クリンの広場

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徳富蘇峰と戦争責任(山王草堂記念館にて)~大森散歩・5

2017-10-14 | クリン江戸散歩

 「馬込文士村」のボス、おざきしろう(尾崎士郎)

さんか(参加)していた、

「日本文学報国会」  (※ペンで、お国に報いようっていう、戦前の団体)


 その会長をつとめていたのは、「マスコミで

お国に報いよう

っていう

「大日本言論報国会」

の会長も

けん(兼)任していた、

 とくとみ・そほう(徳富蘇峰) と、いう人です。


(ここに、住んでたらしい・・) 


 れきし(歴史)にくわしい・チットいわく

 「徳富蘇峰は 近代思想史をたどる上で、絶対に欠かせない、

大物言論人

だそうです。


 ふくざわゆきち(福沢諭吉)を、明治前半のトップジャーナリスト

と 

するならば、

とくとみそほう(徳富蘇峰)

明治後半の トップジャーナリスト


 しかも、その後の「太平洋戦争・終結」に いたるまで、

この人ほど、

しんぶん(新聞)・ざっし(雑誌)の世界

で、

大きな力を ふるった人は、

たぶん・いない


らしい。。


「・・にしては、知名度ないね~。」 (記念館は内部撮影・可

 ・・弟の、徳富蘆花のほうが、有名かもね。

蘇峰は

ながらく、研究対象として

語られることが

タブー視されてきたから・・。」


 チットは、その人物について、語りはじめました。


 とくとみ・そほう(徳富蘇峰)が、その名を 知られ

はじめたのは、

明治はじめの

「自由民権運動」の ころのこと


 「おいおい、明治政府 あんたらだけが、突っ走って 

近代化して どうするんだよ

民衆の 声も聞けよ

これからの日本は、

平民レベルで、文明開化するんだぜ」 

 と、いきまいては、明治政府を「青息吐息」させた、

すじ金入りの

「平民主義者」、

それが、そほう(蘇峰)でした


 ところが

 中国(清)との戦争を けいけん(経験)したり

 欧米の圧力に、くっする・日本を いろいろ

目のあたりにする

うち、

 そほう(蘇峰)の中で、だんだん「平民主義」は ぼやけていき

 (・・もしかして、今は、民権なんて 守っている

場合じゃないのかも

甘っちょろいこと言ってたら、

たちまち・植民地にされるな。。


政府に 

多少 強引なことをさせてでも、

 とにかく、国を強くするのが、先決だったぜ


と、

考え方を

180度、かえてしまいます


こうして、


「国家主義者・徳富蘇峰」が、生まれました。


 ちょうど、そほう(蘇峰)みたいな・協力者を 

さがしていた 

明治末の日本政府は、

そほう(蘇峰)に

「これからの日本を、思想でひとつにまとめて

 国策を 後押ししてほしい。」

いらい(依頼)し、

 そほう(蘇峰)に、けん(権)力を 与えます

 政界に 入り込んだことにより、「魔法の杖」を 

手に入れた・そほう(蘇峰)は、

「大日本帝国の オピニオン・リーダー」

という

地位を えて、

 ついには、戦争すいこう(遂行)キャンペーンを とりまとめる、

言ろん(論)界の 大ごしょ(御所)

に、

のぼりつめて 

いったのでした



まわりは、こんらん(混乱)します。


 ・・・かつて、本気のデモクラシーを 唱え、民しゅう(衆)のために

政府にかみついていた、

青年・そほう(蘇峰)

は、

どこへいって しまったのか・・ 


 世間は、そほう(蘇峰)を「変節漢」と ののしり

 戦後は、その・言ろん(論)を ふうさつ(封殺)しました。。


(だから、今、あまり知られてないのかも・しれません。)


 うちのチットは、このそほう(蘇峰)を見ると、

近代日本の いきけんこう(意気軒昂)と、

ざせつ(挫折)と、

こじれを 

全部見る 思いがする・・


って

言ってます。


 明治~大正~昭和、と 94さい(歳)まで

生きつづけ、

その人生の大半を

日本国民に 

えいきょう(影響)しつづけた、

「大思想家」、とくとみ・そほう(徳富蘇峰)・・

 彼の戦争責任は、もちろん重い。けど・・・

 蘇峰の言論を あげつらうばかりでは どうしようも

ないんだよね。


その蘇峰の

言論をつくったのは、

時代の要請

 

 だからつまり・・ 当時のできごと・政策・世論・気運を、

同時に 

見直してみないことには、

日本近代史の真相には、

近づけない

 

意図的でない視点で

冷静な人が、

今一度、蘇峰を 研究することには

現代史的な

意味があるはずだよ。

 

 歴史が 後ろ暗いといって、そこを うやむやにしてしまっては、

日本という国は 

この先も、

政府・国民ともに

『無責任主義』っていう、

お定まりの 原点に、回帰し続けてしまう。


って

おもうんだよね。」


 と、チットは 言いました。(そうかもしれないけど、

今回の「大森散歩」、

やけにないよう(内容)がヘビーだな!







(その6、「鈴ヶ森刑場跡地」に、つづく)

 

 










 

















コメント (2)
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