コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

依存症ということについて

2020-09-07 14:54:45 | 発達障がい支援
私は依存傾向があります
薬物依存やアルコール依存のような病的なものではありませんが、例えば収集癖が極度に固執するなどの傾向があります

ただ、固執といっても長期的に及ぶのではなく、その時々にマイブームになるものに捉われるという感じですか

好きなものの一つにプラモデル(いわゆるガンプラですね)がありますが、一度作り出すと、作り終えてもすぐ次の作品に取り掛かってしまう
途切れるのがいやなので、前のを作っている途中に次のものを買って補完しておかないと気が済まない
そのくせ、何かのきっかけでほかのものに気が行くと、何か月でも(作っている途中でも)ほったらかしにして平気だったりします

そのプラモデルに取って代わるのがゲーム
こちらは新しいものをどんどん買うのではなく、同じゲームを何度も何度もクリアしようとします
(いまだにWiiで遊んでます)

最近では、空いてる時間があれば、CDラックにあるCDをパソコンに取り込む作業に狂っていました
まぁ、こちらは前に取り込んでいたパソコンが壊れたので、新しいものにしたことを契機に、また、断捨離のためにCDを整理する意味もあるのですが
これも、やりだしたら固執していました

で、このCD整理をして気が付いたのは、ある時期に集中してCDを買い込んでいるということです
仕事で出張が多かった時期、新幹線を一本遅らせても、駅のそばのCDショップに立ち寄って、欲しいものをあさります
欲しいものがなければ、視聴コーナーでいろいろ聞いて、ふっと気に入ったものを買い込みます
こうなると、音楽を聴くことよりも、「持っていないCDを購入する」ということが目的になり、「買わずにいられない」という依存傾向がみてとれます

いろんなことにバランスよく時間を使えば良いんでしょうが、この固執するというところに「過集中」の傾向が見られます

と、ここまでは趣味的な話でまだよいのですが、ここからが本題です

この固執、依存傾向が、私の人生で大きな波があり、そのことであちこちに迷惑をかけたり、また私自身の身体を蝕むことになっています
この行動に現れる依存のもとは「褒められたい」「頑張っていると認められるとうれしい」という心の動きが根っこにある気がしています

20代のころ浄土真宗に出会いました
そこに依存という感覚はありませんでしたが
最初は今の連れ合いがお寺の娘だったこともあり、親御さんに気に入られることが目的です(褒められたい)
そしてご聴聞・求道するわけですが、自分のためというより周りの目を気にして、「若いのにえらいねぇ」と言われることがモチベーションだったように思います
その一方で、宗教的な邂逅など、依存とは別次元の話もあるのですが、それは別の機会にしましょう(それは損得を超えた世界ですから)

そうして、自分自身の求道から、聞法集団の運営をお手伝いすることになります
宗教的な境地を原点にしていますから、特別に報酬ももらわず、ほぼボランティアで空いている時間を提供します
(金銭的な提供もあります)
僧侶や伝道師の資格を取ることもしないので、職業としては活動しません
でも、問題ではありません
その活動に依存し、周囲から評価されることが本望だったからです

やがて、カウンセリングに触れました
伝道のありかたを、「超越的な存在と人間」としていたところから「人間同士の生身の交流」というところに、時にはクロスオーバーしながら、時には別のものとして取り組みます
ワークショップの開催や、世話役として多少の報酬はいただきましたが、カウンセラーとしての公式資格は習得せず、もちろん職業ではありません
でも問題ないのです
その活動に依存し、関わる方が喜んでくだされば本望ですから

時を同じくして、PTAにかかわります
最初は子どもが通う保育園の保護者会会長
4人もお世話になっていますから、頼まれれば断るすべはありません
結局10年間引き受けました
そこでいろんなお母さん方と交流があったことから、最後の子が卒園した後、小学校のPTAに誘われ、中学・高校と引き受けることになります
これが6年間
もちろん、PTAは無報酬です(時々公的な会議に出席して報酬をいただくこともありましたが)
多くの方は嫌がる活動でしたが、単位PTAから小・中PTA連絡協議会、市のPTA連絡協議会、果ては近畿や日本PTAと関わりが濃くなればなるほど、魅力的な方々と出会い、私の依存度はあがります
楽しいのです

さらには、カウンセリングやPTAの影響で「発達障がい支援
」の活動も始めました
こちらは活動しながらNPO化をすすめ、多少なりとも報酬につながることもありましたが、その立ち上げや活動に関わる時間的拘束や持ち出し費用などを考えると、経済活動とはいえません
PTAにしても、地域の学校のPTA活動だけなら(時間的負担はあれど)経済的に持ち出しということはありませんが、市や近畿など大きな組織になると、会議後の懇親会などで飲食代が発生します
多い時には週に2・3回会議があるときもありましたから
他人に任せられる大きな店や会社を経営してる方には少ない負担でも、個人経営だと時間がとられる分収入減少ですから、毎月どんどんたくわえを吐き出す始末

このように、私の依存感は満足させられたものの、仕事や家庭の時間、収入を削っての活動は弊害を伴います

その一番が、身体の不具合を省みずに、その時々の依存感に浸ったこと
まぁ、経済的な問題もあり、医者を敬遠していたこともあります
妹など、身近な人間を亡くしたことで立ち止まったとき、すでにあちこちガタが来ており、結果、それまでの技術的な仕事もできなくなるほどでした

もちろん、長い人生で考えて、仕事一筋で満足する方がいるように
公益にかかわって満足な私がいます
私が望んでいた、目の前の人に褒めてもらうことが、いろんな場面でできていたのですから(その分、身近な家族らに褒めてもらえませんが)
目の前の喜びに目を奪われて、大事なもの(健康や家族)を失う
形は違えど、薬物やアルコール依存で警告されていることと同じですね

ということで、依存症は恐ろしいというお話でした