コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

秋期研修会 エンカウンターグループ

2007-09-26 00:43:50 | エンカウンターグループ
今日から、秋期研修会 エンカウンターグループが始まります。

2005年の春から、連続参加してきた真カ研の研修会ですが、今期はお休みすることにしました。
いろいろやることが溜まってきてることもありますし、10月以降の予定が流動的で、毎週参加することができるかどうか難しい感じもあります。

といいつつ、一番の理由は他にあったりします。
真カ研の場、研修会であったり月例会であったり、その2時間ほどは私にとってとても居心地のいい場です。何を言っても良い関係が出来上がっている。おかげで、自分自身でさえ気付かない自分の声に出会い、またゆっくりと向き合うことのできる貴重な時間です。

ところが、今の私にはそれが少し問題になってくる。奥底にある自分の気持ちと向き合うと”まずい”のだ。そこには「じゃあ、私はどうしたいのか?」と言う問いかけと、それに答えようとするものがあるのだが、ここしばらくはその声を横に置いておいて、本意じゃないことも含めてこなしていかないといけない時期になっている。

私自身、長い営業生活で、”本意じゃない”ものでも受け入れる訓練はつんできているので、今更それが苦痛と言うことではない。また、一度知ってしまった「本当の気持ち」と向き合う心地よさを捨てようと言うものでもない。
一旦向き合う「心地よいもの」を、「大事と知りつつ押さえにかかってしまうこと」が嫌なんだろうね。
それならば、最初からそいつに向き合わずに、奥底にとどめておけば良い。
ただ、以前の私とは違うんで、奥底に「在る」という感覚は受け止めて、しかるべきときがきたらゆっくり相手してあげようかと。そういう柔軟性はできてきてるんじゃないだろうか。

真カ研の場が心地良いのは、逆にいえば他の場ではそうそう自分に向き合ってやれる時間が無いと言うこと。
研修会を休んでおけば、流していけるんじゃないかなと。

こうして書いてみると、なんと勿体無いことをしてるんだろうと思うけど、奥底にとどめているものと毎週対面するのはかなりきついだろうから…これが今の私の”選び”

とっても不親切なブログになっちゃったけど、まあ私自身への記録と言うことで。

秋期研修会 打ち上げ

2006-12-15 02:03:43 | エンカウンターグループ
火曜日にエンカウンターグループの打ち上げがありました。
最後の2週を休んだ私は、皆とは3週間ぶりの対面でしょうか。私が着いた頃はほとんどの方が到着されていて、まさに始まろうかというときでした。そういう状況でしたから、なんか久々の私を温かく迎えてもらっている感じがして、ちょっと嬉しく照れくさい感じです。

テーブルが二つに分かれているので、話をする人は半分のメンバーが中心になります。正面に座ったYさんとも話しできましたし、Sさん、Iさんと正面側の方と色々話できたかな。あと、遅れてこられたY先生と久々にじっくり話できて嬉しかったですね。Yさんもホームページされていることを聞き、タイトルを教えてもらって訪ねてみました。私よりもしっかりと日記に毎回の研修会の感想を書かれていてびっくり。「あぁ、そういう気持ちで居られたのか」ってことがよみがえってきて、わたしも自分のブログで振り返ることが出来ました。こういう響きあう感じから育ちあうのって素敵でしょうね。これからもご縁がつづくとうれしいな。

宴会会場のあったところにカフェもあったので、二次会はそこになったのですが…どうも一次会が楽しくて飲みすぎたようで、カフェでの記憶があまり(ほとんど?)ありません。一次会で別のテーブルだった方々と近くに座れて、話が弾むはずだったのに…残念。

いつもなら若者に混じって、もう一軒くらいいけたんでしょうが、さすがに即帰宅。歩いて帰れないこともない距離ですが、電車に乗って…でもしんどくて一駅手前でおりて歩きました。ふらふらと…。

次の日が福井まで出張だったのですが、幸い客先の都合で夕方に行けば良く助かりました。

振り返ると、体調不良とともにあった10週間でしたね。打ち上げもそれを象徴しているようです。
年が明けたら冬期の研修会。こんどはミニカンです。
また、あらたな体験が待っていると思います。

