コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

親まなび委員会研修会

2013-01-11 02:02:37 | PTA

この研修会は、本来京都市中P連の行事なんで、小P連の私は本来部外者。

でも、市P連の常任理事会で内容をお聞きしたときに興味を持ち、よほどの予定がかさならなければ聴きに行きたいなと。
で、実現しました。
(K中P連会長、S親まなび委員長、快く受け入れてくださってありがとうございます)

で、なにに興味を持ったかというと講師の古川先生に。
カウンセラー・スーパーバイザーということなので、普段「聞く」をメインにされている方が「何をどのように」発信されるのだろうという興味。
また、「シンガーソング・カウンセラー」とはどういうことなのか。
私自身、「聞く」に勝ることはないと思いながら、こうしてブログでなんやかや発信したくなっているし、よくよく考えてみれば真宗カウンセリング研究会がらみ以外ではあまりカウンセラーという方と触れ合っていないし・・・
と、内容よりも興味先行なのが正直なところ。

で、いざお話を伺うと、話しなれている名調子で、引き込む術に長けておられるなと。
なので、そこは引き込まれるままにお話の中身を聞かせていただいた。

話題の軸は「孤独」とはどういうことか。
本来、コミュニケーションをとって関わりあうことが「人間」としての本質なのに、自分(自分の価値観)を守るために、どんどん孤立化していく。
それが「うつ」につながったり、中高年の自殺につながったり。
その底には経済主義があって、「自分は損をしたくない」という思いがますます孤立化を進める。
損得を越えて、周りに施していくと、結果つながりができて自分に還ってくる。

メモを取らずに印象に残るまま聴いていたので、かなり私の言葉になってると思います。
興味のある方は(私の言葉に惑わされずに)、直接先生のお話に触れてください。

途中、アドバイス的に話される部分があり、「しんどいこと、つらいことは、心に箱を作ってそこにしまって頑丈な鍵をかけてください」という話もあった。
その部分は、私としては「無理に仕舞いこまずに、しんどいときはしんどいまま、つらいときはつらいまま、起こってくる感情をそのまま経験することも大事だけどなぁ」という思いが出て来た。
でも、最後の歌で「どうぞ、そのままで」というメッセージを強く出されていたので、きっとそこに同じようなことがこめられているんだろうなと。
(ひとつの講演では少数派にスポット当てるよりは、多くの方に伝わる話のほうが大事ですしね)

傾聴、パーソン・センタード・アプローチに立つと、かなり聞き手の感情を喚起させる(誘導する)感じもあったので少し違和感もあったけれど、ゆっくり周りを見渡してみると、講演としてそういう流れによって、お母さん方の気持ちが緩和されていくのが感じられたので、そういう方向からも「そこにいる方を大事にする」ということが底辺に流れているとも感じられた。
私のアプローチとは違うけれど、これもアリだなということを教えてもらえた気もする。


このあたりは、ベーシックな傾聴を第一にしながらも「新しい傾聴」を模索していくヒントにもなりそうな気がする。

あぁ、今年もいろいろと刺激をもらっていけそうな予感

古川先生のHPもあります
http://tantant.net/kensyuu/top_ken.html


思いはあれども

2012-12-30 22:15:56 | PTA

仙台の話題もきっちりと幕引きしないまま、月日だけながれ落ち着かないままになっていることを反省しつつも、このままでは年をこしてしまうので、挨拶だけでも。

今年はリアルでかなりの刺激を受け、ブログにされ反映できないままに終わってる。
その中でも大きなものを占めているのがPTA活動であり、夏の日P大会、秋の仙台訪問に繋がってる。

12月のPTA関係の会議や挨拶では、この二つの出来事で受けた思いをいろいろと話させていただく機会をいただき、そうやって話す(放す)ことで私自身客観視させていただくこともできた。
ということを、このブログで報告することで本当の一段落だろう。
そして、次のステップとしてそれらを含めてPTA活動は継続されていくということを伝えていくだろう。

また他方でも大きな区切りがあった。
そのことによってかなりの心的疲労が続いたが、ここ一月ほど、自分をくくっていた枠組みを見直し再構築する作業が進んできている。

まぁそのあたりはいずれ言葉にさせていただくとして、年が2012年から2013年に変わろうとも、おつきあいよろしく。


仙台訪問(PTAフェスティバル)3

2012-11-29 23:55:33 | PTA

荒浜小学校では校長先生が案内をしてくださった。
パッと見はしっかりとした建物が残っている。
しかし、1階部分の窓の破損などが震災の被害を訴えている。
なにより校舎だけがぽつんと残り、周りには何もない状況…

