大森には、駅をはさんで、2つのエリアが あります
戦前から「住宅街」だった、山がわ(側)のエリアと、
ビルや大型店が、たちならぶ、海がわ(側)の エリア
その、海にほど近い「大森海岸駅
」から、
だいいち(第一)京浜沿いを 歩いていくと
、
クリンたちの目的地、「鈴ヶ森刑場跡地
」が
見えてきます。
(※品川区南大井)
江戸時代、このあたりは、追いはぎが出ることで 有名で、
らくご(落語)には、ここで 追いはぎのれんしゅう(練習)を
すべく、
親分に つれてこられた
ドジで 弱気な
しんまい・どろぼう(新米泥棒)が、
逆に、旅人に 身ぐるみ・はがれる
っていう、オチ話が
あるらしい
平成の今でも、ひと気が少なく、となりは国道なのに、
なんだか、
うらさびしい・かんじが します。。
この場所に、「処刑場
」がおかれたのが、江戸時代の
はじめ。
明治いしん(維新)までの間に、たくさんの 犯ざい(罪)者が、
ここで、首を切られたり
、はりつけにされたり
、火あぶりにされた
、
わけです・・。
有名どころとしては、ばくふ・てんぷく(幕府転覆)を
図った、「丸橋忠弥」
や
恋する放火少女・「八百屋お七
」。
彼を、はりつけ(磔)にした台
や、
彼女を 火あぶりにした台・・
さらに、
処刑後に、血をあらったという、「首洗いの井戸」
なるものが
のこってて、
「・・・こわい
」
「
なに言ってんの
キリシタンたちなんて、そこの海の
波打ち際で、水磔の刑だよ
引き潮になると、息吹き返すから なかなか死ねなくて、
一週間かけて
じわじわ殺されたんだから。」
と、チットが、海のほうを ゆびさして、言いました
そんな、しょけい(処刑)者を とむらうため、
刑場あとの 後ろにたっているのが、だいきょうじ(経)寺
っていうお寺です。
こちらは
ぜったいに、
おまいり・ひっす(必須)
なのですが・・
お寺の中には
こわいシャシンが
かざってあるので、
ようちゅうい
「ギャオオォォ~・・
」
(その7、「江戸の二大刑場」に、つづく)