コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

「伝える」と言うこと2題

2012-03-03 16:09:21 | PTA

相変わらず入力過多で、発信している暇がない。

FBなどで、こまめに思いを吐き出しているので、淀んでることはないけれど。

 

昨日は、朝から夕方まで小学校の職業体験のボランティア、夜はPTAと地域の交流会。

この二つのイベントで「伝える」ということが私のキーワードとして残った。

というか、この「伝える」は何に参加するにつけてキーワードにはなってるんだけど。

 

職業体験は「スチューデント・シティ」と言うプログラムで、廃校になった中学校校舎を利用して13の企業ブース(うちひとつは区役所)に、生徒たちが所属して仕事を体験するというもの。

企業ボランティアの方が指導し、各ブースで子どもらが店長や営業など役割をもって仕事する。

 

私は「京都銀行」で子どもらをフォロー(というか後ろで見てるだけ)するボランティアで参加。

 

プログラムの中で時間を区切って、ほかの企業を回るお客さまになるグループと、仕事するグループになるけど、その約束事や注意点をこまめにミーティングで企業ボランティアから提示される。

しかし、1から10まで話されることを子どもらは全部理解しきれないまま進んでいく。

 

「最近の子どもらは話をちゃんと聞かないからなぁ」という声が上がる。

しかし、果たしてそれだけが理由だろうか。

 

確かに話をしても返事がなかなかなく、聞いているのか、分かっているのか不安になる。

 

ならば、「今の話をどう聞いた?」という問いかけをしてレスポンスをもらうと言う工夫はできないだろうか。

大事なことを繰り返し3度言って伝えるよりも、一度言ったことを「なんて聞いたか言ってみて」と復唱してもらうほうがはるかに伝わる感じがあるのではないだろうか。

伝える側が工夫できることは工夫する。

 

一つの伝えたいことを、相手に伝わったことを確認するまでは次のことに移らない…そのくらいの覚悟を持って伝えないと、「伝えた」という満足で終わって、「伝わった」という相手の状況を尊重しないまま終わってしまう。

 

 

夜は、PTAと地域の方が意見交換する企画が行われた。

そのままの交流だと、言いたいことを”勢いのある方”が一方的に言いだして、時には否定批判が中心になり困ったことになるので、教育委員会からコーディネーターを派遣してもらってワークショップ形式で行う「子育てほっこリ広場」というプログラムを通じて行った。

 

構成的エンカウンターグループでもある。

 

その内容は「ここで聞いたことはここだけの話しにする」というルールのもとに行われたので控えておく。

 

 

障りのない程度で、私の感じた大事な部分を書くとする。

流れが進むと「伝える」ということに関して話題が成熟していった気がする。

 

地域と子育てを連携するためにどういう試みがあるか話していくうちに、「イベントはいろいろあるのに参加が少ない→イベントが周知されていない」という側面が浮き彫りになった。

せっかく良い企画があっても、参加してもらえないのでは後につながらない。

なので、その伝え方を工夫する余地はないかと。

 

ここでもやはり「ちゃんと伝えてるのに」と発信側が留まっていると後に続かない。

「伝える」と「伝わる」は違う。

相手に伝わったことを確認できれば良いが、体面告知ではない書面配布では難しい。

「昔はもっと対面のコミュニケーションがあった」という側面もあるが、時間をかけてそういう地域づくりをするのも行いつつ、現状に合わせた”少しでも効果的な”伝達方法を工夫することから考えても良いと思う。

 

 

 

ワークショップ、エンカウター、カウンセリングをしていると、「伝える」というコミュニケーションに最大限の配慮を感じているが、まだまだ一般コミュニケーションでは「伝わっているもの」として話が進められていくことを、この日の二つの関わりで再確認した。

私が学びで気付いたことを(影響は微々たる物だろうが)発信していくことは続ける意味はあるかな。