1階から順番に説明を受けながら進む。
建物と言うハードの被災状況だけでも心が痛む。
玄関から入ると天井に無数の傷がある。

流れてきた様々なものが傷つけていった跡だ。

2階に上がると、廊下の一番はしにあるベランダが目に飛び込んでくる。
鉄の手すりが折れ曲がっている。
この階にいた先生が目撃したものは、どんどんまして来る水かさ、やがて2階にも浸水してくる、そしてベランダの向こう側から押し寄せてくる家。
なんとか3階に駆け上がり無事だったそうだ。

4階は被災した地域の方が避難してとりあえず命をつないだ場所。
仲間を励ましたり、気遣ったり、そして救助されたあとに残された感謝の言葉などが残っていた。

屋上から見る周囲の風景は、更地にしてこれから発展していく再開発地区のようだ。
しかし実際は危険地域として、この周囲に生活圏は作れない。

一通り見せていただいた後、じっくりと校長先生のお話を聞かせていただいた。
夕暮れの学校は、電気が通っておらず明かりは一切ない。
見せてくださる資料を、見学者の携帯ライトが照らしながらのお話だった。

当時の状況などいろいろお話いただいたのだけれど、一番最初におっしゃった感謝の言葉が印象的で、マスコミなどのどんな言葉よりも響いて離れないもの。

「皆様のおかげで、やっと普通のことを普通にできるようになりました」

ここでおっしゃった”普通”は、1年8ヶ月経って、ほかの学校に場所を借りながら「授業に子どもらが出席してこれる状況」のこと。
そういう最低限のことすらままならなかったんだと言うことがこの言葉には込められてるように聞こえた。

本来の家があり、本来の学校があり、本来の級友が集う…それが”普通”だという感覚の私がいる。
さまざまな支援が行われ、1年半以上経って「復興」という基準で語られるようになっているけれど、実際はまだ「復興」以前の状態であるということを思い知らされた。

もちろん、東北の方々は復興にむけて一生懸命前を向いておられるし、力強さも感じる。
でも、「復興が進んでいるから、私たちの支援はもう良いかな?」なんて錯覚するのならば、それは怖いことだ。
それはなにも、瓦礫の撤去や整地が進み、建物が補修されることが、復興が進んだということではない。
ランドセルが被災地の子どもに行き渡る事が復興が進んだということではない。

私たちが”普通”と思うことが、被災地の方も「これが普通」だと思えるような状況になって、やっと一歩進めんるんだと思う。

今回被災地を訪問して、今後いろんな場所でこの経験を話させていただく機会があると思う。
ひとつは女川町で感じた、人が生活していた空間を肌で感じたこと。
もうひとつはこの校長先生が伝えてくださった「普通」をめぐる思い。
せめてこの二つは、私なりの言葉で伝えてみたい。

 


仙台訪問(PTAフェスティバル)2

2012-11-18 23:51:52 | PTA

先ほどバスを降りていた場所から見上げていた高台の病院へ移動する。
倒壊していたビルを含め、あたりが見渡せる場所だ。

今は静かな"広い”港。
しかしここには"街”があり”人々”が存在していた。
この高台まで水が来ていたということだ。
この女川町での被害、約600名
ネット上で調べるとただの数字だが、この空間にはそれだけの命を飲み込んだ事実があった。
なにもない広さが、メディア・ネットを通してみる絵とはちがう、空気・感覚を伴った形で迫ってきていた。

この高台の端に立てられた慰霊碑が生々しい。

なんともいえない感じを引きずりながら、再び仙台市内への道に着いた。
その道の両側には1階部分が壊れたままの建物がこれでもかと続いていた。


だが、先ほどの港で感じた衝撃を超える感じはない。
ただの無機物な感じだ。
そう、港では”生命の感覚”と対峙させられていたのだ。

仙台市に戻ると、荒浜小学校を案内していただいた。

つづく

 


仙台訪問(PTAフェスティバル)1

2012-11-16 00:04:40 | PTA

先週末、仙台市でPTAフェスティバルが行われた。
京都市PTA連絡協議会常任理事としてお手伝いに赴いた。

ちょうど一年前の仙台PTAフェスティバルに参加した方々の話を聞いたことを思い出す。
(一年前のアップはこちら)
そのとき、直接肌では感じていなかったが、肌で感じてこられた方々の言葉を通して感じたものはあった。
心打ち振るわせた人がいるという事実。