秋期研修会 終了

2006-12-08 00:01:04 | エンカウンターグループ
先週の火曜日で秋期研修会が終了しました。
残念ながら、前回に続き2回連続欠席。

色々心配してくださる方もいるのですが、私自身は元気です。
息子がちょっと入院していた為に、夫婦のどちらかが付き添い、どちらかが残りの子どもも世話をしなければならず、外出できないという理由でした。
参加してたらエンカウンターの話題にできたんでしょうけどね。
今は退院して、自宅療養中。来週には登園できるようになるでしょうか。

さて、今回のエンカウンターグループ、最後はわかりませんが、結構静かなグループになったと思います。静かといっても、動きがないとか言うのではなく、ふかーいところでみなが味わっている感じでしょうか。話題的にも、世間でいじめや自殺が大きく報道されている中で、それぞれの関わりの中で感じるところをゆっくりと出し合い聞きあいしてたんじゃないでしょうか。

私自身の所では、ここ数回のミニカンを通じて、沈黙の底に流れるものを大事にするようになったことと合わせて、”受ける”形で話題に参加することを選んでいたように思います。ただ、昔のように無理して黙っておこうというものではなく、”黙っている自分”を意識してその場の空気を味わっていたように思います。

来週には打ち上げが有りますので、久々の再会を楽しみながら、得がたいグループの仲間と振り返ってみたいですね。お酒の場って結構深まりますしね。

秋期研修会 9回目

2006-11-22 00:04:32 | エンカウンターグループ
残念ながら、諸事情で欠席となりました。
しばらくその事情が長引きそうなので、来週も不参加になるかもしれません。
いい感じでグループが育ってきていたので残念です。話題も半分は継続性のあるものでしたから。

しかし、ただで転ぶMANU.ではありません(笑)
出られないなりに、その事情で出来た時間を使って西光先生の「暮らしの中のカウンセリング」を読み直しています。前に読んだのは10年は前になるでしょうか。私自身かなり変わってきていますし、初めて読むような感じもあり、実践で経験しているところを再確認しているところもあり、また今学んでいるロジャースさんを絡めて読めるところもあり、まさに今出会うべき本でしたね。
今、3分の1くらいですが、このまま最後まで読み進めるつもりです。

秋期研修会 8回目

2006-11-18 13:27:19 | エンカウンターグループ
先に月例会の報告をしたが、その前日の火曜日に8回目のエンカウンターグループがあった。今回は家の都合で遅れての参加になった。

久々に全員が顔をそろえており、最後に参加した私はなかなか話題に入っていけない感じがあった。いや、正確にはその話題にはすぐに入っていけるだけの思いがあったのだが、意識的に口を出すことをためらっていた。

理由の一つとして話題の流れと”違う立場”でその話題のことを考えていたので、発言することによって流れを切る、発言者が発言しにくくなるのではないかという危惧が合った。その話題の内容は避けるが、ある苦しみを訴える立場のかたが発言しているときに、私は訴えられる立場に思いが寄っていたし、苦しみを訴えられること、訴えられて判ってあげられているかが問われることに苦しみを感じていた。

このあたりは、課題として考えたいところだが、自由に話が出来るエンカウンターグループにおいて、どう転がろうとも許されることを大事に自由に発言するのか、相手に配慮して相手の自由を尊重することを大事にするのか…私は、どちらかが正解と言うことではなく、どちらを選ぶかも自由にさせてもらっているのではと受け止めている。そしてそのとき発言しない自由を選んで、最後の振り返りのときにあえて発言しなかった旨を伝えた。もちろん、そのことを受けてもらったり、そこから発展したりはしないのを承知の上で。しかし、そのことを言っただけでも、私の中のシクシクする痛みは少し和らいだ気がする。そう、口を閉ざすのは痛みを伴っていたのだ。

まだまだファシリエーターに任せてありのままふるまうことが出来ていないのかもしれない。1対1のミニカンだとかなりの関係を築けるのだが、複数いるとむずかしい。下手な配慮をしてしまっているようだ。しかし、回を重ねるごとに、そこに集っている「人」が判ってきた気がする。出会っていく感じだろうか。

