コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 40

2009-05-16 01:25:59 | 親子コミュニケーション

このテーマで書くこともだいぶ重複してきたり、ペースが遅くなって来てますね。
書きたいことがないわけではないのですが、一番下の子どもが小学校に上がったので、普段の「お母さん・保育士さん」との関わりが激減しましたから、話題の刺激が減っている気はします。
今後は、ニュース等の話題から刺激を受けることが増えるかもしれませんね。

そんななか、また10件の区切りになりましたのでまとめておきましょう。

やはり4つに分けてみます。

一.こちらの態度
   31- 話を最後までちゃんと聞く
  33- 親の6大NGワード
  35- 流れていく思い
  36- 目と目を合わせよう
  37- ほめることは大事
  38- 見本がわるいと…
  39- ほめて伸ばす
 
二.話し方・伝え方
  32- 「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

三.聞き方

 
四.その他
  34- まず家庭で話し合ってみる
  番外編 - がんばった子どもを抱きしめてあげたい

  30-21~29のまとめ
  20-11~19のまとめ
  10-1~9のまとめ

予想はしていましたが、態度についての話題に偏っていますね。
まぁ、態度の中に「話し方」や「聞き方」が含まれていますから、こうやって分類すると仕方ないかもしれません。
もう一度、「話し方」や「聞き方」を意識して話題にすることも必要でしょう。
近々、「聞き方」について法座で話す機会が出来そうですから、そのためにも、もう一度考えてみるにはいいでしょうね。

読んでくださる皆様のほうからも、話題提供やご質問をお待ちしております。

あと、こういう話をちょっとした研修的にすることも考えています。
考えてはいますが、なかなか依頼がないのが現状でして…
もう、なんでも・どこでも行きますので(笑)

 

 


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 39

2009-04-23 00:37:28 | 親子コミュニケーション

「37回目」のときも書きましたが、ほめて育てるということについて。
(かなり親ばかの部分もあります)

先の日曜日、京都駅から東山・岡崎を経て銀閣寺まで走るバスに乗ってきました。
目的は京都観光…ではなく、そのバスに息子の絵が飾られるという通知を学校からいただいたからです。
京都には「京ちゃんバス」という企画車両があり、主に観光コースをはしる市バスに外観をイラストで飾ったり(ラッピングバス)、他とは違う桜色に塗装されたものがあります。
今回は、その桜色のバスに、市内の小学校の絵や書を展示するという企画です。

同じ系統にも何台かのバスが走ってますから、確実に見れるように事前に交通局に確認し、目的のバスに乗ることが出来ました。
ちょうど乗り口の正面に息子の絵が飾ってあります。

同じ小学校からは、書を含めて3人だけですから価値があるかもしれません。

さて、何も自慢しただけでこのブログを書いているのではなく、ここからが本題。

うちの息子はどちらかというと「自信のない」タイプの子です。
運動も苦手、友達も限られた友達とはOKだけど、あまり社交的じゃない。
勉強もまぁ普通でしょうか。
そんな彼も唯一絵を描くことは大好きです。
自分でストーリーを考えながらイラストを書き綴っています。
(「まんがの達人」という本も購読して一生懸命読んでいます)

親が芸術系なら遺伝的要素もあるかもしれませんが、ふたりともそんなに熱心に芸術に向いていることはありません。
じゃあ、どうしてこれだけ絵に関心を持っているのか…。

振り返ってみると、保育園時代にいろんな先生から絵をほめてもらっていました。
自由に書かせてもらったものを、上手い下手で評価するのじゃなく、「素敵な絵だね」と。
確かに、他の子と少し違った着眼点で絵を描いていたようですが、それを「みんなと同じように」と型にはめるのではなく、個性を個性として受け止めて、ほめてくれます。
きっと、それがうれしかったんでしょう。
個性的だということを気に書けることなく、自由に絵を書き続けています。
教えて出来ることじゃないと思います。


私たちはどうしても「他と比べる」というくせから抜け切れません。
「うちの子は成長が遅いんじゃないだろうか」
「うちの子は食べるのが遅いんじゃないだろうか」
「うちの子は普通に出来ない」
「うちの子は走るのが苦手」
どうしても、出来ないことを苦にして、「ああしなさい、こうしなさい」と指示をして引き上げようとしてしまいます。