今年もPTAフェスティバルの前日に視察があるというので、それも含めてご一緒させていただくこととなった。 

 

まずは仙台空港に降り立つ。
 

東北地震の被害映像の中でも印象的だった空港が飲み込まれていくシーン。
しかしそこにあったのは、普通に機能している空港であり、3階ロビーから見渡せる風景は、どこでも見られる地方空港のもの。
 

「あぁ、復興は進んでいるんだな」という印象を受けた。
1階ロビーには巨大なタペストリー。
仙台の人々はがんばっているんだという力強さを感じた。
 

同行するほかの都市の到着を待ち、お迎えのバスが来て出発。
運転・ガイドは仙台市PTA会長自らしてくださる。
そして、空港ら離れて5分もしないうちに、目に飛び込んできたものは未処理の瓦礫の山。

ただ単に空き地に集められているのではない。
もともと建屋があった場所が”空き地”になり、そこに集められているのだ。
復興が進むためのステップ…このころはまだそういう風にしか思えなかった。

高速に乗り、市内を北へ進む。
この高速道路が高架ではなく盛り上げた形で高い位置を走るように作られているおかげで、海側から来る津波を食い止めて、街側の被害を食い止めたと聞いた。
比較的新しい家は、波を受けて助かったのか、震災後新たに建てられたのか。
少し進むと波にやられてまだ復旧できていない田畑の風景が続く。


ボランティアさんたちによって、大きな瓦礫や細かい瓦礫が撤去されてやっと田畑の姿になって居るが、耕作ができる状態ではまだないという。
対して、波が食い止められた街側は青い田畑が見かけられる。
雑草も生い茂っている。
 

しばらく進み、仙台市を抜けるあたりになると仮設住宅の姿が見られるようになってきた。
 

写真はうまく取れなかったが、途中にある学校にプレハブの校舎が建っていた。
地震の影響で、校舎を耐震補強するための仮校舎かと思っていたら、その先に仮設住宅が。
これから行く海に近いあたりで被災した方々が、海から離れた内陸で生活されていると聞く。
道沿いに、1kmほど仮設住宅が続いただろうか。

おそらく先ほどのプレハブ校舎は、仮設住宅生活している児童が増えたために建てられたものだと、あとで思いが至った。

やがて、入り江となった海に面したところに出てきた。
このあたりでは家は残っているが地盤沈下でしっかり造成された道路部分から数十センチ沈み込んでいるそうだ。
 

やがて目的地の女川町がせまってきた。
道の両側に並ぶ、もともと家が建っていた基礎部分が続く。


そして目の前に現れたのが広い広い海に面した土地。
一見、埋め立て造成地にみえるが、ここは港であり駅前であり、栄えていた場所だと聞く。
「そのビル、おかしいと思いませんか?」とガイドさんの問いかけ。
ここに来るまでの市街地で「工事でシートがかぶされたビルがいっぱいあります」と聞いていたので、このビルも緑のシートをかぶせて工事中なんだと思っていた。


「見えているのは屋上部分です」
しばらく意味がつかめなかった。
そして横をすり抜けるときに、ビルが横倒しになっていることが理解できた。

進むと、ほかにも同じようなビルがある。

バスを降り、見学した。
水際まで平坦な更地。

そこにぽつんと残る横倒しの廃墟。


説明によると、後ろに見える高台の施設、そこの2階まで水がきたそうだ。
 

車に乗り高台にある総合体育施設へ。
ここが当時の避難場所であり、現在は仮設住宅になっている。


再び海側へ回り込むと、そこは瓦礫置き場。
先ほど更地のようになっていた場所は、これだけの瓦礫が撤去されて更地になっていた
ということだ。

 

 つづく


支援学校地域交流会2012

2012-07-20 13:12:51 | PTA

気がつけば、また数週間更新していない。
かなりの時間をPTA活動、特にこの夏の大イベント「日本PTA全国研究大会 京都大会」に振り向けている。
いや、これが本職と言うことではなく、空いている時間の大半と言う意味だ。

このPTA活動が負担かというと、そういうことではない。
そのおかげでいろんな人と出会い、経験をし、研修会などで新たな知識を得ることが出来る。
これは今の私に必要な流れだ。