いよいよ後2回、そして最後の打ち上げを迎えることになる。ちょっと淋しい。

秋期研修会 7回目

2006-11-14 03:03:42 | エンカウンターグループ
すっかり更新をサボっていました。
今回の研修会の前後、色々と心を動かす出来事(いいこと・悪いこと)があり、気持ちを言葉にするのを躊躇しています。単純に落ち込んでいるとか言うのではないのですが、バランスが悪いという感じでしょうか。
楽しいこともいっぱいあるのに、そこに影がついて回ってる感じもします。

さて、研修会も7回目です。
そういう複雑な感情でいながらも、エンカウンターのときは楽~に参加していました。経緯は書きませんが、前半と後半で二種類の話題があったように思います。私はその双方に心が動いて積極的に話題に関われた気がしますが、後半の話題である方がおしゃった言葉が残っています。

問題に直面したときに、立ち向かっていくのは大事で尊いけれど、「逃げてもいいんだよ」ということ。逃げることを勧めるんじゃないけれど、逃げてもいいことを知っているのと知らないのとでは、問題への関わりが変わってくるなと思いました。
私が受け取ったところで書いているので、発言した方のお気持ちに沿っているかは判りませんが、私はそう受取り、その言葉「逃げてもいい」ということを深く受け止めました。

残すところ、後3回です。

秋期研修会 6回目

2006-11-01 00:02:38 | エンカウンターグループ
今日は6回目のエンカウンターでしたが、お休みしてしまいました。
出張で仕方なくってことはあったかもしれませんが、体調不良でお休みは初めて。残念です。

ここしばらく色々と心に(重く)響くこともあったりしましたし、なにより睡眠時間をあまりとっていなかった状況が、身体にたまってきていたようです。日曜日に子どもが通ってるイベントを無事終え、今週末に大きな法座が控えていることもあるのでしょう。身体の方から「休め」のメッセージが発せられ、二日間寝込んでました。

もしかしたら、無理すれば仕事もできたのでしょうがねぇ。

身体の疲れもありましたが、気持ちの疲れもあるかもしれません。寝込んでいたらそういうことを考える暇もなく、しんどさにウンウン唸ってるだけですから、一種のブレーカーが働いたんでしょう。

もっとも、寝ている間に問題が解決するでもなく、先延ばしにしているだけでしょうがね。でも、悪い精神状態、身体状態では、ロクな思いに至らないでしょうから、必要なことだったと思っています。

なんとか、来週の研修会には参加したいので、身体と相談しながらやっていきます。

参加された皆様、ぜひコメントで様子を教えてくださいね。

秋期研修会 5回目

2006-10-28 02:15:58 | エンカウンターグループ
今回も忙しい日々の合間だったが、先週に比べたらかなり調子は上向き。自然と口も開く。対して、他の皆さんは結構お疲れのようだったが…

前半はYさんとMさんが中心。そこに私が加わるといった感じだけど、結構間に沈黙があった。確かに少し重たい話題ではあったが、私としては結構自分の身に引き寄せられる話題で、その沈黙の間にいろんな思いがわきあがってきた。ただ、そのことを口にするのは断片的な感じだったので、話題が広がらなかったようにも思う。

対して後半は「ぜんぜん違う話題になっちゃいますけど」とOさんが口を開き、そこから日常的な話題で話が広がっていった。

どちらがどうということではなく、沈黙をともなった重いものはそれで大事な時間だし、その中でそれぞれのメンバーの内でいろんなものが湧き上がり流れているだろうし、話題が広がったら広がったなりに、それぞれの中で起こっているものが表に現れている。

どちらも、グループが動いている感じを受け止めた日だった。

秋期研修会 4回目

2006-10-20 01:40:33 | エンカウンターグループ
火曜日のエンカウンターグループ、参加はしたのですが疲労がピークに達しており、そこに居るだけの感じでした。
本来身体を休めるはずの週末に急ぎの仕事が入ったため、土日をつぶし、さらに朝から夜中3時ごろまで機械を動かし続けないと間に合わない仕事。やっと、火曜日の午前に仕上げ、出荷してほっとした状態での参加でした。

少し遅れてこられた方もいましたが、秋期でははじめての全員参加。嬉しいですね。

前々回の「感情を押さえてしまう」ということと、前回の「相手に伝えたい気持ち」の二つのテーマが再び皆の前に出され、行きつ戻りつそれらの話題を共有しながらすすんでいった感じです。