ほんのわずかでも出来ていることを大事にしてほめてあげることは、それらとは真反対で、本人のペースで進むことを後押しする方法です。

なんでもかんでも許してほめまくるということではなく、「少しでもほめてあげたことがあるかな」と自分を振り返ってみて欲しいのです。
で、ちょっとだけ意識して、出来ないことを責めるのをやめて、出来ていることをほめてあげる。

すぐには効果はないかもしれませんが、長い成長の中で、そのときほめられたことが種となって、やがて才能の芽を出すかもしれません。

これはとても時間の必要なことですが、あせって親の目指すラインに引き上げるより、ゆっくりでも自分で歩んでもらえれば…きっとうれしいですよね。

 38-「見本がわるいと…」
 37-「ほめることは大事」
 36-「目と目を合わせよう」
 35-「流れていく思い」
 34-「まず家庭で話し合ってみる」
 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 38

2009-04-14 00:06:24 | 親子コミュニケーション

これまで何度か話題にしていることですが、大人が見本になるというお話。

先日、学校の卒業式に参加したのですが、とんでもない光景を目にしました。

まず、卒業式中にもかかわらず、保護者席での私語が絶えないこと。
「最近の子どもたちが落ち着かない」という話を良く聞きますが、じゃあそう言っている大人はどうなのか。
もしかしたら「式典はすべての参加者が厳かに」なんてものはもう幻想なのかもしれません。
しかし少なくとも、子どもの態度をどうこう言うのなら、大人がまず模範を示さなければ、子どもに伝わるはずがありません。

さらに、式後、教室に戻ったときに見た光景は…

卒業式後、教室に戻って卒業証書を一人ずつ受け取るというのは、学校生活で最後のイベントです。
先生には先生の想い、生徒には生徒の想い。
大事な瞬間なんだと、私は思っていました。

しかし、そこで親が何をしていたかと言うと…写真やビデオの撮影です。
まぁ、これはある程度仕方ないでしょう。
今しかない瞬間を、何らかの形で残しておきたいと言う親の思いですから。
が、私が見たのは”ある程度”を越えていました。

子どもの正面顔を撮ろうと、教室の前のほうからカメラを構える人…
子どもに声をかけて、こちらを向かせピースサインをせがむ人…
ビデオを構えながら、教室を徘徊して様々なアングルを狙う人…

当然、先生の最後の話なぞ聞いていません。
親が聞かないうえに、うろちょろする。
子どもが落ち着いて先生の話を聞けるはずがありません。

うーん、私の考え方が古いんでしょうか。

まぁ、そのことを疑問に思ったのなら、私が声をあげて批判すれば良かったのかもしれません。
が、そうできなかった私もいます。
そんな私が批判するのもおこがましいのですが。

後日、参加した入学式では、とても静かな式を見せてもらうことが出来ました。
新しい環境で、子どもも親もまだ緊張しているせいもあるかもしれません。
しかし、その学校は伝統文化などを通じて、礼儀作法を大事にすることを前面に押し出している校風です。
そこには礼儀作法の見本を見せてくれる大人がいます。


私たちがどのような見本を見せるか…
子どもたちは、まず身近な親の態度を見て「それが正しい」と思い込みます。
こどもに「ああしなさい、こうしなさい」という前に、自らの言動をちょっと見直してみることが必要かもしれません。
人を批判する前に、まず自分が出来るかどうかですね。
このことは自戒を込めて。

 

 37-「ほめることは大事」
 36-「目と目を合わせよう」
 35-「流れていく思い」
 34-「まず家庭で話し合ってみる」
 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


保育園謝辞 - ありがとう・有り難い・当たり前じゃない

2009-04-01 18:36:49 | 親子コミュニケーション

先週の土曜日、息子の通った保育園の卒園式でした。
今、高校生の長女が1歳になる前から通いだしていますから、15年と少し、私も送迎で通い続けました。
さらに、何のご縁か、保護者会の役員も10年。
思い入れたっぷりですね。

