生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

神様の話。

2012年06月23日 20時48分17秒 | ちょっと立ち止まって・・・
神様の話といっても、キリスト教でもなければ、神道でもない。

本日の卒業研究ガイダンスの際、先生が自己の体験の中で、「1月8日提出期限の修士論文を、紅白歌合戦を見ながら書いていたとき(神が)降りてきたんです」という話をされていた。

私も以前、「論文の神様」や「レポートの神様」といった類の話をしてきたので、先生の話に非常に共感を覚えたのでした。武蔵野大学大学院の同期で、人生の先輩のゆずさんも、同じような神様の降臨体験をされているし、他大学院の友人達も、多かれ少なかれ同様の体験を述べている。

真宗大谷派で、根っからの仏教人であるが、このような九十九神的な神様はいるのではないか・・・と思っている。論文の神様、レポートの神様、読書の神様、、、色々な神様の見えざる手に導かれ、偶然の装いの中に、必然が生まれているのではないのでしょうか?

それこそ、我々が、我々として、個々の人格を持って、この世に存在していることこそ、神話レベルの、非常に尊いことなのですから。先祖の誰かが欠落しても自分はこの世に存在するはずはない・・・しかし、今、この瞬間に、自分が存在していることは必然としかいいようがないのですから。

奇跡としかいいようのない可能性の中をかいくぐって、自分はこの世に存在している。このことは、私だけではなく、すべてのこの世に生ける人々に共通して言えることなのです。だから、奇跡的に与えられた、今、この瞬間を生かされていることに感謝し、出来るだけ、充実した生き様を演じる必要があるのではないか・・・それは、この世に一瞬たりとも存在することすら許されなかった対象への責務であると思っています。

だからこそ、命を大切にしなくてはならないし、その命が尽きるまで、自分に与えられた責務を、自分なりに勤め上げなければならないと思っています。
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本日の機構!

2012年06月23日 20時22分46秒 | 大学評価・学位授与機構
最近、木々が生い茂り、機構正面からの写真は機構が隠れてしまう由々しき事態となっています。

故に、放送大学多摩学習センターから撮影することが多くなってきました。本当はギリギリまで近寄って撮影したいのですが、窓から出ることは不可のようなので、このような写真となってしまいます。

学習センターの図書館からは、もっと近寄った写真が取れるのですが、他の学生の方がいるときは迷惑になるので撮影できません。

そういえば、本日は、10冊本を返却して9冊本を借りてきました。ちょっと、1冊不具合があったので、次回に借りることとしたため、9冊です。小平市立中央図書館にも足を伸ばし、10冊借りてきました。

まだ、卒論も修論も、単位認定試験準備も忙しくないので、1週間程度で読める分量です。精読ではなく、多読、乱読、我流に従っての読書なので、どれほどのものかわかりませんが。

とはいえ、書き手を尊重しますので、飛ばし読みはしません。必ず、「はじめに」から「あとがき」まで、すべてのページをめくります。それが、最低限のマナーと自戒しています。

加えて、読み始めたものは途中で放棄しません。どんなにくだらない、最悪の本でも最後まで読み通します。稀に、借りた本で貸出期間の都合上、時間切れで返却することはありますが、それでも、後刻、再度借りて読了します。最後まで読まないと、その本が良いのか悪いのか断言できない上、最後の「あとがき」にきらりと光る金言や名言があるかもしれないから。

良い本に出合えるのは、宝くじに当たるのと同じくらい幸運です。とはいえ、出会った本の名前を覚えることはしないし、感動の文句も、たまにブログに書く以外、書き留めることもしない。なんせ、自分が感動したのと同じ感動を、別の第三者が体感するとはいえないから。

そんな感動の押し売りをしたくはないし、自分で見つけてきた本だからこそ、読了後に、達成感や満足感、あるいは幸福感を体験できるのかもしれません。賢明な読者は、先入観を持って読書をしてはいけません。権威のある人が「この本を推奨する」といったとしても、自分の主観を放棄し、そんな雑音に隷従してまで「やっぱりこの本は凄い!」な~んて思ってはいけないのです。そんなバイアスまみれの読書を、私はしたくないし、自分を失いたくもないのです。

