閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

祭りの合図

2009-03-23 08:53:51 | 日々
桜の開花宣言がなぜ必要か、ということを考えていて、
ふと思い当たった。
これはつまり「祭りの合図」なのではないか。

日本人の大好きな「お花見」というのは独特なもので、
スーツ姿のビジネスマンも木の下に座り込み、
飲んだり食べたり歌ったり踊ったりする。
これは桜、それもソメイヨシノの花の下でだけ見られる
奇妙な現象である。

田舎の花見は良い。
人の数と桜の数のバランスがとれている。
桜と桜の間にもじゅうぶんな空間があり、
浮かれた声も広い空に吸い込まれていく。

都会では少しの桜におおぜいが殺到して足の踏み場もなく、
ほこりの舞う道路わきだろうと、ゴミ箱の隣だろうと構わず、
「ええっ、こんなところで?」と思うような場所でやっている。
ふだんは誰もこんなことはしない。
昼間から地べたに座って酔っ払って騒いだら「ヘンな人」だろう。
ホームレスの人だってもっとずっとお行儀がいい。

ふだんしないようなことを堂々とやっても誰もとがめない。
むしろみんなそろって堂々とやるのが当然とされている。
ああそうか、これは「祭り」と同じなんだ。
年に一度、この季節にだけ、すべての桜は祭壇となり、
コノハナサクヤヒメに酒肴を供え、歌や舞いを奉納する。
そう考えれば納得がいく。

(ソメイヨシノが喜ばれることも、それでわかる。
ぱっと咲き、ぱっと散る。
あまり長いことじっくり咲いていられては、
祭る側の体力がもたない)

とすると「開花宣言」はすなわち「開会宣言」だ。
「さあここで祭りを始めてよろしいぞ」というご託宣。
これが出ないうちに個別にやると「ヘンな人」になってしまうから、
みんなかたずをのんで宣言を待つわけだ。

かつて某出版社は桜の名所の近くにあり、
花見の宴では新入社員が木に登るのが伝統になっていた。
今ではどうかしら。
温暖化で、入社式の頃には桜も散ってしまっているようだし。

ちなみに、わたしはシートの青色を見ると頭がくらくらするため、
「場所取り中」のお花見スポットには絶対に近寄れません。
これじゃない色のシートを誰か開発してください。

コメント
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