そんな役員としての最後のお勤めとして、保護者代表の謝辞を担当することに。
今までも2回、役員として子どもを卒園させる機会があったのですが、「男がするより、お母さんが情感たっぷりに謝辞を読むほうが雰囲気いいでしょ」と断ってきました。
が、さすがに最後の機会ということで引き受けることに。

そのことは4月の役員から決まっていたのですが、謝辞の内容に取り掛かったのは2週間ほどでしょうか。
しかし、それ以前からその最後の言葉に向けての思い入れはどんどん募ってきます。
まぁ、私がするのですから、当然普通の型どおりのものはしない…というのは決めています。
じゃあ、どうするのか。
自分の思い入れを探ることからはじめました。

まずは、主役は子どもだから、子どもも一緒に聞いてわかるようにしたい。
もしかしたら、卒園したら真宗とのご縁が遠のく家庭もあるだろうから、できれば真宗の教えを印象付けたい。
保育園が取り組んできたことを芯にすえたうえで、あまりかけ離れないように。
なにより、先生方への感謝の気持ちを、保護者代表として、そして私個人として伝えたい。

いやぁ、欲張りすぎました。
考えれば考えるほど、枝葉が広がって…

そこで、思いをできるだけひとつのテーマに乗せようと。
そうやって決めたのが「ありがとう」という言葉でした。
思いを全部そこにつなげようと。

幸いなことに、担任してくださった先生が最後に子どもたちに伝えてくれたのも、「ありがとう」のこころでした。

ありがとう
有り難い = 当たり前じゃない
かけがえがない

そういうことを、「今、ここに、私が」居るということから感じてもらえればうれしいなと。

 

どこまで伝わったか、はたまたすぐに消えていくのか…
でも、私は言葉にして外に出すところまでです。
あとは、ご縁のある方々に自由にしていただければ…というより、そうでしかありませんよね。

せっかくなんで、ここにその言葉を記しておきます。
途中、一人一人の先生の名前を呼んで、その一人一人に「ありがとうございます」を言わせてもらいました。
ここはちょっと演出が入ってますけどね。
そこは省いておきます。


子どもたちの卒園という喜ばしいときに、保護者の代表として謝辞を述べさせていただきます。

「謝辞」というのは「ありがとうの言葉」ということです。
君たち、今日卒園するみんなのおとうさんやおかあさんから、保育園の先生方に「ありがとう」の気持ちを伝えるための言葉です。
いっしょに聞いていてください。

今日の卒園にあたり、ありがとうの気持ちを伝えたいと思います。
この子たちが生まれたとき、おとうさんやおかあさんはとてもうれしく思いました。
ずっとそばにいて、いろんなことを教えたり、いろんな楽しい時間をすごしたり、いっしょにいたいと思っていました。

でも、仕事をしたり、家のことをしたり、おとうさんやおかあさんの時間も必要でした。
だから、このZ保育園で、おとうさんやおかあさんのかわりに先生方にいろんなことを教えてもらいたいと思いました。

 

それから数年間、子どもたちはいろんな経験をして、今日卒園の日まで育てていただきました。
ありがとうございます。

考えてみると、こうして無事卒園することは当たり前のことのように思ってしまいます。しかし、そうやって当たり前だと思える裏には、どれだけ先生方のご苦労があったか計り知れません。
ありがとうございます。

今ここにこうして居る子どもたちの中には、先生方に教えていただいた多くのことが詰まっています。

言葉を当たり前のように話します。
文字を当たり前のように読みます。
歌を当たり前のように歌います。
踊りを当たり前のように踊ります。
計算を当たり前のようにします。