されど・・・読書の神様はとても素敵な神様なので、その分野のことを調べに図書館に行くと、概ね、必要な本を見つけさせてくださいます。あるいは、本屋に行くと、思いもしなかった本との出会いを導いてくださいます。ネットで検索していても、何故か、適切な本を呼び出してくださいます。

なんせ、身近に本を感じさせるような環境に自分を置くこと。そうすれば、必ずや、必要とする本に、出合えることができるはずです。

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卒業研究ガイダンス

2012年06月23日 20時02分04秒 | 放送大学
本日、14時から多摩学習センターで卒業研究ガイダンスが開催されました。


総勢20名強。45分間のビデオ(平成18年度版?)を視聴した後、斉藤先生の説明と質問コーナーがありました。終わったのが16時。メールでの案内では1時間程度となっていたのですが、皆さんの質問等で大幅に延長となりました。

皆さん、卒業研究作成にあたり、それぞれ、不安を持っており、20件ぐらい質問があったでしょうか?中には、何度も質問される方もおられました。

多摩学習センター以外の方も出席されていましたし、多摩学習センターから3時間もかかるところに引越しをしたにもかかわらず、本日、ガイダンスに参加されている方もおりました。その方は、引越し先の学習センターですら、1時間かかるとのことで、自転車5分のところに住んでいる自分にとって身につまされる境遇でした。

それでも、卒業研究を履修したいと思い、不安解消のため、3時間の道のりを乗り越えてガイダンスに参加する・・・なんと、尊い姿でしょうか。

さて、ガイダンス。修士論文を3本、学士論文を12本書いている立場としては、「ガイダンスなんて不要」とも思えてしまうのですが、とんんでもない!斉藤先生の的確な説明で、自分の今までの研究の甘いところが良く理解できました。本当に、今日のガイダンスは参加してよかった!

思い返せば、今までかき方を説明してくださった先生は、誰一人としていませんでした。すべて我流。そんな状況で、よく、論文が書けたものです。というか、私の論文は「論文の体」をなしていなかった。そんな状況で、よくもまあ、修士3つに学士が12も取得できたものです。こんな恥ずかしい論文でも、学位が取得できてしまうところが、今の日本の教育システムの実態なのかもしれません。

私の一番弱いところは「先行研究の調査」。これから書く論文は、先行研究をよくよく調査の上、書き上げることができると思います。でも・・・とはいえ、「先行研究が十分そろっていない分野」≒「誰もまだ書いていない分野」は、どうするのだろう?やはり、自分が最初に書くしかないと思うのですが、その場合の先行研究って・・・無いよね?違うのかな~
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台風4号の過ぎ去った後・・・

2012年06月23日 19時53分42秒 | 富士の高嶺
デジカメの中に、台風4号が過ぎ去った後の富士山の風景が残っていました。

6月20日の朝4時50分ごろの風景です。黒い雲が富士山の上にたなびき、白い雲の合間から、少しだけ富士山が見えます。台風の影響で出社困難かも・・・と囁かれていたので、朝、早く起き、思いのほか、晴れていたのに驚いた記憶があります。

そののちの、台風5号の影響による大雨の方が大変だった・・・

この不吉な風景も、ひょっとしたら、不幸の前触れだったのかもしれませんね。
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ググっとぐんま!

2012年06月23日 11時05分01秒 | 歴史
JR国分寺駅でなにげなく手に取った「ググっとぐんま観光キャンペーン総合ガイドブック」!