そんな一つ「呉竹総合支援学校PTA地域交流会」に先週参加してきた。
昨年に続いて2回目。
(昨年のこともブログにアップしている)

そこで話された内容をどのくらいまでここでアップして良いか迷うところも在るが、わたしが出会い、聞かせていただいたことに深く教えられた部分を中心に。

今回の講習はひとりの保護者の方のお話。
福島に在住されていたが、原発被災により京都へ来られた。
その経緯と感じられている事のお話だ。

被災地での生活は、京都に居る私には”知識”レベルでしか知ることはなく、想像の世界でしかない。
しかし、同じ体験をすることは出来ないが、実際に体験された方のお気持ちを聞かせてもらうことから始まるものがある。
さらには「障害児のための学校」という限定された状況では、被災地で出来ることにもかなり制限があるということ。
もちろん、もろもろの制限はそれぞれの立場であることでもあり、どれがきつい・軽いということではない。
たまたま、今回は「被災地で障害児と共に生活することの困難さ」を語る方が目の前に居られたので、想像だけで終わらないレベルで教えてもらえた。

その状況を変えるために県外への疎開を検討されたのだが、そこにも問題が山積していたそうだ。
様々な理由による「受け入れ拒否」
そんなバカなとも思うが、実際に「被災地の人のために」といっている口で「震災がれきの受け入れはちょっと…」ということが現実に在るのだから、その立場の方にとってはとても悲しまれ苦しまれたことだろう。

この話をしてくださった方が訴えられていたのは、こういう現実を何とかしてくれでも、この気持ちに同情してくれでもない。
こういうことが今なお続いているという「事実」を知ってください、ということだった。
そして「居場所」を求めている人が一杯居るということ。

他の方から聞いたお話でも、「同情や支援もありがたいが、終わったことにされるのが一番怖い」と聴いたことがある。
原発再稼動の問題にシフトしているきらいがあるが、「では福島(東北)は今はどうなんだ?」という視点も忘れないようにしたい。


後半はグループに分かれてのワーク。
会長さんとお知り合いになっているからか、進行役をおおせつかった。
体育館一杯の参加者が、何十というグループに分かれて、丸くなって話する。
すぐ背中には別のグループがあり、あちこちの熱気あふれた声が響いてくる。
ワークとしては厳しい環境だが、私のグループに入られた方もそれぞれ思いを持って参加されている。
限りある時間ではあるけど、できるだけ話されている方を大事に、それでいて全部の方に機会を持てるように配慮していた。
語られる中身は、みなさん「自分」の話なので、評論的や一般論ではない形で深く重い。
だからこそ、一緒に居るメンバーで共有(共感とは違う)してうなづいていく。

周囲の無理解ということがひとつのテーマとなったが、理解しあうためにはコミュニケーションをしていく事が大事だというところに話が進んだ。
というか、私が話をするとそうなってしまうのだが。
ひとつの形として、自分の子どもの話をちゃんと聴いているかの確認。
そこから相手の話を聴いているか、どう聴いてもらえば伝わった感じになるかってところを分かち合い…しかけたところで時間となった。
ちょっともったいなかったが。

私のグループには、先に講演してくださった方も入られた。
大勢の前では恥ずかしくて挙手できなかったが、同じグループになったご縁で
「ようこそ京都へ来てくださいました」
と、このご縁を喜ばせてもらい、ここが居場所になればいいですね、とお伝えした。

いちどに多くの方と関わりを持つのは難しいが、ひとりひとりの「ここに居ていいんだ」と感じる機会が広がっていけば良いなと思う。


「ヒヤリ・ハット情報」マップつくり

2012-06-29 00:10:00 | PTA

京都府安全まちづくり推進課が行なった「『ヒヤリ・ハット情報』マップつくり説明会」に参加してきた。
これは京都各地区の「子ども見守り隊」向けに案内されたもので、ウチの学校ではPTA会長も「安心安全委員会」に所属しているので、見守り隊としてお誘いがあった。
上手く日程が空いていたのと(後になって別の予定が重なったが)4月以降の交通安全見直しに役立つのではないかと、事前から期待していた。

今回のメインは、スマホを利用してつくるマップ。
実際に地域を歩きながら、危険箇所についたらGPSとマップで場所を指定し、その場でどういう危険があるかを打ち込んでいく。
場合によっては写真をとり、一緒に送信する。