それらは先生方に教えてもらったことです。
ありがとうございます。

多くの先生との関わり、その中のほんのひとつでも欠けていたら、今のこの子たちはありません。
ありがとうございます。

多くの行事の思い出、その中のほんのひとつでも欠けていたら、今のこの子たちはありません。
ありがとうございます。

当たり前のように過ごして、当たり前のようにやってきた今日という日。
そのことが一番有難いことだと思います。
ありがとうございます。

ここに当たり前のようにZ保育園があること。
そこには多くの人の関わりがあって、ここに在り続けてくれています。
ありがとうございます。

園長先生 ありがとうございます。
○○先生 ありがとうございます。



今はここに居ないけれど、この子達の歴史の中に関わってくださったたくさんの先生方もありがとうございます。

そして、卒園し小学生に巣立っていく難しい一年を、大事に大事に育ててくださったT先生。
本当にありがとうございます。

皆様が居てくださったこと。
この子たちがここに居ること。
そのことが、おとうさん、おかあさんは一番うれしく思います。
ありがとうございます。

このZ保育園で教えてもらったたくさんこと。
仏参や行事や食事の言葉を通して教えてもらった
おかげ・ご恩・感謝のこと
きっとこの子たちの中に刻まれています。
ありがとうございます。

最後にひとつだけお願いがあります。
Z保育園として、ずっとここに在り続けてください。
出来るだけ先生もここに居続けてください。
これからこの子たちの節目や、何かを感じたときに、帰ってこれる場所であってください。

この子たちの成長していく中の一部分がここにあったこと。
かけがえのない場所であり時間であったこと。
いつでも帰ってこられる場所であること。
そういう場所がいつまでもあれば、こんなにうれしいことはありません。

ありがとうございます。


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 37

2009-03-01 00:06:01 | 親子コミュニケーション

またまたニュースを元に。

 乳幼児期に親からよくほめられる子供は、他人を思いやる気持ちなどの社会適応力が高くなることが、科学技術振興機構の長期追跡調査で明らかになった。育児で「ほめる」ことの重要性が、科学的に証明されたのは初めて。3月7日に東京都内で開かれるシンポジウムで発表する。

 筑波大の安梅勅江(あんめときえ)教授(発達保健学)らの研究チームは、2005~08年、大阪府と三重県の計約400人の赤ちゃんに対し、生後4か月、9か月、1歳半、2歳半の時点で成長の度合いを調査した。調査は親へのアンケートや親子の行動観察などを通して実施。自ら親に働きかける「主体性」や相手の様子に応じて行動する「共感性」など、5分野25項目で評価した。

 その結果、生後4~9か月時点で父母が「育児でほめることは大切」と考えている場合、その子供の社会適応力は1歳半時点で明らかに高くなった。また、1歳半~2歳半の子供に積み木遊びを5分間させたとき、うまく出来た子供をほめる行動をとった親は半数程度いたが、その子供の適応力も高いことも分かった。

 調査では、〈1〉規則的な睡眠習慣が取れている〈2〉母親の育児ストレスが少ない〈3〉親子で一緒に本を読んだり買い物をしたりする--ことも、子供の適応力の発達に結びつくことが示された。

読売新聞

調査の詳しい方法はわかりませんが、単純に結果を読んで「あぁ、やっぱりほめて育てるのがいいよなぁ」と思いました。
自分自身、怒られるよりほめられるほうがいいですもんね。

ただ、頑張って子どもをほめることで「これでこの子は大丈夫」と決め付けるのは怖いこと。
「ほめることは大事」ということだけ心にとどめて、出来るだけほめてあげようと心がける。
これは、子どものためだけじゃなく、「あぁ、ちゃんとほめてあげられた」という私への気持ちのご褒美じゃないですかね。
「また怒っちゃった」と落ち込むより、ほんの些細なことでも「こどもに優しくしてあげられた」と自分自身を認めてあげたり、ほめてあげることがいいんじゃないでしょうか。
それが「母親の育児ストレスが少ない」につながっていくでしょうし、そうすると「親子で一緒に本を読んだり買い物をしたりする」ことも出来るじゃないですか。

結果として「他人を思いやる気持ちを持つ」子どもになってくれることはうれしいですけど、そういう子どもを「育てる」目的じゃなく、「今・ここ」のところでほめてあげる。
そうすると自分自身が育てられるじゃないですか。

子どもの様子を鏡にして、自分自身の様子を振り返ってみる。
ほめてあげることが、自分自身をほめてあげることにつながれば、親子で「育ちあい」が出来るんじゃないでしょうか。

 

 36-「目と目を合わせよう」
 35-「流れていく思い」
 34-「まず家庭で話し合ってみる」
 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 番外編

