色々本を読んでいるが「資格をたくさん取る人」≒「資格マニア」を好意的に書いている本は、ほとんど無いのが現状である。「仕事に関係の無い資格をとるのは無意味」とか、「むしろマイナスにしかならない」とか、「時間の無駄」とかなり否定的だ。
「切手マニア」「コインマニア」「遺跡発掘マニア」「爬虫類マニア」「鉄道マニア」「日本酒マニア」「焼酎マニア」「ワインマニア」・・・いろいろ「マニア」が考えられるが、「資格マニア」のように、「否定的」あるいは「反社会的」にさげすまれるものは、極少数である。
公的に認定されていない資格を、名刺に刷り込むのは私も否定的に思う。ましてや、自分で勝手に「日本ライセンス教育発達学会認定:特級ライセンスアドバイザー」(例)なんて書き込んで、人々を惑わすことは厳禁と思う。
しかし、そういった詐欺マガイ的内容ではなければ、「勉強して資格をとることに対して、どうして文句をいわれなければいけないの?」という気持ちで一杯である。
知らない分野の事を勉強して、知識を得ることはまさに「生涯学習のテーマ」そのもの。私が大学院に行って論文にまとめたいことは、この、「資格」という目標に対して、生涯学習を行うことの有効性である。「資格」で「修士」を取ることが、究極の目標である。
よく、「80歳のおじいちゃんが宅建合格」とか「最高齢の受験者」などでてくるが、仕事という切り口では、おじいちゃんが資格試験を受けるのは「おかしい」し、「時間の無駄」として否定されなければならない。しかし、高齢受験者の合格は「美談」として新聞をにぎわす。だれも「おじいちゃん、資格を10も20もとるのはお金のムダだし、資格マニアっていわれるわよ」と忠告したりはしない。それが、80歳のおじいちゃんには許されて、40歳のサラリーマンでは「資格マニア」として、ある種、否定的なニュアンスを持つようになる。
たとえば、おじいちゃんが一念発起して不動産の勉強を開始したとする。そのときの目標は何でしょう?不動産の本を1冊読むことか?10冊読むことか?登記所に行って謄本を取れることか?
自分が生涯学習の一環として思い立った「不動産の学習の目標」がないと、何をやればいいのか「PLAN」できないのである。目標達成のために学習「DO」し、試験で到達度合いを「CHECK」する。そして、修得した資格を使って実際の業務や生涯学習の講師などができる(ACTION)れば、最高である。ここに、私が提唱する(いや、資格研究家の多くの方が提唱しているかな?)PDCAのサイクルが確立するのである。
「数を競うこと」は必要ないと思うが「数を取ったこと」まで、否定的に見る社会風潮にはちょっと辟易しています。