昨日、八事山興正寺に行ったのですが、そこで見つけたポスター!
「合格祈願」ということです。1年前は、次男も受験生だったこともあり、興正寺にもお参りに行った記憶があります。それこそ、神社や仏閣を合わせると、次男の合格のため、100以上の神様・仏様に祈りを捧げていました。まあ、「古墳の上に神社があった」というのが一因でもあるのですが。
やはり、受験生を抱える家族としては、藁にもすがって合格してほしいところ。「己の学力」と「大学のレベル」との兼ね合いを擦り合わせるのが非常に悩ましい・・・大学のレベルを下げれば合格しやすくなるし、逆に上げると合格の可能性が低くなるので。
とはいえ、どこの大学に行こうが、優秀な人は優秀だし、ダメな人はダメ。その点、日本ではかなり卒業後の頑張りでリカバーできるし、逆に無能の烙印を押されることもあるわけで。なんせ、大学さえ出ていれば、基本、初任給が同じという点からして平等。昔の日本は大学名で給料が違った時代もあったのですが。
「受験」というものは、合格しないと「終わらない」のではなく「始まらない」のです。ですので、受験生には一所懸命頑張ってほしいと願っております。
「合格祈願」ということです。1年前は、次男も受験生だったこともあり、興正寺にもお参りに行った記憶があります。それこそ、神社や仏閣を合わせると、次男の合格のため、100以上の神様・仏様に祈りを捧げていました。まあ、「古墳の上に神社があった」というのが一因でもあるのですが。
やはり、受験生を抱える家族としては、藁にもすがって合格してほしいところ。「己の学力」と「大学のレベル」との兼ね合いを擦り合わせるのが非常に悩ましい・・・大学のレベルを下げれば合格しやすくなるし、逆に上げると合格の可能性が低くなるので。
とはいえ、どこの大学に行こうが、優秀な人は優秀だし、ダメな人はダメ。その点、日本ではかなり卒業後の頑張りでリカバーできるし、逆に無能の烙印を押されることもあるわけで。なんせ、大学さえ出ていれば、基本、初任給が同じという点からして平等。昔の日本は大学名で給料が違った時代もあったのですが。
「受験」というものは、合格しないと「終わらない」のではなく「始まらない」のです。ですので、受験生には一所懸命頑張ってほしいと願っております。