コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

支援学校地域交流会2012

2012-07-20 13:12:51 | PTA

気がつけば、また数週間更新していない。
かなりの時間をPTA活動、特にこの夏の大イベント「日本PTA全国研究大会 京都大会」に振り向けている。
いや、これが本職と言うことではなく、空いている時間の大半と言う意味だ。

このPTA活動が負担かというと、そういうことではない。
そのおかげでいろんな人と出会い、経験をし、研修会などで新たな知識を得ることが出来る。
これは今の私に必要な流れだ。

そんな一つ「呉竹総合支援学校PTA地域交流会」に先週参加してきた。
昨年に続いて2回目。
(昨年のこともブログにアップしている)

そこで話された内容をどのくらいまでここでアップして良いか迷うところも在るが、わたしが出会い、聞かせていただいたことに深く教えられた部分を中心に。

今回の講習はひとりの保護者の方のお話。
福島に在住されていたが、原発被災により京都へ来られた。
その経緯と感じられている事のお話だ。

被災地での生活は、京都に居る私には”知識”レベルでしか知ることはなく、想像の世界でしかない。
しかし、同じ体験をすることは出来ないが、実際に体験された方のお気持ちを聞かせてもらうことから始まるものがある。
さらには「障害児のための学校」という限定された状況では、被災地で出来ることにもかなり制限があるということ。
もちろん、もろもろの制限はそれぞれの立場であることでもあり、どれがきつい・軽いということではない。
たまたま、今回は「被災地で障害児と共に生活することの困難さ」を語る方が目の前に居られたので、想像だけで終わらないレベルで教えてもらえた。

その状況を変えるために県外への疎開を検討されたのだが、そこにも問題が山積していたそうだ。
様々な理由による「受け入れ拒否」
そんなバカなとも思うが、実際に「被災地の人のために」といっている口で「震災がれきの受け入れはちょっと…」ということが現実に在るのだから、その立場の方にとってはとても悲しまれ苦しまれたことだろう。

この話をしてくださった方が訴えられていたのは、こういう現実を何とかしてくれでも、この気持ちに同情してくれでもない。
こういうことが今なお続いているという「事実」を知ってください、ということだった。
そして「居場所」を求めている人が一杯居るということ。

他の方から聞いたお話でも、「同情や支援もありがたいが、終わったことにされるのが一番怖い」と聴いたことがある。
原発再稼動の問題にシフトしているきらいがあるが、「では福島(東北)は今はどうなんだ?」という視点も忘れないようにしたい。


後半はグループに分かれてのワーク。
会長さんとお知り合いになっているからか、進行役をおおせつかった。
体育館一杯の参加者が、何十というグループに分かれて、丸くなって話する。
すぐ背中には別のグループがあり、あちこちの熱気あふれた声が響いてくる。
ワークとしては厳しい環境だが、私のグループに入られた方もそれぞれ思いを持って参加されている。
限りある時間ではあるけど、できるだけ話されている方を大事に、それでいて全部の方に機会を持てるように配慮していた。
語られる中身は、みなさん「自分」の話なので、評論的や一般論ではない形で深く重い。
だからこそ、一緒に居るメンバーで共有(共感とは違う)してうなづいていく。

周囲の無理解ということがひとつのテーマとなったが、理解しあうためにはコミュニケーションをしていく事が大事だというところに話が進んだ。
というか、私が話をするとそうなってしまうのだが。
ひとつの形として、自分の子どもの話をちゃんと聴いているかの確認。
そこから相手の話を聴いているか、どう聴いてもらえば伝わった感じになるかってところを分かち合い…しかけたところで時間となった。
ちょっともったいなかったが。

私のグループには、先に講演してくださった方も入られた。
大勢の前では恥ずかしくて挙手できなかったが、同じグループになったご縁で
「ようこそ京都へ来てくださいました」
と、このご縁を喜ばせてもらい、ここが居場所になればいいですね、とお伝えした。

いちどに多くの方と関わりを持つのは難しいが、ひとりひとりの「ここに居ていいんだ」と感じる機会が広がっていけば良いなと思う。