私自身は、聞いてはいるのですが、「発言しよう!」というものも起こらず、しかし輪には入っている感じでした。

しかし、聞くというのは非常にエネルギーの要ることで、一対一のミニカンならば少ないエネルギーでも沸き起こして聞こうとする態度になるのですが、自分が中心にならなくても流れていくエンカウンターではそこに無理をしない私が居ました。

実は、ここに深い意味を感じていまして、以前なら「そんな引いてる感じではダメだ」とか「もっと聞かないと相手に悪い」=「悪く思われたくない」という気持ちに支配されているのが私でした。それが「一生懸命聞いていない」自分でもOKとしている。新たな境地を感じていました。またグループに参加したら、この辺をふり返って味わえるかもしれません。

この脱力しながら参加する心地よさで少し元気になったのかもしれませんが、このエンカウンターの後に知人から「よければ話を聞いて欲しい」という依頼を受け、そちらはいい感じで聞けていたように思います。「疲れた身体を鞭打って」という感じは微塵もなく、自然な感じで聞かせてもらえたなと。

秋期研修会 3回目

2006-10-15 00:01:36 | エンカウンターグループ
今回は前日までの3日間、華光会の仏教青年会大会に参加していたため、ちょっと疲労気味。普通は、大きい行事のあとは一日のんびりする日を入れるのですが、今回は急ぎの仕事を請けていたのでままならず。大分身体の重さを引きずっていた感じです。
一方、気持ちの方は3日間の法座で充実しており、勢いその話題になると身体の芯の火照りがよみがえってくる感じです。

今回、先生が遅れてこられるとのこと。また世話人さんもお一人を除いて遅れてこられるという、ちょっと落ち着かないようなざわっとした感じで始まりました。しかし、順番にチェックインする段になって、参加者の居場所が伝わってきます。手探りだった前2回に比べて、かなり参加者との距離が近づいているせいでしょうか。

自由な時間になってしばらく沈黙があったのですが、私の中には「沈黙を味わう」という気持ちと、「自分の中で蠢いてる、火照りを表に出したい」という二つの気持ちが揺れていました。結局、口を開き、できるだけ”自分の感じ”のところで話しようとしました。が、法座のことを仏教的なことや、体験的なところ…一種特殊な状況の説明を抜きに話することは難しいものがあります。わかってもらうには説明も必要でしょうが、自分自身が話したいと言うことと、自分で味わいなおしたいという気持ちから、なんとなく一方的な話に終始した気がします。あまり広がりませんでしたが、わたし的にはOKかな。

後半はSさんの人との関わりについて感じておられるところを中心に、数名がやりとりをして広がっていきました。内容はパスしますが、感じたこと。
わたしとしては「裏切られた」という気持ちを相手に”わかって欲しい”という感情が中心の話だと受け止めていました。その受け止め方に共感してくださる方も居ましたし、Sさんもそういう感じで居られたようです。ところが、別の方が自身の受取りと、それにまつわるエピソードを話されるうちに、Sさんの底にある別の気持ちに焦点が当たってきたようです。「相手に非を認めさせたい気持ち」これが明らかになってきました。

振り返ってみると、私はSさんの気持ちを自分に取り込んで、「わたしならこの気持ちが中心だ」というもので収めてしまっていた気がします。これは純粋にSさんの気持ちを聞いていくこととは違います。ミニカンだと、ひたすら聞いて行くことに焦点を絞りますが、エンカウンターの場合、聞き手と話し手が自分の中で混ざっており、相手の気持ちを自分に取り込んで発言する…ある意味、それもいまここの自分の気持ちではありますが、「発言を盗る」というか、一つの発言を大事にしないまま、自分の思いで薦めようとしてしまう。そんなことに気付きました。
一方で、一度は「こうだろう」と思っていたものが、複数の人の発言に触発されて隠れていた気持ちが出てくる…これはエンカウンターの醍醐味なのでしょうね。

結構、深いところで感じていました。

3日間の疲れで、無防備に言葉を受け止め、自分に力を入れずに関われていたおかげかもしれません。

「とのひろ」さんもブログに書かれています。