クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

大森貝塚の本家争い(品川区VS大田区)~大森散歩・2

2017-10-10 | クリン江戸散歩

 さて、クリンたちが今回・さんさく(散策)するのは、「JR大森駅」

周辺の、

このエリアです  (東京都大田区大森と、品川区大井)

 おおもり(大森)といえば、学校の社会で かならず・習う、

原始時代の

「大森貝塚」

    おおもり(大森)は、駅のホームにも、

   駅前の広場にも、

 ここが、全国2500の貝塚の ちょう(頂)点にたつ、

キング・オブ・貝塚の、所在地である 

 と、オブジェで、知らしめています


かいづか(貝塚)とは、

 原始時代の人々がすてた・貝がらが、つもってできた

白い・こやま(小山) 

 昔の日本人は、巨人が 長い手をのばし、浜辺から貝を

つかみあげ

 食べまくった・あげく、一ヶ所にすてて、貝塚ができた、

考えていた

みたいですが、

 「そうじゃなくて、集落遺跡の一部なんだよ」と、おしえてくれたのが、

アメリカ人の、

「モース」です


 明治初期に 日本に来て、きしゃ(汽車)の中から「貝塚」を

見つけた

どうぶつ(動物)学者の、 エドワード=シルベスター=モース

 東大の先生になった彼は、このあたり・いったい(一帯)を 

ほりまくり

貝や

土器や、

石器などを

見つけました

 海に近い・品川~大森は、どこをほっても、「貝殻層」が

出てくる

そうですが、

 品川区と、大田区は、「考古学的名誉」をあらそい

 「うちが、大森貝塚の本家だ」と、どうも、ゆずらないみたいです・・

 

だから

 「大森駅」から、歩いて5分くらいのところに、

「ここが大森貝塚です」と、アピールする、

 2つのきねんひ(記念碑)が、たってたりします

 

 ひとつが、こちら 大田区山王の「NTTデータセンター」しきち(敷地)内に

たつ、

 たてなが・きねんひ(縦長記念碑)

 ←「大森貝墟(かいきょ)」って 書いてあります

そして 

こちらが2つ目の、 品川区大井の、よこながきねんひ(横長記念碑)

(「大森貝塚」って、書いてあります

 

 品川区は、きねんひ(記念碑)周辺の土地を 買い上げ

 「大森貝塚遺跡庭園」を、つくりあげ

本家取りを、こころみました 

 「モースが掘った場所は、品川区の大井村だったのに、調査メンバーが

みんな勘違いして、

『大森貝塚』で、定着させてしまった 

 こっちが本家で、本当は『大井貝塚』のはずなのに~~~


と、いうのが、

 クリンたちがすいそく(推測)する、「品川区の本音」。。


 「江戸前海苔でも、品川海苔より大森海苔のほうが

知名度あるしね・・。

 大森貝塚の現地、という栄誉は、うばわれたくないのかもね、

品川区・・。」


な~んて、

 クリンたち、りっぱ(立派)なこうえん(公園)の

前で、

しま・おくそく(揣摩臆測)

くり広げたのです


 しかしながら・・・

大森駅のホームや、

 駅前広場のオブジェ のみならず、

 ふと・足元を見れば、地面にも、まきがい(巻貝)もようを

あしらって

じい(示威)する、

 大田区の 地いき(域)一丸となった・がんばりは、

モース死後90年たった

今も

けいぞく(継続)されており

 「大田区のお土産・100選」に してい(指定)されている、

 「大森貝塚マドレーヌ」を 見つけてしまった

ときには、


さすがに

公平なクリンも、

 (大田区を か(勝)たせたい・・)と 思って

しまいました。

(ゴメン、品川区






(その3、「大森貝塚マドレーヌ」に、つづく)




 

 




コメント (4)
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