クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

バロン西

2020-01-22 | 教養

今年・2020年は、

「東京オリンピックイヤー」


ってことで、

『五輪小説傑作選(作家たちのオリンピックっていう短編集)』

よんでいたら、


しん(親)友・チットが 

好きな


「バロン西」の お話が

その中に 出てきました。


 「バロン西」とは、1932年(昭和7年)の

ロサンゼルス・オリンピック

において、


ばじゅつ(馬術大障害)で 

金メダルに かがやいた

にしたけいち(西竹一・陸軍中尉)

あだ名です。


・貴族

・お金持ち

・若い

・スポーツマン

・語学堪能

・社交的

・海外でも 人気ある

・オシャレ(ブーツはエルメス)


と、


とにかく・かっこよかった・バロン西

は、


 こんなふうに、クライスラー

馬で とびこえたりして

世人を 

しびれさせていました


 当時(1932年)、日本は、

中国と戦争(満州事変)してて

もうすぐ「国際連盟」も だったい(脱退)

首相も 暗殺されるなど(5・15事件)


「国際的にも、国内的にも、ヤバいね、あの国・・」


という 

時代でした。。



 そんなときだったからこそ

バロン西の かつやく(活躍)

海外における人気の高さ

日本国民にとっての ほこり(誇り)

であり、


迫害されていた・アメリカにおける日系移民の いやし(癒し)


でも あったのです。




しかし・・・


 バロン西が、2度目に出場した、

「ベルリン・オリンピック」

20位と ざんぱい(惨敗)すると

軍は、

彼を 切り捨てました。




 もともと・ガチガチの「陸軍」

中で、

ロン毛(丸刈りでない)で

外車を のりまわし、

とくちゅう(特注)の「白い乗馬服」を 着用していた

バロン西は


反かん(感)を 抱かれており



そのためか



よりにもよって、いおうとう(硫黄島)に 行かされたのです



太平洋戦争の

中でも、

くっし(屈指)の ひさん(悲惨)さとなった

「硫黄島の戦い」・・ 



バロン西は 

ここで 死にますが、

攻げき(撃)するがわの 米軍が、


「バロン西 我々はあなたを失いたくない。だから投降してください。」


呼びかけた と 伝わっています。



 


バロン西は、

「硫黄島」に行く前に、

世田谷の「馬事公苑」を 

おとずれています。




 ロスで 金メダルを取った時

あいぼう(相棒)、

「ウラヌス」に 会うためです




バロンの「愛馬・ウラヌス」

も、

戦時中の 栄よう不足などで

かなり・弱っていましたが

バロンのすがたを 見つけると、

かけよって

「お鼻・スリスリ」

甘えたらしい。



しん(親)友・チットは 語ります。


・・・ここらへんのいきさつが、城山三郎の短編小説に

うまく書かれていて、泣けるんだよね~


バロン西は、

愛馬のたてがみを 少し切り取って 懐に入れて

死地に赴くわけよ。


悲しい・・


バロン西については、ウラヌスとセットで評価しないと いけないわね


 私の好きな歴史上の人物は、1位斎藤隆夫、2位桐生悠々、

3位尾崎行雄、4位上杉鷹山、

5位以下は、いすぎて決められない・・


ってとこだけど、


バロン西が15位以内に入ることは 間違いないわね。


ウラヌスもセットにすると、西郷隆盛よりも 上位に位置するんじゃないかしら



 なにしろ『ウラヌス』っていうのは、我が愛する

『天王星』

の異称だからね」(チット談)



 (・・・・えっ、その理由?)




(しょひょうは つづきます・・)


コメント (4)
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