中島城跡からすぐのところに「中嶋宮」の石碑が!
これは一体なんなのでしょうね。
ネットで調べると、いろいろ情報がでてくるのですが。
>大和国の小国が大和朝廷としてこの国を統一していく物語は、 武力制圧として倭武(ヤマトタケル)や
>四道将軍の派遣があり、政治的融和として倭姫(ヤマトヒメ)の巡国安撫があると見る事ができる。
>神護景雲2年(768)選集の「倭姫命世記」は次のように伝えます。 皇女倭姫命は皇祖天照大神を奉じ
>て十余か所の諸国巡廻を行う。 垂仁天皇10年に美濃国伊久良河宮(岐阜県本巣郡川崎村大字居倉)に
>4年滞在、 その後、尾張国中嶋宮に遷座、3カ月逗留。 のち伊勢国桑名野代宮(三重県桑名郡野代村)
>を経て五十鈴川のほとりに遷座。 これより、皇大神宮としての伊勢神宮となる。
>ヤマトタケルは伝説上の人物。壬申の乱により政権を樹立した 大海人皇子(天武天皇)が、それまでの
>故事を編纂して皇神の叙事詩を書上げた。 「古事記」をそう解釈することができる。 史実ではないが、
>それなりの歴史的事実が元になっているのは確かだろう。 ヤマトヒメも伝説上の人物。だが、「倭姫命
>世記」にも、 それなりの歴史的事象があるはずだ。
ひょっとしたら、この地が「伊勢神宮」の代わりになっていたかもしれないってことでしょうか?