先ほどバスを降りていた場所から見上げていた高台の病院へ移動する。
倒壊していたビルを含め、あたりが見渡せる場所だ。
今は静かな"広い”港。
しかしここには"街”があり”人々”が存在していた。
この高台まで水が来ていたということだ。
この女川町での被害、約600名
ネット上で調べるとただの数字だが、この空間にはそれだけの命を飲み込んだ事実があった。
なにもない広さが、メディア・ネットを通してみる絵とはちがう、空気・感覚を伴った形で迫ってきていた。
この高台の端に立てられた慰霊碑が生々しい。
なんともいえない感じを引きずりながら、再び仙台市内への道に着いた。
その道の両側には1階部分が壊れたままの建物がこれでもかと続いていた。
だが、先ほどの港で感じた衝撃を超える感じはない。
ただの無機物な感じだ。
そう、港では”生命の感覚”と対峙させられていたのだ。
仙台市に戻ると、荒浜小学校を案内していただいた。
つづく