遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

故玩館と輪中堤の春

2021年04月04日 | 故玩館日記

いつのまにか、すっかり春爛漫となりました。

中山道を右に見て、故玩館とその横の輪中堤を眺めます。

広重が描いた竹藪はまだ健在。

変わったのは、この辺りの無数の野池が埋められ、湿地帯ではなくなったこと。

 

千手観音堂からの眺め。

西から東へ向かう中山道歩きの人が、足を止める場所です。

 

桜並木は、故玩館から北へ約1km続きます。

 

コロナで途絶えていた中山道歩きの人々も少しずつ戻ってきました。でもまだ、平日は数人です。団体、グループはゼロ。

 

 

 

 

 

階段を上がった所には、季節の花が(私の管轄外(^^;)

懐石料理屋と間違えて入ってきた人もいました(^^;

 

横へ回ると輪中堤です。本来は塀の高さほどあったのですが、明治以降、削られて道路ができ、現在の状態になりました。

 

 

葉がないこの季節だけ出現する怪獣ドラゴン。私のお気に入りです(^.^)

 

 

その向こうは、北へずーっと桜並木。最初の写真で見えていた所です。

 

とりとめのない桜の花よりもヤドリギの方がおもしろい?(^^;

 

Uターンして、中山道へ戻ります。

 

故玩館の斜め向かいには、かつて高札場がありました。当時は、カーブミラー上部位の高さだったでしょう。中山道は輪中堤を乗り越えて行き来するようになっていたのです。67宿、139里の中山道の中で、このような形で堤乗り越えをするのはここだけだと思います。

その理由は、この辺りの中山道の地理的位置にあります。中山道の前身は東山道です。東山道は、数km北を東西に走っていました。洪水の危険が少ない場所です。ところが、江戸時代になって中山道が整備される時、流通事情などから少し南にルートがとられました。そこは、濃尾平野の中で洪水が頻発する北限。濃尾平野に築かれてきた多くの輪中の内、最北の輪中がここなのです。

故玩館は、輪中堤にへばり付くようにして建っています。

中山道と輪中が交差するこの場所には、江戸時代には樋門があって、出水時は水が宿場へ流れ込まないよう閉じられました。

 

ここから南へも、ずっと桜並木は続いています。ソメイヨシノだけでなく、いろいろな種類のサクラが2kmほど点々と続いています。ズーーーッと歩いていけば(相当ありますが(^^;)、墨俣一夜城に行きつきます。

 

コメント (10)
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