このガイドブックのp.10-11に「ぐんまの歴史」が書かれていた。岩宿遺跡には行ったことがあるのだが、保渡田古墳群や八幡古墳群、白石古墳群には行ったことがない。

それにしても、群馬県内に1万5000もの古墳があったとは・・・驚きである。だが、このページの文章にもあるように、「朝鮮渡来系の遺物が多く発見されています」とされているので、死者をそのまま埋葬し、盛り土をする韓半島の文化により、そのような土饅頭が古墳とみなされているのかもしれない。

高崎に行く機会があったら、是非とも古墳めぐりをしてみたいものである。
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『教育の方法』(放送大学叢書)

2012年06月23日 09時54分32秒 | 読書
前の記事で取り上げた本と同時に放送大学で借りてきた本。

この本の中にも読書のことについて書かれていた。フィンランドの教育について記載されているところである。

p.39には「図書館のネットワークの充実はうらやましい限りです。市街を歩くと、コンビにより多いのではないかと思えるほど、図書館の分室があちこちのアパートなどの一室に設けられています。フィンランド人は国民一人当たり、年間平均20冊以上を図書館から借り出しており、その数は日本の5倍以上です。」とある。

ついでに言えば、p.41には「教師教育の質の高さを指摘できます。フィンランドの教師はすべて修士号の取得者です。先進諸国の教師教育は現在、大学院レベルがスタンダードになっていますが、修士号の取得を教育の基準としている国はフィンランドのみです。フィンランドにおいて教員免許の基礎資格として修士課程修了を義務づけたのは1995年ですが、修士課程における教師教育を標準とする改革は1985年に開始されており、20年前にすでに大学院レベルの教師教育を達成していました。」とも記載されている。

この本は放送大学のテキストが廃止されたものを、放送大学叢書としてリメイクしたものなので、内容が古いかもしれないが、少なくとも、フィンランドでは修士でなければ教師になれないようだ。

日本の場合、修士でなくても教師になれるが、私のように教育学修士を取得していても教師にはなれない。なんとなく違和感もなくはないが、そもそも、カリキュラムどおりに教育を行う自信はないので、私は教師の適性を持ち合わせていない。

とはいえ、学級崩壊や犯罪の低年齢化といった子どもの問題を、毎日のように新聞で目に入ってくる現状には、いたたまれなさを感じている。
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『本、読もっ!』(毎日新聞社編)

2012年06月23日 08時28分47秒 | 読書
先週、放送大学多摩学習センターと小平市立図書館で借りた本20冊、すべて読み終わった。

これから返却に行き、また、借りてくるつもりである。借りる本以外にも、自分で購入した本もあるので、相応の冊数の本を読んでいるつもりだが、なかなか、心を打つ本には出会わないものである。

本を読むことを評価するにおいて、冊数で判断するのはあまり好ましくないのだが、たまたま、借りた本の中に、標題の本があり、子どもたちの「読書離れ」について書かれたことが気になった。

データは古いのだが、「学校読書調査」によると2004年5月の1ヶ月に読んだ本の平均冊数は「小学生7.7冊」「中学生3.3冊」「高校生1.3冊」ということだそうな・・・

また、高校生の70%、中学生の55%が「1ヶ月に1冊も本を読まない」と答えていたそうである。

確かに、高校生は大学受験を控えており、自ずと読書は減る傾向にある。とはいえ、中学生の3.3冊は無念である。中学時代、生徒会と並行して「読書部」に所属していたので、図書室の本はあらかた読んだ。また、市立図書館からの多くの本を借りたものである。特に、歴史の本は古墳時代までならすべてよんだと記憶している。

その結果、大学入試において、数学が壊滅的にできなかったにもかかわらず、国語の「現代文」「古文」「漢文」が、すべて既読の問題で自己採点満点ということで「補欠合格」できたのであった。

そういうこともあって、本を読むことに対しては、全く抵抗感がないし、逆に、電車の中で何も読まないことの方がストレスになってしまう。

過去の偉大な発見や、人生の教訓を共有する上で、読書は本当に大切だと思っている。先達が一生かけて見出した英知を、わずかな時間で吸収することができるのだから。

とはいえ、これだけ本を読んでも、ブログで書く文章はこの程度のレベルである。やはり読むことと書くことは全く違う。インプットとアウトプットもまた違う。

されど、人生を豊かにするため、あるいは、物事の対処をスムースにするため等々、読書を通じて、自分なりのライフスタイルを見出して欲しいと願っている。
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