら、せめて「私メッセージ」で渡して、その上で「あなたはどうしたい」と、相手に気持ちを大事にしてあげる。

最近、いろんなご縁で感じていることと、見事にリンクしてきますね。

 

  41-会話と言語発達
  40-31~39のまとめ
  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 41

2009-07-06 23:58:00 | 親子コミュニケーション

最近、結構更新しているが、このテーマで書くのは久しぶりだったりする。
タイトルをこのカテゴリーにしないだけで、関連する話題は書いてきたつもりはあるが。

外出時にちょっと携帯でニュース検索してたときに、ピピッっと意識に触れた話題。
「本の読み聞かせよりも、大人との会話をすることのほうが圧倒的に言語発達への効果が高い」
というもの。

その後、家でそのニュースを検索したがどうも見つからず、そのことを話題にしているニュースサイトを見つけたのでそちらを参考に。

小学校受験も盛んな昨今、胎教や幼児期の英語学習といった、幼いうちからの教育も注目を集めている。子供が少しでも早く言葉を覚えるようにと、絵本を読み聞かせる親も多いのではないだろうか。ところが、本を読み聞かせるだけでは効果が薄いという研究結果が米研究グループによって発表された。同研究によると、本の読み聞かせよりも、大人との会話をすることのほうが圧倒的に言語発達への効果が高いという。


この研究は、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)公衆衛生学のフレデリック・ジマーマン准教授らが、米医学誌ペディアトリックスの7月号に発表したもの。同准教授らは、米国勢調査のデータから抽出した2か月~4歳の子供を持つ275家族(白人82%、黒人3%、ヒスパニック8%、その他7%)を対象に、6か月間のうちランダムに選んだ5日間について子供の生活内容を丸一日記録。71家族については18か月間まで調査を継続し、子供の言語能力を確かめるテストを行った。

その結果、大人から1日1,000語を聞くことと、1日100回の大人との会話を行うことが言語発達に有意に関係し、テレビ視聴は言語発達に関連していないことが明らかになった。特に大人との会話が子供の言語発達により強く関連しており、同准教授らは、親子の会話を頻繁に行っている子供は文法や語彙の間違いが少なく、大人の会話を聞いているだけの子供は言語能力が上達しているものの、その効果は薄いとされている。

この結果を受け、同准教授らは「大人の言葉を聞かせるのは子供の言語発達の助けになるが、もっと重要なのはお互い通じ合うこと」と結論。一方的に子供へ言葉を流し込むのではなく、会話を通じて子供の考えを理解して言葉や認識の間違いを是正していくことが、子供の言語発達に最も良いと述べている。また、子供があまり言葉を習得していなくても大人が話しかけることも重要で、子供が自分の気持ちを伝えるために会話をしようとすることが、のちの言語発達に影響するという。

結局、子供の言語能力を発達させるのは与える知識の量ではなく、子供と多くのコミュニケーションを取る“愛情の量”が重要なようだ。
          「ナリナリ ドットコム

絵本の読み聞かせなどが親子コミュニケーションにとって重要なことだと認識していたし、結構いろんなとこで勧められ、また勧めても来た。
同時に、お風呂やちょっとした時間に、目線を合わせてお話を聞いてあげるということも。
このニュースは、そこからさらに一歩進んで、「会話」が大事だということを検証しているので、とてもうれしい。

たしかに、こちらから話しかけることは「知識を与える」ということに比重があることを否定できない。
なにか「教えてあげよう」と言う態度だ。
対して、話を聴くときはそういう「教えてあげる」色を排して、間違っていようがなんでも「聞いてあげる」という、子どもの話題を大事にしてあげる「尊重」に重きを置いていた。
もちろん、いまでもそのことを大事に思っているし、「知識や言語発達」よりも、「関係」を大事にする手段だと思っている。

その一方で、「言語発達」のためには「会話を通じて子供の考えを理解して言葉や認識の間違いを是正していく」ということらしい。
たしかに、これも大事なことだ。
肝要なのは、押し付けたり怒るように「是正」するのではなく、子どものことを大事に感じ、受け止めながら、出来れば「私メッセージ」で伝えていくことなんじゃないかなと。

このニュースは「発達」ということからスタートしているが、私が親子コミュニケーションのテーマにしている「共に育つ」ということからいくと、やはり大事なのは「子どもと多くのコミュニケーションを取る」と言う部分なんだろうなと。
それが、結局は「発達」につながっていくと言うのなら、会話するのも楽しいんじゃないだろうか。

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