天野郁夫先生の「大学-試練の時代」という本を読んでいる。
天野郁夫先生、舘昭先生、市川昭午先生、岡本薫先生、、、今、私が好んで読んでいる本の著者の方々である。で、この本のp.150に書かれている一文を抜粋すると・・・
『とくに修士論文は、研究者としての資質の確認のための手段になっている。つまり、提出された修士論文自体が、そうした資質判定のもっとも重要な手段だというだけでなく、なんとなく研究者になってみたいと思って入ってきた人たちが、結局論文を書けないでやめていくというケースもあるわけです。いまの大学院制度は、授業で成績が悪くて落ちるということは、ほとんどない。あくまでも論文が書けるか、どんな質の論文を書けるかです。』
この本は1988年に書かれた本であり、当時の修士論文は、下手をすると、今の博士論文に匹敵するかもしれない。そして、今の修士論文が、結局、当時の卒論レベルといえる。
よくよく考えて欲しい。今、現在、修士論文を書けないで辞めていく院生がどれくらいいるだろうか・・・たかだか、しがないサラリーマンで、アカデミックのかけらもない私でも、6年間で3つの修士を取得できるのが現在の修士のレベルなのである。
たしかに、授業の成績が悪くて落ちるということは、現在においてもありえないのだが。
研究者の登竜門という過去の位置づけから、社会人がうようよ学位を取得する・・・それが現在の修士のなれの果てなのである。それどころか、今では、サラリーマンが働きながら博士を取得する時代へと変遷を遂げている。明治時代には「最高の名誉」とされた「博士号」が、アメリカ並みに取りやすくなったといえよう。「末は博士か大臣か」という言葉が、博士の乱発にむなしく聞こえてしまう。
そして・・・ついには、高学歴ワーキングプアという言葉が一般化され、博士となっても仕事がない「訳のわからぬ時代」へと突入してしまったのである。
乱立した大学院の経営を維持するために、学生を絞ることが出来ず、質を下げてしまったこと。これが、大きな敗因と思っている。
とはいえ、この風潮は、仕事を持ちながら大学院で学ぼうという社会人には福音となっている。従来なら手を出すこともタブーだった大学院に、会社を辞めずに入学し、修了することができるのだから。
生涯学習の一環として学ぶのなら、これほど、ありがたい環境はない。しかし、転職や、先生になることを希望するには、この緩い環境で取得した学位は、なかなか、使えないのである。故に、ポスドク問題や高学歴ワーキングプアが発生しているといえるのかもしれない。
天野郁夫先生、舘昭先生、市川昭午先生、岡本薫先生、、、今、私が好んで読んでいる本の著者の方々である。で、この本のp.150に書かれている一文を抜粋すると・・・
『とくに修士論文は、研究者としての資質の確認のための手段になっている。つまり、提出された修士論文自体が、そうした資質判定のもっとも重要な手段だというだけでなく、なんとなく研究者になってみたいと思って入ってきた人たちが、結局論文を書けないでやめていくというケースもあるわけです。いまの大学院制度は、授業で成績が悪くて落ちるということは、ほとんどない。あくまでも論文が書けるか、どんな質の論文を書けるかです。』
この本は1988年に書かれた本であり、当時の修士論文は、下手をすると、今の博士論文に匹敵するかもしれない。そして、今の修士論文が、結局、当時の卒論レベルといえる。
よくよく考えて欲しい。今、現在、修士論文を書けないで辞めていく院生がどれくらいいるだろうか・・・たかだか、しがないサラリーマンで、アカデミックのかけらもない私でも、6年間で3つの修士を取得できるのが現在の修士のレベルなのである。
たしかに、授業の成績が悪くて落ちるということは、現在においてもありえないのだが。
研究者の登竜門という過去の位置づけから、社会人がうようよ学位を取得する・・・それが現在の修士のなれの果てなのである。それどころか、今では、サラリーマンが働きながら博士を取得する時代へと変遷を遂げている。明治時代には「最高の名誉」とされた「博士号」が、アメリカ並みに取りやすくなったといえよう。「末は博士か大臣か」という言葉が、博士の乱発にむなしく聞こえてしまう。
そして・・・ついには、高学歴ワーキングプアという言葉が一般化され、博士となっても仕事がない「訳のわからぬ時代」へと突入してしまったのである。
乱立した大学院の経営を維持するために、学生を絞ることが出来ず、質を下げてしまったこと。これが、大きな敗因と思っている。
とはいえ、この風潮は、仕事を持ちながら大学院で学ぼうという社会人には福音となっている。従来なら手を出すこともタブーだった大学院に、会社を辞めずに入学し、修了することができるのだから。
生涯学習の一環として学ぶのなら、これほど、ありがたい環境はない。しかし、転職や、先生になることを希望するには、この緩い環境で取得した学位は、なかなか、使えないのである。故に、ポスドク問題や高学歴ワーキングプアが発生しているといえるのかもしれない。