その昔、帝国大学というものがあった。
天野郁夫先生の「大学改革のゆくえ」を読んで、改めて気が付かされたことがあったので、書いておきたい。旧帝大は日本国内に全部で7校。東大、京大、九大、東北大、北大、阪大、名大の7つであり、日本の著名な大学として知られている。
東京大学が設立されたのが1877年。知らない人も多いと思うのだが、東京大学は、一旦、東京大学として設立されて、その後、東京帝国大学となる。それが、1886年。そして、最後の帝大である名大が設立されたのが、1939年である。
ここからは、上記の本から抜粋する。知らない人にとっては驚愕の事実である。(p.178)
>この七校の帝国大学についても、総合大学だったのは東京と京都だけ。九州や東北の場合には文科系
>の学部は法文学部しかありませんでした。北海道・大阪・名古屋の三帝大には戦後になるまで文科系
>の学部はゼロでしたから、事実上は東京・京都の二校を除くと、理工系の大学だったといってもよい
>かもしれません。
そう、やはり、大学といえば、東の東大、西の京大が取り上げられるだけの理由がこの点にあるのかもしれない。その昔、総合大学はこの2校だけだったのだから。逆に言えば、大学の知名度ゆえに偏差値こそ高いものの、旧帝大の文科系学部には、それほど歴史がないということなのかもしれない。
とはいえ、そう単純に言い切れないのが難しいところ。なぜなら、大学は、意外と合併・統合を繰り返しているから。銀行業界もびっくりするくらい、現在生き残っている総合大学は合併を繰り返して巨大になってきている。
例えば、
名古屋大学のHPを見て見ると・・・
>1942年、理工学部が理学部と工学部の2学部に分かれ、1947年には、名古屋大学と改称。学制改革に
>より、旧制名古屋大学、附属医学専門部、第八高等学校、名古屋経済専門学校、岡崎高等師範学校を
>まとめ、1949年には、文学部、教育学部、法経学部、理学部、医学部、工学部の6学部からなる新制
>名古屋大学として再出発しました。その後、1950年の法学部と経済学部の分離独立、1951年の農学部
>設置で8学部となり、総合大学として発展してきました。
このような形で、文科系の学校を統合して、戦後、総合大学としてスタートしている。
私の卒業した大学も、10以上の学校や組織が寄り集まって、現在、総合大学となっている。それが大学の歴史なのだが、色々調べて見ると、知らないことが多すぎて、逆に、研究したいと思うようになってきている。