昨日の古伊万里コレクター、Dr.Kさんのブログで、「染付 家紋文 小皿」が紹介されていました。
よく似た皿がウチにもあったはず・・・・故玩館の格納庫を捜しまわり、一番奥の隅にダンボールに入っているのを見つけました。Dr.Kさんの記事がなければ、故玩館の闇に埋もれ果てる運命の品でした(大げさ(^^;)
この皿は、30年ほど前、行きつけの古民芸店で入手したものです。
「デザインは素晴らしいが、伊万里ではないかも・・・」と、店主もどこの陶磁器かわからないようでした。
家へ連れて帰って、そのままになっていましたが、今回、ひょんな事で日の目をみることになった次第です(^^;
薄造りのボディに、瀟洒な絵付けがなされています。
径 14.0㎝、高 2.7㎝、高台径 8.0㎝。江戸後期。
よく生成された胎土を用いています。
十六弁菊花紋が3つ描かれています。謹厳実直という感じで、大変精緻な染付です。
もう一種類の模様は、葉か花かわかりません。菊紋の間に散りばめられています。Dr.Kさんのブログの品とは、菊紋の形と数、配置がほぼ同じです。もう一種類の模様については、Dr.Kさんの皿が家紋様の模様であるのに対し、私の皿の方は、植物の葉か花です。
裏面の唐草模様も、この時代の品にしては、きちんと描かれています。
この手の皿は、禁裏御用下賜品と言われている物です。
禁裏御用とは、今でいえば、宮内庁御用達です。宮中で使われていた器が下賜され、それが市中へ出回った訳です。
陶磁器の禁裏御用は意外に古くからあり、江戸時代18世紀初頭には、平戸(藩窯)、有田(辻家窯)の磁器が納められていました。
その特徴は、染付で描かれた16花弁の菊紋です。また、多くの場合、中央に圏線が一本きっちりと引かれています。
今回の品も、平戸焼か伊万里焼か、どちらかです。
よく生成された肌理の細かい胎土の薄い器体の上に、細い筆で瀟洒な絵付けがなされています。
これは平戸焼ですね。淡い呉須の色も平戸の特徴です。
せっかく奥から引っ張り出した皿です。
故玩館への来訪者に、ティーブレイク時にお菓子をのせて、さりげなく出してみましょう。
「おお」と襟をただせば、「おぬしできるな」となるでしょう(^.^)
で!もちろん「おお~~」です(笑)
>禁裏御用下賜品
私は銘が入ってないと価値が下がるとばかり思ってましたが、そのあたりを教えてください。
モノの価値を知らないってことですが(;^_^A
文様としては、私の所の皿と、「十六菊紋」は全く同じですね。また、「亀甲花菱紋」の代わりに「葉」か「花」をあしらっているんですね。ですので、皿全体の文様としては非常に似ていますね。
三川内焼(平戸焼)の素地は、天草石を使用しているので伊万里の素地よりも白いですよね。また、この小皿の裏面の繋ぎ唐草文はかなり簡略化されていて、江戸末期によくみられる繋ぎ唐草文ですね。
そんなところから、これは、いかにも、江戸末期の三川内焼(平戸焼)と言えますね。
多分、私の所の小皿にコメントを寄せてくれた、越前屋平太さんは、この手の作品を知っていたんですね。
この小皿こそ、越前屋平太さんの言う、江戸末期の三川内焼(平戸焼)藩窯の禁裏御用の作品なのだろうと思います。
そうしますと、私の所の小皿は、江戸期の有田の禁裏御用を務めた辻家の作品だったような気がしてきました。
素地がそんなに白くなく、有田の製品ですものね。ただ、裏面の繋ぎ唐草文が丁寧に描かれていますので、この小皿よりはもう少し時代は遡りそうですけれど。
もっとも、辻家が、江戸期にどのような物を作っていたのか、私は、全く知りません。これからの勉強課題です。
銘については、考え方次第ですけれで、「大明年製」などの銘があるものは、比較的上手であることはたしかです。が、最上級かというとそうでもありません。
それから、作家の銘が入るようになったのは江戸後期からですが、これもピンからキリまでありますから、一概には言えません。
大体、物の価値評価自体が難しいです。価格は一つの目安ではありますが、我々ビンボーコレクターは、それ以外の価値を必死になって見つけようとしている訳です(^.^)
私も、Drの皿は伊万里だと思います。高台内のピン跡も、たしか、平戸には一般的になかったはず。
で、ここで大テーマが浮かび上がります(またまた、大げさ(^^;)
平戸と伊万里で、類似デザインの皿造り?
も少し離れているし、偶然にしては似すぎです。
当時は、御所の方から、こんなデザインで作ってくれ、とリクエストをしていたのでしょうか。
こんな良い題材が揃うとは思いませんでした(^-^*)
鍋島の場合は、鍋島藩側がひな型か下絵を持って老中のもとに赴き、老中の承認を得てから献上品のデザインを決定したようですね。安永3年の記録が残っているらしいですね。
そのことから考えますと、御所のほうからリクエストがあったのかもしれませんし、御所と辻家、御所と平戸藩で協議して決めていたのかもしれませんね。
いずれにしても、この2枚の似たような小皿の存在から考えますと、平戸藩単独で、或いは辻家単独では決めていなかったように感じますね。
金継ぎをしており 中島先生などが 景色になっている素晴らしい
などと言いますね。このお皿には小さい茶色が載っていますが
これは修復したあとですか?それとも元からの模様でしょうか。
そういった事の記録は残っていないでしょうから、品物をたくさん集めて推定する方法しかないと思います。コレクターの出番もあり?(^.^)
赤漆で補修したままで、金は蒔いてありません。わざとなのか、工程の途中なのかはわかりません。
宮中で補修までして使っていたとは思われませんから、これは後世になされたものです。使われていた証しでもあるわけですね(^.^)
僕は日頃、あの少しザラっとした手触りや、同じものは二つとない模様が好きで、常滑焼(焼き締め)に慣れ親しんでいます。
染付も古くから今に伝わる伝統工芸。
でも、僕は食いしん坊なので、お皿をサラッと出されても、上にのったお菓子の方に目がいきそう!?です(#^^#)
これらは重く、輸送が大変だったので、特に地元中部地方には多く残っています。
渋い焼き締めの肌に黄色の自然釉が、古常滑の魅力です。
ただ、物多いせいか、少しぞんざいに扱われているのが残念です。
故玩館にも、室町時代の常滑焼の大甕があるので、また紹介します。