2009-02-15 19:57:39 | 親子コミュニケーション
今日は保育園の大行事「音楽フェスティバル」でした。
京都市内の保育園を6つのブロックに分けて、二日間で演じるフェスティバル。
うちの子の保育園は二日目の午前の部。
昨晩、熱を出していたので心配したのですが(私ら夫婦もインフルエンザで共倒れの週だったし)本人は朝になるとけろっとしており、心配の種はインタビューされたときに何と答えようかという問題(笑)

4人の子どもがそれぞれ2回(年中・年長)参加してるので、もう8回目ですか。(実際は参加してない年でも役員として見に行ってることもあるから10回)
毎年、子どもらの名演に感動させられます。

中身も鼓隊やカラーガードを駆使する園や、器楽演奏主体の園までいろいろ。
そんな中で、各園の特色が現れて面白かったですね。

結構難しい曲(変拍子まで)を一生懸命クリアしようとしている園もあれば、完璧なアンサンブルをきちっとこなそうとする園もあるし、逆に数人の演奏上手な子をメインにして周りがサポートする感じの園も。
まぁ、考え方はそれぞれですから、どれが良い悪いなんてことは申しません。

ただ、どうしても自分の子どもの園は贔屓目に見ちゃいます。
ここは毎年、客を楽しませることで子どもらも一緒に楽しむ(思い出のインパクトが強い)ことを第一に考えているという…こういう発想大好きです。
(他の園からはやりすぎだと批判もあるらしいですが)
まぁ、指揮をする先生が扮装をしたりして受けを狙うんですから、やりすぎかもしれませんが…(笑)
でも、あくまで主体は「子どもらが楽しむ」ってことを外れてませんから、私は支持してます。

完璧なアンサンブルをこなして「充足感」というところで思い出を楽しむ子もいれば、イベントとして「面白かった」というところで思い出を楽しむ子がいてもいいじゃないですか。

その日の演奏した様子をネタに、食事のときに「良かったよ」とか「楽しそうやったね」という風に会話を楽しむ…そういう時間を持つことが、子どもにとっては何よりでしょうしね。

どの園の先生も「がんばった子どもを抱きしめてあげたい」と話されてました。
そういう単純なことが大事な気がします。

親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 36

2009-02-06 00:48:25 | 親子コミュニケーション

目に付いたニュースの話題から

赤ちゃんを抱きながら、携帯電話などに夢中のパパやママはご用心--。生後5か月の赤ちゃんは、人の顔を正面からは「顔」と認識できても、横顔では認識できないことが、中央大と自然科学研究機構生理学研究所の共同研究でわかった。

 米専門誌「ヒューマン・ブレイン・マッピング」の最新号に掲載される。

 研究チームは、5か月児と8か月児計20人に、知らない女性の正面からの顔と横顔の画像をそれぞれ5秒間見せたときの脳活動を計測した。

 その結果、5か月児も8か月児も正面の顔を見せると、顔の認識に重要である右脳側頭部の活動が高まった。

 だが、横顔を見せても5か月児では変化がなく、活動は8か月児で高まった。

 実験を行った同大の仲渡江美研究員らは「特に月齢の低い赤ちゃんとは、目と目を合わせて接することが大事だ」と話している。

読売新聞

こういう学術的な裏づけが出てきたわけだが、そういう研究的な観点じゃなくとも、目と目を合わせることは大事だということは今までも話題にしてきた。

認識するからとかしないからとかじゃなく、コミュニケーションをとるときは、じっと目と目を合わせておくようにしたい。
だって、子どもの顔って見飽きないじゃないですか。

ということを思いながら、でも実際生後数ヶ月のことを思い返してみると、時間関係なしに泣いたりする子どもに、徐々に余裕がなくなり、ゆっくり向き合うよりも片手間になってくるのは仕方ない気がする。
仕方がないからこそ、ちょっと意識して、ゆっくり向き合うことを考えて欲しい。

そういう意味では、「こういう研究結果があるから、正面から目と目をあわせましょう」というこのニュースにも大事な意味が出てくる。

年齢関係なしに、時々は正面からじっと見つめてあげてくださいね。
ついでに、ギューっとだきしめてあげるのも一緒に。

 

