本日から、もう、機構に学位を申請することができない立場となってしまった・・・
学士を目指す多くの方々と一緒に、単位を積み上げ、レポートを書き、論文試験を受験する。そういった、結構重く、かなり負担のある、精神的にも追い詰められる学びから解放されたことは、非常に「楽」なのですが、逆に、その「楽」な状態が、結果的に「安易な道」を選択してしまったのではないかと、苦悩しております。
一球入魂ってわけじゃないのですが、レポート1本仕上げるのは、かなり精神の研ぎ澄まされる修羅道であり、その間、神経を刃にするため、食べなかったり、食べても戻したり、寝なかったりと、時間の感覚がなくなり、精神とともに肉体までが憔悴し切ってしまうイベントとなっていました(笑)
こんな、危険な学習はマネして欲しくはないし、そんな状況でないと書けない自分が情けない・・・
とはいえ、そのような、短期間に一気に学び、その道のプロ(いや、セミプロぐらいか?)を目指す学習法は、思い返すと、危険なだけあって、大きな成果を私に与えてくれたと思っています。わずかな時間で、数十冊の本を読み、知識を詰め込み、短時間で熟成させる。そして、一気呵成に書き上げ、それが学位となって返ってくる。
マークシートで取得できる資格と違い、2万字≒卒業論文と同じだけの分量を書き上げる工程は、いわば、大学4年間分の学びの集大成であり、まぐれで合格ってことはありえない。そのような学位取得の環境は、優れた生涯学習の、ひとつの形だと思っています。
本当なら、現役大学生にも受験の機会を認めて欲しいところだが、その変則的なルールに、10の学位を保有する立場(=推定日本一)が守られているというのも皮肉なものだと思っています。なんせ、建前上は、大学に在籍する学生は受験資格なしですから・・・
2年間のお休みの後、また、機構の学位を目指すことができれば・・・と思っております。
北門より機構を望む。
東方より機構を望む。
まあ、一風変わった方面からの機構の風景も掲載しておきます。
学士を目指す多くの方々と一緒に、単位を積み上げ、レポートを書き、論文試験を受験する。そういった、結構重く、かなり負担のある、精神的にも追い詰められる学びから解放されたことは、非常に「楽」なのですが、逆に、その「楽」な状態が、結果的に「安易な道」を選択してしまったのではないかと、苦悩しております。
一球入魂ってわけじゃないのですが、レポート1本仕上げるのは、かなり精神の研ぎ澄まされる修羅道であり、その間、神経を刃にするため、食べなかったり、食べても戻したり、寝なかったりと、時間の感覚がなくなり、精神とともに肉体までが憔悴し切ってしまうイベントとなっていました(笑)
こんな、危険な学習はマネして欲しくはないし、そんな状況でないと書けない自分が情けない・・・
とはいえ、そのような、短期間に一気に学び、その道のプロ(いや、セミプロぐらいか?)を目指す学習法は、思い返すと、危険なだけあって、大きな成果を私に与えてくれたと思っています。わずかな時間で、数十冊の本を読み、知識を詰め込み、短時間で熟成させる。そして、一気呵成に書き上げ、それが学位となって返ってくる。
マークシートで取得できる資格と違い、2万字≒卒業論文と同じだけの分量を書き上げる工程は、いわば、大学4年間分の学びの集大成であり、まぐれで合格ってことはありえない。そのような学位取得の環境は、優れた生涯学習の、ひとつの形だと思っています。
本当なら、現役大学生にも受験の機会を認めて欲しいところだが、その変則的なルールに、10の学位を保有する立場(=推定日本一)が守られているというのも皮肉なものだと思っています。なんせ、建前上は、大学に在籍する学生は受験資格なしですから・・・
2年間のお休みの後、また、機構の学位を目指すことができれば・・・と思っております。
北門より機構を望む。
東方より機構を望む。
まあ、一風変わった方面からの機構の風景も掲載しておきます。