非常に大きな石皿です。
この品については、過去のブログで一度取り上げました。
今回、大皿として、見直してみました。
径 37.5㎝、高 9.2㎝、高台径 19.5㎝。 明治~大正。
器形は、典型的な石皿です。
先回の黄瀬戸?石皿より一回り以上大きく、石皿としては最大級でしょう。
石皿に特有の外周鍔部は太く、がっちりと作られています。
高台も力強い造りです。
焼成中にできたひっつきは、ご愛嬌。
この皿の特徴は、何といっても絵付けです。
非常に奇妙な図柄です。
石皿の絵には、いくつかのパターンがあります。一番多いのは、動植物を簡略化して、皿いっぱいに大きく描いたものです。中でも、人物や文字を描いた物は珍重されます。
しかし、この皿には、そのいずれにもはいらない不思議な絵が描かれています。
下半身は人間、頭は龍?の怪獣が、
て
男を追いかけています。
まん中には、上から下へゆらゆらとした曲線が・・・・・
よく見ると、曲線に沿って、非常に薄い呉須で青色がつけてあります。これは、川の流れではないでしょうか。
怪獣と男の腰の付近は、薄く鉄釉が塗られています。服のつもりでしょう。
流れに沿って二つある花びらのような模様は、炎をあらわす?
「!これはひょっとして」と、あれこれ探すうちに、よく似た構図の絵に行きつきました。
道成寺縁起絵巻(国重文、『続日本の絵巻』中央公論社)
安珍・清姫伝説の一場面、旅の若僧侶、安珍に恋した清姫が、自分を捨てた男を追いかけて日高川を渡るところです。怒りのあまり、女は蛇へと変身し、火を噴きかけています。僧は、道成寺に逃げ込み、鐘の中に隠れますが、大蛇は鐘に巻き付き、怒りの炎で焼いてしまいます。
石皿には判じ絵はよくありますが、このように物語の一部を描いた物は他に例をみません。
どうして、このような皿が作られたのでしょうか?
まず考えられるのは、贋物です。
しかし、贋物は基本的に人気のある物のコピーです。鯛や兎、松、人物の珍柄など、人の目をパッと引く品でなければ意味がありません。こんな訳の分からない物を作っても商売になりません(^^;
それに、贋物作りでは、どうしても筆がぎこちなくなります。一方、陶工の筆は、ほとんど自動的に走ります。描線の走りをみれば両者の違いは一目瞭然です。この皿の絵付けは、絵を描き慣れた人の手になるものです。
ここで疑問が?
「瀬戸の伝統的絵柄ではない道成寺伝説の図を、陶工の裁量で描くだろうか?」
ここからは、私の推量です。
幕末から明治、大正にかけて、多数の有名無名の文人画家たちが、絵修行を兼ねて全国を旅していました。たいていは、地方の素封家の家に逗留し、お礼に書画を残していきました。今回の品も、そういった絵心のある人の手になるものではないでしょうか。絵から、受ける近代的な雰囲気も、画家の手すさびなら納得できます。
今回の石皿は、長い間、私にとって謎の品でした。能の道成寺について調べものをしている時に、ハッとひらめいたのです。
私の持っている物は、訳の分からないガラクタばかりですが、時に、「おお、そうか!」となります。こうやっていろいろな結びつきができるのが、ささやかな愉しみなのであります(^.^)