生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

卒業諸費払い込み!

2020年02月07日 16時10分45秒 | 自由が丘産能短大

小平市の郵便局で卒業諸費6,000円を振り込んできました。

最初、「振込代金込で6,122円です」と言われたのですが、後ほど、呼び戻されて「すいません、金額訂正されているので、手数料が変わって6,203円となります・・・」と言われてしまいました。。。

まあ、卒業するためなので仕方がありません。言い値で払いました。あとは3月22日の学位授与式を待つのみ。これで、私の自由が丘産能短大の学びが終了です。

さて・・・やはり、学習を始めると、ゴールはあっと言う間ですね。やらないうちは、巨大な壁が立ちはだかっているように見えて、振り返ると、小さな水たまりがあった程度。簡単に飛び越えられるのに、ほとんどの人が「妄想の化け物」に畏怖して立ち止まり、あるいは後戻りしてしまう。。。

私自身、単身赴任という孤独かつ、身の回りは全て自分でやらなければいけない環境で、仕事と両立して、名古屋めしや観光を究めつつ、「日本福祉大学」「放送大学」「自由が丘産能短期大学」と3つの大学・短大を4年で卒業することができました。無論、単位認定されて、4年次編入、2年次編入等、一からの入学とは違う優位性はあったものの、まあ、それなりに学習しないと卒業はできないわけでして。

ブログで学生生活を晒しているのも、「この程度で卒業できるのなら、私もやってみようかなぁ~」と思う人が出てきてくれないかと思っているからこそ。通信制でも卒業が厳しい大学もありますが、自分のライフスタイルと求める学習を勘案すれば、大きな見誤りはしないはずです。その点、理解してくださる人が一人でも出てきてくれるなら、本当、うれしく思います。

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学割・・・

2020年02月07日 09時26分48秒 | 自由が丘産能短大

自由が丘産能短大の卒業に伴う必要書類を作成しているところ。

まず気が付いたのが「自由が丘産能短期大学 学位授与式 出席届」について。内容を見ていると、「2020年3月(第111回)卒業」と書かれています。おぉ!111回目なんだ。通教を考えると半年ごとに卒業式はあるのですが、それでも50年以上。というか、産能の前身の「日本産業能率研究所」から考えると、2025年に100周年だから、111回でも納得感があります。そもそも、産能は「大学」スタートではなく、「短大」からスタートしているって皆さんご存知でしょうか。1951年に短大ができて、1979年に大学開学。

それはともかく・・・日付を記入する欄が「2019年 月 日」となっています・・・もう既に2020年なのですが。上野陽一先生の教えの通り、卒業予定者の皆さんが2020年と書くのを省力化しようとされたのでしょうが、間違ったものを印字してしまうと、不要な訂正作業のマンパワーが必要となります。ブランクの方がよかったかも。気づかない人もいるかもしれませんが。

まあ、些末なことなのですが、私にとって重要なことに気づきました。この出席届の下部に「学割証の発行について」という一文があったのです!「そうか、学割を使って帰省することができるんだ」と喜んだのも束の間・・・

というのも、本学は学位記と学生証を引き換えるそうなのです。ということは、名古屋へ帰る際、学生証を持っておらず、JRの鑑札が来た場合、自分が学生であることを証明するものがありません。52歳のオヤジが「実は私は短大生なのです!」って言っても、「じゃあ、学生証を見せて!!」ってJRの方に言われたら、自分が短大生であることを証明できません・・・

そういえば、大学院の学生証も産業能率大学大学院だけありません。そう、卒業する際、回収されたためです。なんで、学生証回収すんねん!と思ったりもしますが、それが本学のルールなので、従うしかありません。

確か、放送大学は学生証にパンチを入れて返却してくださったような記憶が。あと、産能を除く大学・大学院はすべて学生証を回収せず、記念に手元に持っておくことができます。ありがたい!

学生証を持っている「名古屋→東京」のみ学割で帰ればいいか?いや、それ以前に、エクスプレスの会員割引と比較して、どれくらい学割の方が安いかを検証するのが先か?学割だと郵便切手代もかかるし。本当、せこい話だな~(笑)

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立場が変わると・・・

2020年02月07日 08時57分18秒 | その他

自宅で寛いでいるところ。

テレビでワイドショーも見放題!でも、放送されているものは「新型コロナウイルス」ばかり。で、考えさせられたのが、豪華クルーズ船内に閉じ込められた方のコメントで「まるで独居房に入れられているようです」というもの。

豪華クルーズ船、高額な旅費を投下し、誰もがうらやむような船旅が「独居房」とは。とはいえ、結局は、船の中で時間を過ごしていることは同じ。無論、船内を散策できなかったり、豪華な食事が食べられなかったり、きれいなタオルがなかったりと不自由や不満はあるのかもしれませんが、同じ船の中での生活が、片や「豪華船旅」で、片や「独居房」とは・・・立場が変わると、ここまで変わってしまうものなのですね。

この現実を目にして、私自身考えることは「人間万事塞翁が馬」ってこと。幸せが不幸になることもあれば、不幸が幸せになることもあります。あるいは「諸行無常」や「諸法無我」っていうものも合ってそうな気もします。

それとは別に、どんなに大きな家に住もうと、寝たり行動したりするスペースは自分自身の大きさを上回ることはできないこと、豪華な食事を山のように出されても、自分の胃袋以上の物は食べられないこと、莫大な資産を持っていても、墓場までは持っていけないこと等々、自分の身の丈以上にアクションしているようでも、結局、やっていることは自分の身の丈レベルでしかできないことも思い知らされました。

他人の幸せをうらやんだり、ねたんだりしていても、本当にそれが幸せかどうかは確定していないのです。あるいは幸せそうな人の「食べているもの」「占有しているスペース」などを詳細に検証していけば、不幸せと嘆いている人と「食べているもののカロリーは同じ」だったり「寝ている場所は畳一畳分で同じ」だったりするわけです。

何が幸せで、何が不幸せなのか?最低限、四法印にあるとおり「一切皆苦」と思っていれば、まあ、苦しくても納得できるのではないでしょうか。そして、その苦しみが少なければ、幸せと思うことができるのでは・・・と思っています。

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