 35-「流れていく思い」
 34-「まず家庭で話し合ってみる」
 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 35

2009-01-21 00:46:40 | 親子コミュニケーション

親子コミュニケーションネタとしては1月半ぶりになりますか。
すっかりサボってしまいました。

先日、日曜礼拝という法座があったのですが、そこで座談会にご一緒した方のお話が心に残りました。
その方は、仏法に触れて自分の受け止め方が変わったということも含めてのお話でしたが、普段の親子の関わりにも通じることなのでこちらのカテゴリーで使わせていただきます。

思い・想い・願いというものは、普通は私が持てば私だけのもののように思うのですが、人との関わりの中でそういう「思い」が水が流れていくように連鎖して通じていくことを感じます。

Aさんには2人の子どもが居られます。
実際はどうか知りませんが、Aさんの目にはいつも喧嘩している姉弟と映っているようです。
あるとき、Aさんは姉のほうにゆったりと関わる時間を持ったそうです。Aさん自身に気持ちの余裕があったと聞きます。
その後、弟に優しく勉強を教えている姉の姿があったそうです。

自分が優しい気持ちになれるとき、その気持ちを受け取った姉が弟に対してもその優しさで接していく…「思い」が伝わって流れていくんですね。

私も子どもたちを見ていると思うのですが、親が誰かにきつくあたると、その子は下の子に対してきつくあたっています。
上の話とは逆の連鎖ですが、こういうことってありますよね。

また、そういうときの姉から弟への言い方が、母親や私の口調にそっくりでドキッとします。
私の伝えた「きつさ」がどんどん流れていくんですね。

ですから、まず私が「優しさ」を流してあげることが出来ればいいですね。
でも、まず誰かからもらえれば、容易に次の人に流せていけそうです。

Aさんは、仏法と触れ合うことで、仏様からのあたたかいものを受け取っていることを喜んでおられました。
そのことは、また別の機会に。

 

 34-「まず家庭で話し合ってみる」
 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 34

2008-12-05 23:35:31 | 親子コミュニケーション

先日の養成講座実習で、本来の部分とは外れたところでのことですが、カフェで一緒に実習に参加してた皆さんとお茶を飲みながらいろんな話をしていました。
ちょうどその日、学校(寮)に喫煙室を作っていたというニュースがあり、そのことから話題が広がりました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081130-00000030-jij-soci(時事通信)

ある人は「喫煙してはいけない子どもの喫煙を容認することはけしからん」と言い、ある人は「正論ではあるけれど、禁止して隠れて吸われるより、現状としてわかる場所で指導する方が現実的だ」という声があありました。
私は後者の方の考え方に賛同しましたね。
「駄目」といわれても、吸う人は隠れて吸いますしね。
そうやって目の前で吸う人が居ないことで「うちには喫煙者がいません」と現実に目をつぶって良しとするより、喫煙者と向き合って、コミュニケーションとって行く方が大事じゃないでしょうかね。

そこから、「国によっては子どもに避妊具を配布している」という話題になりました。
そのことも、上で「けしからん」という意見をお持ちの方は「理解しがたい」という考えかたを述べられました。
その話題をされた方は、ただ避妊具を配布しているのではなく、HIVの問題などに真剣に通り組みながらどうすればHIVをなくしていけるのかへの取り組みだ、ということを教えてくださいました。
「HIVが問題だからSexをするな」という方法がいいのか、「まずはHIVの対策のために避妊具を」という方法がいいのか。
後者のほうが現実的でしょうね。
ただ、「そういう指導をして、それまで興味のない子にまでSexに興味を持たせて良いのか?」という考え方もわからないでもありません。
しかし、すでに世界ではHIV患者の増加は大問題ですよね。

喫煙にしろ、HIVにしろ、「自分の子どもは大丈夫・無関係」と思いたい気持ちもわかります。
でも、いくら自分の子どものこととはいえ、100%すべてを知っているでしょうか。
そういうことは無関係と話題にしない家庭が増えるからこそ、喫煙の危険やHIVの恐ろしさを子どもが知らないままになってしまう。
そうやって、本来一番自分の子どもを護りたい家庭で教えたりしつけたりせずに、学校などにそういうしつけを丸投げしてしまっているということも問題だと思っています。

