今回の試験で、私の後ろで試験を受験された方も、ブログで試験合格の旨、アップされていた。
ふくさんも合格されたかしら?
「学士の学位なんて、たくさんあっても仕方がない」という意見は正論である。当然、評価されるのは「学士」より「修士」、「修士」より「博士」であり、「学士」が9つ集まっても、到底「博士」には及ばないと私は思っている。
この構図は「資格」にも当てはまる。社会的評価であれば、227の資格より、1つの弁護士資格の方が評価され、信用される。
ただ、前にも書いたように、「博士」を取得している人の数より、「学士」を9つ持っている人の方が希少であり、「弁護士」の資格を取得している人の数より、その他資格を200以上持っている人の方が希少である。
希少なだけで、それがどうした?と言われればそれまでなのだが、私にとっては、その希少性の方が「いとおかし」く感じてしまう。
私は、資格で食っているわけでもないし、学位を生活の糧にしているわけでもない。本業は他にある。だからこそ、このような、奇人変人的な生涯学習を継続することができる。
対外的な「切り札」として機構の学位を活用するのは、うまく相手に説明しないと、知名度がない分、不利である。ただ、生涯学習のツールとして活用するなら、これ以上のシステムはないだろう。
概ね、資格でも失敗するのは、過度な期待をもつ人である。資格や学位を取っただけで食べていけるほど、世の中は甘くない。しかし、予備校や専門学校に大枚学費を支払って、合格=投下資金の回収スタートと思っているなら、その甘い考えを改めるべきであろう。実務経験や、類まれなるセールスポイントがなければ、ペーパードライバーとなんら違いはない。
軸足をどこに置くかで、同じ合格でも「幸せ」な合格にも、「不幸せ」な合格にもなりえる。オンリーワンでない以上、偶然の合格にすがっていくのは、わたし的にはお勧めできないのである。
ふくさんも合格されたかしら?
「学士の学位なんて、たくさんあっても仕方がない」という意見は正論である。当然、評価されるのは「学士」より「修士」、「修士」より「博士」であり、「学士」が9つ集まっても、到底「博士」には及ばないと私は思っている。
この構図は「資格」にも当てはまる。社会的評価であれば、227の資格より、1つの弁護士資格の方が評価され、信用される。
ただ、前にも書いたように、「博士」を取得している人の数より、「学士」を9つ持っている人の方が希少であり、「弁護士」の資格を取得している人の数より、その他資格を200以上持っている人の方が希少である。
希少なだけで、それがどうした?と言われればそれまでなのだが、私にとっては、その希少性の方が「いとおかし」く感じてしまう。
私は、資格で食っているわけでもないし、学位を生活の糧にしているわけでもない。本業は他にある。だからこそ、このような、奇人変人的な生涯学習を継続することができる。
対外的な「切り札」として機構の学位を活用するのは、うまく相手に説明しないと、知名度がない分、不利である。ただ、生涯学習のツールとして活用するなら、これ以上のシステムはないだろう。
概ね、資格でも失敗するのは、過度な期待をもつ人である。資格や学位を取っただけで食べていけるほど、世の中は甘くない。しかし、予備校や専門学校に大枚学費を支払って、合格=投下資金の回収スタートと思っているなら、その甘い考えを改めるべきであろう。実務経験や、類まれなるセールスポイントがなければ、ペーパードライバーとなんら違いはない。
軸足をどこに置くかで、同じ合格でも「幸せ」な合格にも、「不幸せ」な合格にもなりえる。オンリーワンでない以上、偶然の合格にすがっていくのは、わたし的にはお勧めできないのである。