そのデータを集約し、マップ上に反映していくことで安全マップが出来上がり、パソコンなどを通じてだれでも情報を共有できると言うもの。

普段スマホを使っていたり、ナビで地図上の情報を検索したことがある人ならさほど難しいシステムではない。

情報を打ち込むソフトも、かなり簡単に使用できるよう配慮されている。


説明のなかでは、どういう場所が「危険な場所」なのかという話から始まり、従来の学校で児童中心に作られるアナログのマップ作りの取り組みなどが紹介されていく。

そして、今回のシステムの説明。

今回の説明会に参加する前に、FB(フェイスブック)の方に
「マップ作りも重要だけど、これを利用してPTAと地域で活動するきっかけにして、協力して安全意識向上へつながれないいなと。」
と、書いていたけれど、まちづくり推進課の方の主旨もそこにあったようで、情報の共有と安全意識のための”ツール”としてこのシステムを利用して欲しいとのこと。

このシステムを利用してマップつくりをしたければ、担当者に申し込むことで指導をかねて見回りに参加してくださるし、必要な機材(スマホ・タブレット)の貸し出しもしてもらえる。
一度マップを作ってからは、自分のスマホにソフトを入れておくことで、情報の更新や、別の機会に見回りをしなおすことも出来る。

後半は質疑を交えながら、セキュリティに対する不安や問題点なども答えてもらった。
私としては、システムとしても使い勝手があるし、地域との連携手段のきっかけとしても活用できると思う。


と、ここまではシステムの話だけど、今回の説明会で感じたこともいろいろと。

まず、参加者の多くは「見守り隊」として現場で子どもたちを見守って下さっている方が多いのだろう、半分以上が年配の方だった。
なので、システムのこと以上に「現状への不満」が質問の多くを占めた。
担当者さんは根気よく答えてくださっていたが…。
あと、スマホやタブレットを使うことに対する不安感はかなりあったようで。

この質問タイムと、個別に質問されている方の話を聞いていると、根本の部分での不満が聞き取れた。

ボランティアとしてや自治会の役割として「見守り」をしているけれど、学校やPTAにもっと協力欲しいという感じがありあり。
この辺はいつかまとめてみたいとも思うけど、各立場でのできることとして欲しいことに差があること。
そりゃあ、時代が違えば家族構成も違うし、仕事などに拘束される時間も違う。
同じようには行かない。
でも、「子どもの安全のために」というテーマがあるのだから、ここは大人のエゴではなくて、「少しでも今より良い状態に」というところで手を結んでいければな、と。

うちの自治体でも来週会議があるし、その前に学校で役員たちと話しする機会もある。
このシステムをせいぜい利用させてもらおうかなと。
(ってこれは、私のエゴか?)


最後に閑話休題
今回の質問タイムで私が聞いたこと…
「府の事業で行なっているが、市立小学校の行事で行なって問題ないですか?」
答えとしては企画段階で市の協力も得ているし、協力してもらう警察は「府警」として市内の地域と活動してますから大丈夫ってこと。
いや、”市”と"府”の関係を気にしている私がもろに現れたなと(爆)


システムはまだ本格稼動していないので、ネットなどで詳細を見ることはできませんが、依頼すれば説明会や資料をもらうことは出来ると思います。
担当さんと名刺交換してますので、興味のあるかたは私へご一報を。
manu.takahashi@nifty.ne.jp 

関連事業として「京都府府民協働防犯ステーション」についてはこちら


山の家2012

2012-06-08 00:21:29 | PTA

相変わらずなかなか更新できないでいますが、日々様々な刺激を受けて過ごしています。
前回アップしたエンカウンターグループ以降も、ミニカウンセリングの研修会が毎週ありますし、PTAの行事もいろいろと。
また、8月の日本PTA研究大会の準備も着々と進んでいます。

そんな中、今年も「花背山の家」の長期宿泊体験のお手伝いをしてきました。
昨年も書き込んでいます。
http://blog.goo.ne.jp/buddist18/e/57b8a8772c7efbcbf8e45d0452625a4e

今年は月曜に出発して金曜に帰ってくるという日程。
保護者のボランティアも平日だとなかなか厳しいものがあります。

ただ、参加する学年は今年一クラスだけ。
児童数が少ないと言う利点はありますが、その分担任の先生は一人だけ。
一人の先生が2泊以上できないので、半分は担任以外の先生が面倒を見ることになります。(もちろん、校長先生や教頭先生も交代での参加です)

