無知の涙

おじさんの独り言

時代の終わり

2020年03月31日 | 日常

気が付けばもう4月。

なんだか新型コロナウィルスに始まり、コロナウイルスで終わった3か月間だったような気がする。コロナ自体は全く終わる様子ありませんが。

幸いこの3か月間は朝5時台の電車に乗り、東京の遠方へ行くという日常。帰りも各駅で帰ってくればそれほど混雑しないし。帰宅の時間は遅くなるけど。

職場で接する人たちもほぼ車通勤の人たちばかり。

断酒している身なので夜に繁華街へ飲みにいくわけでもないし、休日は工房でプラモ作ってるか家でゲームしてるという、日々の生活が普通に自粛レベルなので、いまいちコロナ感染と言われても、あまり実感のない話であった。

自分の身としては実感のない話であるが、高齢の両親がいるという点では全く対岸の火事ではないのだが、下手に面倒見になんて動いたら、より状況が悪くなる可能性もある。自分が感染していないという確たる根拠は何もないわけで。

そんな八方ふさがりな状況を見ながら、ふと小松左京の「復活の日」を思い出す。こうも成す術がないものか。

次第に東京都内の感染者も増え、週末の自粛要請。

その週末は季節はずれの大雪に見舞われ、自粛自粛で子供たちもウンザリしていたのか、珍しくあちこちに雪だるまの残骸が見られた。

かつて雪だるまであった氷塊がまるで急いで冬に別れを告げるように溶けてゆく中、志村けん逝去のニュースがスマホに表示された。

昭和、平成、令和と時代を経てきても、正直なところ時代の変わり目というのは単なる符号の変化でしかなく、実際に生活レベルで変化する事と言えば書類に書く年号くらいなのだから、昨日まで確かに存在していたものが去り、別の新しいものが始まったという実感が得られないのは当然の事だと思う。

故に昭和も平成も自分にとっては終わっていなく、同じ地続きの途中に立っている記号のようなもの。ちょうど県境にある標識のように。

その終わりというのは人によって様々だと思うが、僕は人の死によってもたらされるのだなという事に気が付いた。

幼い頃は親父が志村けんのファンでもあった事から、小学生の頃の土曜日の8時といえば必ず全員集合を見ていた。

普段は家族別々の部屋で寝てるのだが、その時だけは狭い居間に家族分の布団をひいて、ドリフターズを見ながら眠りについた。

昭和の家庭というものを考えた時に、どういうわけか僕はその光景を思い出す。居間に布団を4つ並べて、ドリフターズを見て笑っている光景。

昭和が終わったのだとテレビに死去の文字と共に写された彼の姿を見ながら思った。