るろうに剣心の実写最後を飾る「伝説の最期」を観てきました。
これより盛大にネタバレしてますので、これから観ようと楽しみにしている方はご注意ください。
微妙。見終わったあとの率直な気持ち。
バトルにしても、ドラマ部分にしても、非常に実写化が難しいこの作品。その中でも特に難しいであろう、京都編のクライマックス。前作が思いのほか良かったので、ハードルが上がってしまったように思う。
バトルと人間ドラマが密接に絡み合って展開される原作に対し、限られた時間に詰め込まなければならない実写では、必然的にかいつまんだ形にせざるを得ない。これまでドラマパートをかいつまんで、バトルに重きを置いてきたと思うのだが、それが実写るろうに剣心とって結果的に良かったのだと思う。
それがここにきて急に奥義会得まで冒頭から1時間もかけ始めた。この部分は剣心にとって、京都編にとって、なによりこの作品にとっての核となる部分なのでじっくりやりたいのは分かるが、これは飽きる。
それが生きるほどのタメが実写版にはない。師匠が何のために剣心に生きろと諭しているのか、剣心がなんの為に生きようと悟ったのか、いまいち伝わってこなかった。なんか殺されそうになって、急に死にたくないと言い出した感じである。
やるなら前作の最後にねじ込むべきだったのではないだろうか。アオシなんかどうでも良かったんだ。
どうしても前作で志士雄と煉獄で対峙させたいなら、煉獄で殺されそうになった剣心を師匠が助けて逃げると。御庭番に師匠を探させていれば、それほど不自然でないはず。操が師匠の元に駆け込むくらいの描写で済むし。
嵐の海に投げ出されて、生きて浜辺に流れ着き、おまけにそれを師匠が発見するという、海に投げ出されるのもたまには悪くないよね、みたいな流れよりはいくらか自然だと思うけど。
そのまま師匠が志士雄を倒さない不自然さはあるが、それについては原作でもあったこと。修行のくだりで説明できる。
志士雄に歯が立たないのに薫を助ける為に再び志士雄の元に向かおうとする剣心に対して奥義のやりとりがあり、死に急ぐ剣心が師匠に殺される寸前で終わるとか。
薫は別にさらわれてなくても良い。御庭番に探させている伏線があるのだから、薫が行けばいい。大事なのは師匠が薫の存在を知っていることだと思う。
そんで今回の冒頭は、幼少~人斬り~維新~と回想で始まり、薫のところで我に返り、俺はまだ死ねない→奥義会得、ならまだ分かる。
これを長々と冒頭からやってしまったせいで、後半のバトルに割く時間がなくなり、十本刀が総ザコ化。ヘンヤやカマタりらへんなんて、紹介すらされない始末。
弥彦も薫も戦わせて欲しかったが、さすがに無理があるか。弥彦もそれまでの成長が全く分からない感じだし、そんな弥彦に負けたらそれこそ十本刀がザコに見えてしまう。十本刀が弱く見えるくらいならこの2人は戦わない方が良いか。
それでも宇水と斎藤戦は10分くらい時間を割いても良かったはず。あれではあんまりだ。ただ宇水も今回キャラがうすい(シャレではなく)ので、それほど効果なかったかもしれないが、あまりにも惜しい。
アオシも師匠もいるのだから、カマタリやヘンヤもきちんと戦わせて欲しかった。10分で終わるだろうよ。
宗次郎もただの痛い奴になってしまったが、ほんの少し彼が苦しんでいる時に、虐待されているシーン、志士雄に刀を渡されたシーン、皆殺しにしたシーンをフラッシュバック方式で差し込めば良かったのに。こんなの1分で済む。
安慈も好きなキャラだけに、なんとも残念な左之助との脳筋バトルのみ。しかも内容が1作目まんま。拳の連打くらい出せばいいのに。廃仏毀釈の設定だって10分くらいで語れたのではないだろうか。原作より間違いなく軽くなってしまうけど、少しはキャラも立つ。二重を出してしまうと左之助に勝機がなくなってしまうのでこれは仕方ないが。
あと、ものすごく気になったのが、剣心が斬首刑にされようとしている時に、斬馬刀を置いて竹の柵にしがみつく左之助。不自然。斬馬刀で叩き壊せよバカ。それか登れ。見ている誰もがそう思ったであろう。使わないなら斬馬刀は出さない方が良かったのでは。原作通り剣心に切らせておけば良かったのに。
ただ志士雄とのラストバトルはさすがの一言。志士雄の最強っぷりがきちんと出てました。今回の見所はこのラストバトルだけだが、それだけでも観る価値があるかもしれません。