家で「タバコは身体に良くないから、せめて身体が成長する成人になるまでは吸わない」ということをちゃんと教えている家はどのくらいあるでしょうか。
理由も告げずに、「決まっているんだから駄目」と締め付けるだけならば、当然反発する気持ちが起こってきます。

「HIVが恐ろしいから、それに子どもができても育てるのは大変だから」と簡単にSexしないように教えている家庭はどのくらいあるのでしょうか。
せめて「避妊することがHIVの予防にもなる」と教えているでしょうか。
「自分の子どもにかぎって関係ない」と決め付けたり、「駄目なものは駄目」と理由なく締め付けてはいないでしょうか。

そういう指導を学校や社会に任せるのは間違いだと思っています。
本来、家庭の教育の範疇です。
同時に、それは家族での大事なコミュニケーションの時間だと思います。

そのためには、一方的に押し付けるのでもなく、逆に見て見ないフリをするのでもなく、「どう思う?」と聞いてあげることから始まるはずです。
そして、どういう考え方を持っているにしても一度は受け止める。
いきなり否定していては、その後何も話す気にならなくなるでしょうから。

おりしも、大阪府で「ケータイ校内禁止令」が話題になっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081205-00000010-yom-soci(読売新聞)
橋下知事の発言なので余計に話題になっている感もありますが。

これも、本来わざわざ知事が指導することじゃないはずですね。
授業中、携帯を使用しない…ってことを家で教えてないんでしょうかね。
まぁ、マスコミは火種を大きくすることが好きですから、話題は学校へ持っていくことに摩り替えて「防犯のために必要だ」という親の反論を引き出して煽ってますが…
本来は「授業中に携帯でメールしたりしている」ことの問題だったと思うのですが。
知事は知事で、その話題を学力低下対策にくっつけてるので話題がややこしくなってますけどね。

こちらも話題がそれましたが、ようはこういうことでも家庭で話し合って、「何が良くて何がいけないのか」と、「今どういう現状なのか」を親子で話し合ういい機会じゃないかと思います。

ひとつ注意が必要なのは「昔はこうだったから」というのは積極的な理由にはならないってこと。
時代は変わっているし、物心ついたときからゲームも携帯も当たり前のようにある状況では、当然考え方は違いますからね。
「今はあたりまえ」というのを受け止めた上で、「でもこれは問題がある」ってことをしっかりと話できたら良いですね。

今までの話題も参考にしてみてください。

 33-「親の6大NGワード」
 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」

  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ


親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 33

2008-11-11 00:22:42 | 親子コミュニケーション

以前、ふと見ていたテレビ番組で画面に映し出されていたものが気になり、写真を撮っておきました。
いつかブログのネタに出来るかなと…。

どういう経緯でこの言葉が出ていたのかは忘れましたが、その当時はちょっと違和感を持つところもあったと思います。
今の私で、あらためてその言葉を考えてみたいと思います。

「親の6大NGワード」とされています。
これがベスト6かどうかは分かりませんが、それぞれに意味はありそうですね。

「なんでこんなことができないの?」
これはNGでしょうね。
まず「これはできる」「できて当然」という親の側の「期待」「決め付け」があります。
それに対して、「今はここまでできる」という状態を受け止めずに、否定する…。
子どもにとっては悲しいでしょうね。
もっとも、親がそう思いたい気持ちを否定するつもりはありません。
「もっとできるはず」という思いをもって育てていくのも当然でしょう。
ただ、「今、ここ」の状態を認めてあげて欲しいんです。

「お兄ちゃんはそんなことしなかったわよ」
これもNGですね。
兄弟で比較する…よくやってしまいますよね。
これは私の考えですが、たとえば兄弟で2歳違いの場合、お兄ちゃんは2年成長していますから、いろんなことができたり、余計なことをしなくなっています。
でも、2年前はそんなこともなかったんでしょう。
ところが、今のお兄ちゃんを見ていると2年前も今の弟よりましだった気がする…てことはないですかね。
「今のお兄ちゃんの姿」というフィルターを通して、2年前のお兄ちゃんをイメージし、今の弟と比べる。
まぁ、そういうこととは別に、誰かと比較されるのは大人の自分でもいい感じはしませんよね。

