新型肺炎が蔓延し、中国が大変な状況となっている。
中国と言えば、その昔、私が海外勤務したいと思っていた国。事実、業務で手を挙げて、中国で都合3ヵ月現地のサポートを行っている。もし、中国勤務の夢が叶っていたら、今頃は、中国国内で新型肺炎の恐怖に恐れおののいていたかもしれない。
大学在学時から中国の発展を確信し、就職活動も中国に行く確率が高い「商社」や「金融」を中心に回ったものだ。先見性があり過ぎて時代が後から追いかけてくる。あまりに早い段階で先見性を示すと、周囲からは「異端者」「狂っている」「秩序を乱す者」等々、受け入れられず、排斥される。
色々と、予言したものは、後日実現し、あるいは法令として今のスタンダードとなっている。しかし、周囲に先行して、それを声高らかに宣言するのは、非常に危険であり、それは「協調性の欠如」として評価に悪影響を与える。まあ、その結果が現状の自分といえる。
そもそも、会社の中にいるから判断を誤る。できるだけ外に出て、客観的に会社の現状や、社会の動向を見極め、大学とか、教育機関、あるいは、各方面の専門家とコミュニケーションをとっていれば、あるいは、ほとんどの人々がノストラダムス顔負けの預言者になれるかもしれない。ただ、会社にそれをわからせるのは至難の業であるが。
で、塞翁が馬、もし、中国のスペシャリストとして、その地位を確立していたらなら、今頃、コロナでやられていたかもしれない。あるいは、同期も最近、関連会社等に出向しているが、中国相手の貿易関連企業に出向・転職していたら仕事がなくなっていたかもしれない。
そう考えると、自分の思いが実現されなかったことは、「凶」なのか「吉」なのか判断することができないわけだ。
大げさに言うと、我々は「今この瞬間死んでも文句は言えない」立場にある。私は、この打鍵している瞬間、心臓麻痺で一命を落としたとしても、文句は言えない。なんせ、人間いつか死ぬのだから。それがこの瞬間なら仕方がない。
今の自分が「不幸だな~」と思うのは、今より自分は不幸になっているはずはないと思い込んでいるから。
この前までは「中国で勤務したかったな~」と思っていたとしても、今の中国を見て「勤務したいか?」と聞かれたら「いや、、、ちょっと遠慮したいかな」ってなるだろうし。
船に閉じ込められて、本当、大変だな・・・と思いつつも、これが、もし韓国のセウォル号のように沈没して多数の死者が出ていたら、もっともっと大変だと思うし、新型コロナではなく、もっと重篤な伝染病だったら・・・と想像すると身の毛もよだつ。
ただ、残念なのは、中国で、新型肺炎が「やばい」と先見性をもって声を上げた医師がいた。しかし、その医師も「声を上げた」がゆえに当局から処分をうけた。そして、最後に新型肺炎で命を失った・・・いつの時代も、先見性がある者は必ずいるが、それを活かす名伯楽がいないことが悲劇の糸口なのかもしれない。