他の先生も普段から接してはいるのですが、やはり子どもたちにとって「担任」というのは特別の存在で、居るとき居ないときでは雰囲気が違うようです。


私は3日目から1泊してお手伝い。
3日目のメインイベントである、登山に遅れて参加。
遅れていって追いつけないと困るので、ゴール側から一人で山に入って合流します。
(普段、山に親しんでいるわけではないのでかなり不安でしたが)

まぁのんびりと自然を楽しみながら、普段は歩かない山道を歩いていきます。
合流の目安である「三本杉」はかなりのオーラがあり、昔の人がこういう自然に畏怖や敬意を表して奉った気持ちもわかる気がします。

夜は天体観測。
あいにくの曇り空ですが、月と土星を望遠鏡で見せてもらいました。
中学時代からの天体好きですが、土星を肉眼で見たのは初めてです。
先日の金環日食といい、今年は天体がらみで良い体験をしています。


こどもらは、やはり「すぐに静かにして話を聴く」というのは苦手なようです。
昨年はこの点をかなり書いていましたが、今年は少し違った目線で見ていた気もします。
怒られながらであっても、普段触れる事のできない自然に出会って驚くだけでも十分な体験だろうなと。

まあ、今年は私がいろいろと自然に触れて良い気持ちにさせてもらったってのもあるでしょうけどね。

4・5月とかなり複雑な精神状態にありましたから、こういう開放感はちょっと心に風を吹き込んでくれたようで、それ以降結構良い感じでいれたりもします。

その辺の心理状態に関する攻防は、書ける時が来たら書いてみましょう。


自分の気付きを無駄にせず、活かして行く事を大事に

2012-04-27 03:34:00 | PTA

昨日、「小P連総会」を無事終えた。
前週、23年度の理事と24年度の新理事による第1回目の「合同理事会」があり、これまでの1週間いろいろと準備してきた。
また、それ以前からも準備はなされてきたし、「無事総会を終えて、新年度の実働に移りたい」の思いは結実した。

思い返せば1年前に理事になり、それまで知らなかった世界に飛び込んだ。
その思いは、昨年のブログにしっかり記録されている。
合同理事会のことは「京都市小学校PTA連絡協議会」というタイトルで。
総会のことは「熱意との出会い」というタイトルで、前回書いたはぐくみ報告会の話題と一緒に。
(どちらもタイトルをクリックしたら飛べます)


今年、役員という立場になって理事会や総会で皆さんを迎え、説明する立場になっている。
その中で、いろいろと質問・疑問を受けながら応えていくけれど、初めての「役員」という立場なので「個人の思い」と「役員としての対応」のさじ加減がわからず、もどかしさを感じていた。
しかし、質問・疑問を発する方の気持ちは、一年前私が感じていたものそのままだった。
もう少し早くそのことに気付き、一年前の私のような人が出ないようにするべきだった。
役員となって新たに経験することに余裕がなくなっていたのは事実だけれど、それは言い訳でしかない。
情報が足りなくて困惑した経験を生かせていないのはとても残念な結果となった。

なので、この苦い経験を糧として、今後の活動に関しては「一年前の自分の目線」を取り込みながら、「自分ならばどういう対応が欲しかった?」を頭において動いていきたい。
いや、動いていくと誓おう。

去年のブログ見たら、われながら良い事書いてるしね。


考えてみると、この一年前に感じたことを原動力として、多少なりとも単Pや支部で”動き”を始めてみた。
もう一年、継続する機会をもらったんだから、さらに充実できればうれしい。
今日も校長とミーティングをして、5月にはいるとすぐにある「南支部総会」の打合せもあった。
単Pの役員会や選挙開票を欠席したので、その件もミーティングで説明してもらった。
かけもちなんで、周りの人にお任せ気味だが、ちゃんと動いていく。
とても楽しみな部分だ。


そして、一年前に小P連会長と出会って受けた影響。
それが、今年は役員としてサポートすることも増えながら、ひきつづき関わりを持っていけること。

今年、小P連の役員をすることが、降って沸いてきたことじゃなく、大きな流れの中で継続的につながっていることをあらためて実感しながら、今までの私の気付の実践をしていく事が大事だと再認識させてもらった。

いろいろブログに残しているので、これからは先に一年前の自分を思い返しながら、それを糧によりより活動を目指して行きたい。


流れはさらに大きく(はぐくみ委員会報告会に参加して)

