バロン西
今年・2020年は、
「東京オリンピックイヤー」
ってことで、
『五輪小説傑作選(作家たちのオリンピックっていう短編集)』
を
よんでいたら、
しん(親)友・チットが
好きな、
「バロン西」の お話が
その中に 出てきました。
「バロン西」とは、1932年(昭和7年)の
ロサンゼルス・オリンピック
において、
ばじゅつ(馬術大障害)で
金メダルに かがやいた、
にしたけいち(西竹一・陸軍中尉)
の
あだ名です。
・貴族
・お金持ち
・若い
・スポーツマン
・語学堪能
・社交的
・海外でも 人気ある
・オシャレ(ブーツはエルメス)
と、
とにかく・かっこよかった・バロン西
は、
こんなふうに、クライスラー
を
馬で とびこえたりして、
世人を
しびれさせていました
当時(1932年)、日本は、
中国と戦争(満州事変)してて
もうすぐ「国際連盟」も だったい(脱退)、
首相も 暗殺されるなど(5・15事件)、
「国際的にも、国内的にも、ヤバいね、あの国・・」
という
時代でした。。
そんなときだったからこそ
バロン西の かつやく(活躍)
と
海外における人気の高さ
は
日本国民にとっての ほこり(誇り)
であり、
迫害されていた・アメリカにおける日系移民の いやし(癒し)
でも あったのです。
しかし・・・
バロン西が、2度目に出場した、
「ベルリン・オリンピック」
で
20位と ざんぱい(惨敗)すると
軍は、
彼を 切り捨てました。
もともと・ガチガチの「陸軍」
の 中で、
ロン毛(丸刈りでない)で
外車を のりまわし、
とくちゅう(特注)の「白い乗馬服」を 着用していた
バロン西は
反かん(感)を 抱かれており、
そのためか
よりにもよって、いおうとう(硫黄島)に 行かされたのです
太平洋戦争の
中でも、
くっし(屈指)の ひさん(悲惨)さとなった
「硫黄島の戦い」・・
バロン西は
ここで 死にますが、
攻げき(撃)するがわの 米軍が、
「バロン西 我々はあなたを失いたくない。だから投降してください。」
と
呼びかけた と 伝わっています。
バロン西は、
「硫黄島」に行く前に、
世田谷の「馬事公苑」を
おとずれています。
ロスで 金メダルを取った時
の
あいぼう(相棒)、
「ウラヌス」に 会うためです
バロンの「愛馬・ウラヌス」
も、
戦時中の 栄よう不足などで
かなり・弱っていましたが、
バロンのすがたを 見つけると、
かけよって
「お鼻・スリスリ」
で
甘えたらしい。
しん(親)友・チットは 語ります。
「・・・ここらへんのいきさつが、城山三郎の短編小説に
うまく書かれていて、泣けるんだよね~
バロン西は、
愛馬のたてがみを 少し切り取って 懐に入れて
死地に赴くわけよ。
悲しい・・
バロン西については、ウラヌスとセットで評価しないと いけないわね
私の好きな歴史上の人物は、1位斎藤隆夫、2位桐生悠々、
3位尾崎行雄、4位上杉鷹山、
5位以下は、いすぎて決められない・・
ってとこだけど、
バロン西が15位以内に入ることは 間違いないわね。
ウラヌスもセットにすると、西郷隆盛よりも 上位に位置するんじゃないかしら
なにしろ『ウラヌス』っていうのは、我が愛する
『天王星』
の異称だからね」(チット談)
(・・・・えっ、その理由?)
(しょひょうは つづきます・・)