「あなたはいつも…」
これは、どういう意図でここに入っているのか良く分からないんですが、何か怒ろうとしたときに、過去のことを引っ張り出してくるということでしょうかね。
だとしたら、それもNGですね。
とはいえ、結構気づかずにやってるんじゃないでしょうかね。
「前もこうだった」「何回も言ったけど」
そういう怒り方をされると、聞くほうも「またか…」となっちゃいますしね。
まぁ怒る側としては、同じことを何回も言わさないで欲しい、成長して欲しい、という思いがありますから、ついつい口に出してしまうでしょうけどね。
今指摘したいことは、過去のこととは切り離して、単独の問題として指摘するほうがいいと思います。

「みんなやってるじゃない」
これも比較の意味でしょうかね。
周りがみんなできていたら、自分の子どももそうあって欲しい…まぁ当たり前の感情でしょう。
でも、やはり比較というのは、されるほうは辛いことです。
逆に「みんな持ってるから、携帯買って」といわれたらどうでしょう。
「他所は他所、うちはうち」なんて返してるんじゃないでしょうかね。
「みんなって、あなた以外はみんな持ってるの?あなたが最後の一人?」っていうのもありますか。
つまり、「みんながこうだから…」っていうのは納得しづらいものですね。
「みんな」は置いといて、「あなたはどうなの」というところで相手してやりたいものです。

「テスト100点とってえらいね」
これもどういう意図で入れているのか…
そのときの状態をほめてあげるということでは良いと思うのですが。
もしかしたら、「100点だから良い」という考えが「100点以外は駄目」ということの裏がえしでNGにしているのかもしれません。

「ふざけるんじゃない!」
これも意図が分からないのですが…
言葉遣いってことでしょうかね。
そのときの子どもの思惑を無視して、一方的に「悪いことをしている」と決め付けて怒鳴ることに対してでしょうか。
大人にとって「ふざけていること」でも、子どもにとっては意味があってやっていることもありますよね。
たとえば、私が寝ているときに背中に乗ってどんどん暴れる。
そりゃ「ふざけるな」といいたくなります。
しかし、普段こちらが機嫌のいいときに「背中に乗ってマッサージして」などというと、子どもは喜んで背中の上でステップを踏みます。
休日の朝、なかなか起きないお父さんに「疲れてるんだな、マッサージしてあげよう」と子どもが思っても、本来責めるべき事じゃありません。
でも、その思いが分からずに、「ゆっくり寝てたいのに」というこちらの都合で応対してしまう…。
「疲れてるから、マッサージしようと思ったのに」などといわれると、大人気ない自分を反省し、ぎゅっと抱きしめて「そうかありがとうな」…というのが理想ですが、そういうときでも「そんなこと、言われたときだけやれ!」とさらに追い討ちをかけてしまうこともあります。
それはもうNGですよね。

「ウソつきはドロボーのはじまりよ」
うーん、作者はなぜこの言葉を入れたのか…
うちの場合は「ウソをつくのも罪で、それで地獄にいかんとあかんのやで」と言いますが…
こういう脅すような言葉で押さえつけるのじゃなく、「どうしてウソをついたの?」という風に、丁寧に子どもの気持ちを聞いてあげるべきだということでしょうかね。
それならわかる気がします。

もうちょっと画面全体を撮っておけば、ヒントがあったかもしれませんね。

でも、こうして普段何気なく使っているであろう言葉を、一度丁寧に振り返ってみるのは大事なことだと思います。
こういう言葉を使っていて「駄目だ」と自分を責めることじゃなく、まずは「そうか、これは良くないのか」と受け止めるだけでいいと思います。
そのまま、気にせずに使い続けるよりは、次使いそうになったときに思い留めることができれば、一歩進めますしね。

 32-「がんばれ」と「がんばる」と「がんばった」
  31-話を最後までちゃんと聞く
 30-21~29のまとめ
 20-11~19のまとめ
 10-1~9のまとめ