2012-04-25 23:56:56 | PTA

今日は「はぐくみ委員会の報告会」と、引き続き「小P連の総会」。
そして夜は懇親会でした。

4月に入って準備してきたことが、総会を終えて一段落、これからは承認された内容にしたがって実践に移ります。
で、今日の日を終えたことで公言できること…今年度の京都市小学校PTA連絡協議会の役員として参加することになりました。
いやぁ、永年役員などをされてきた先輩がたが、最後の子どもが中学に進学することで小P連を卒業されていく中、私なんぞにその穴埋めが出来るかというと…。
でも、その人の代わりになることを求められているのではなく(求められても困りますが)私のできることをやるだけですね。


今日のはぐくみ委員会の報告会、昨年度一年の活動の報告会です。
昨年度は「発達障害」をテーマに、研修会や交流会が開かれており、その内容報告や各支部での取り組みの報告。
こうやって振り返ってもらうと、私にとってとても大きな一年になっていました。

昨年度のテーマに「伝える・受けとめる・広める」というものが採用されたのですが、これは小P連の「伝える」というテーマを聞いたときに、私がコミュニケーションワークを通じて学んできたことをついついえらそうに言ったことを引用して決められたそうです。

「伝える」ということを簡単にいうが、ほとんどの場合「伝え手」が言いたいことを言って「伝わっただろう」と錯覚していることが多い。
聴き手が「どう聞いたか」を確認して、伝えたかったことが受けとめてもらって初めて「伝わった」と言えること。
また、こちらの話を聞いてもらうためには、それ以上に相手の話を聞いてあげることが大事。
思いを吐き出してもらって、コップを空にしてもらってからこちらの水を注ぎだす。
満タンのコップに注いでも、あふれるだけで終わってしまう。
だから、伝えるということは先に「受けとめる」気持ちを持つことが大事。

こんなことを言ったような気がします。

あと、交流会のワークショップに参加した方の感想の中で
「わたしメッセージを教えてもらったことが印象に残ってます」と。
おそらく、私がファシリテーターをしたグループに参加した方で、親子のコミュニケーションに悩んでいるという話題の中で「伝え方の工夫で代わるきっかけになりますよ」と私が言ったことだと思います。
たとえで話されたことはまさにそのワークで話題にしたことで、「○○しなさい」ではなく、「○○してくれたらお母さんうれしいな」という伝え方。
あぁ、こういう風に今でも影響を受けてくださってるんだと思うと、とてもうれしくなります。

なんか自慢話のようになってきて恥ずかしい感じもあるのですが、私の中でたとえば「カウンセラー」という名乗りの元、講義のようにしてコミュニケーションワークを聴いてもらうのではなく、一緒にコミュニケーションしていく中で、私の中に培われたものが相手に伝わっていくことは、とてもうれしいことだな、と。
ちょうど今、その「名乗り」ということに関していろいろ考えていたので、余計に「肩書き」ではなく、この「高橋」の話を聞いてくれる方に、私の中にあるカウンセリングマインドや仏法に根ざしたものが伝わるのは、望外の喜びだなと。

 

もう一方で、この「発達障害の学び」ということが、この一年で大きく動いていることを感じました。
このテーマの研修会に出る以前、自分の子どもの傾向として「発達障害」のことが興味の中のひとつとしてありました。
それが、研修会や交流会で学ぶ間に、子どもの特性だけでなく私の中にある特性として、「発達障害」は身近なテーマになってきます。
そういうことをこのブログやエンカウターグループの中で話題にしているうちに、カウンセリング仲間の中に専門的に学び会を開いて「発達障害」と向き合っている方が居ることを知り、私も参加させていただくことになりました。
さらには、京都で新たに「考える会」を設立し、知識でだけではなく現実に「発達障害」と関わっている方々と活動していく流れに乗っています。

一年前に出会った「はぐくみ委員会」から始まった流れが、大きなうねりとなって動き出し、もしかしたら今後PTAの方に「考える会」の活動をフィードバックしていくことも出来るかもしれません。
これこそ”縁”というものだろうし、偶然のように思えることが、私にとっての”必然”だったと言える気がします。


この後の総会についてもいろいろあるのですが、まずはここまで。

このブログの一年前のエントリーを読み返してみて、ほんと必然の流れになる”種”があったなぁと思えたりします。
「熱意との出会い」

発達障害のことだけではなく、今年度役員になる流れも一年前に動き出してるのがわかって、面白いですね。