遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

絵瀬戸夕景帰帆図中皿

2020年07月11日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

江戸後期には、瀬戸で日用陶器が大量に焼かれました。石皿、油皿、馬の目皿、絵瀬戸です。これらの陶器には、民芸調の絵が描かれました。但し、石皿は無地の物が圧倒的に多いです。

前々回のブログで、江戸後期の絵瀬戸と桃山美濃陶とをつなぐかも知れない絵柄の釉剥ぎ中皿について書きました。

話しは前後しますが、今回は、代表的な絵瀬戸皿を紹介します。

  径 22.3㎝、高 4.4㎝、高台径 13.7㎝。 大正~昭和(戦前)?

鉄釉で、簡略化されて風景が描かれています。江戸後期の瀬戸雑器の絵付けは鉄釉です。一部に地呉須も使われますが、絵瀬戸の場合は、ほとんだが鉄釉一色です。

 

器形は、馬の目皿に近いです。円形だけでなく、方形の絵瀬戸もあります。大きさは、本品のような7寸皿が多いですが、まれに巨大な絵瀬戸皿もあります。

 

裏面はいたってシンプル。大きめの高台は、安定感をうんでいます。

 

絵瀬戸の魅力は、何といっても絵付けです。

今回の品は、簡略された絵付けで、一幅の山水画をみるようです。このように、非常に手慣れた筆さばきで、一気に描くのが雑器絵皿の特徴です。

柳と松の木のそばに一軒の東屋がたっています。雁が帰る夕暮れに、小舟が家路を急いでいます。垣根も見えます。下にあるUFOみたいなのは何でしょうか。

 

力強い筆致で、ためらいなく木々が描かれています。土瓶の絵付けで有名な益子の皆川マスさんを思わせます。

 

薄い鉄釉を使って、濃みの効果をだしています。

 

絵瀬戸皿だけではなく、行燈皿にもこのタイプの絵付けが多く見られます。

      三田村善衛『瀬戸絵皿の魔力』

 

別の資料には、今回の品と非常によく似た絵付けの油皿が載っています。

この油皿は、おそらく江戸後期の品と思われます。

江戸後期に花開いた瀬戸の絵皿ですが、明治にはいっても造られつづけました。いつまで生産が続いたのかはよくわかりませんが、今回の絵瀬戸皿はデッドストックの未使用品ですから、昭和の品の可能性が高いです。

筆付きも含め、同じ図柄が連綿として受けつがれてきたのですね。

 

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大雨で野菜全滅?

2020年07月08日 | ものぐさ有機農業

今朝は、思ったより短時間でしたが、激しく雨が降りました。5-6時くらいまででしょうか。

そして、次のブログにアップする品定めをしていたのですが、疲れてふと窓の外(北側)をみると(11時頃)・・・・・

 

これくらいの出水は、3年ぶりでしょうか。

 

故玩館の竹藪も水につかっています。

 

少し横を見ると・・・・

これは堅田の浮御堂ではありません。旅人の道中安全を願って、天保年間に建立された千手観音堂です。当時から、このような風景は当たり前だったのでしょう。石垣の上に立ち、街道から石橋で渡るようになっています。

 

中山道を挟んで反対側(南)を見ると・・・・・

ずっと先の家々の辺りまで濁流。

 

少し横には、私が丹精込めた(?)畑があるのですが、完全に水没しているではありませんか。

 

トマト、唐辛子も水の中。

 

普段は、こんな感じなのですが・・・・

 

今や、水耕栽培かと見まごうばかり(^^;

キュウリ、なす、ウリも・・・

今までの経験からすると、半日水に浸かった野菜は枯れてしまいます。

特に、トマト、ピーマン・唐辛子、なすは脆い。全滅か?

早く水が引いてくれることを祈るのみです。

 

畑脇、大きな蛇の抜け殻があった場所も水の中。蛇は今頃どこに?

 

 

 

 

 

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絵美濃?中皿

2020年07月07日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

先回のブログで、初期絵瀬戸と思われる大皿を紹介しました。

そして、このような品が、ひょっとすると、消えた美濃桃山陶と江戸後期に量産された絵瀬戸系等の陶器とをつなぐ物ではないか、との仮説を立てました。

今回の品は、この仮説をさらに補強する物ではないかと考え、アップしました。

径 22.1㎝、高 4.9㎝、高台径 9.8㎝。 江戸初期~中期(?)

 

 

全体に薄作りで、高台は高く、格式のある器形です。

高台内にも、釉薬が掛けられています。

 

うわぐすりは灰釉で、御深井焼のような雰囲気ですが、

器体には小穴が多くあり、御深井焼とは異なります。

 

中央部は、輪状に釉剥ぎされ、重ね焼きされた跡が輪線として残っています。

釉剥ぎ部分には、鉄釉が塗られているようです。

 

今回の品をもう一度よく見てみます。

外側に、大きなスペード状の模様が3つ、描かれています。これは葵、もしくは河骨の葉と思われ、織部焼きによく見られる図柄です。

 

よく似た皿が本に載っていました。

高台が薄く高い器形で、やはり中央が丸く釉剥ぎされています。その外側にスペード模様が描かれ、私の皿と非常によく似ています。中央には、型摺りで、葵(河骨)が咲いている様子が表されています。著者は、この皿が、江戸初期の美濃と後期の瀬戸をむすぶものではないかと述べています。

 

手描きと型摺を併用した同形の皿については、この道の先達、料治熊太が早い段階で注目しています(『明治印判の染付』工芸出版、昭和49年)。

やはり輪状に釉剥ぎがなされて、重ね焼きされています。釉剥ぎの外側に手書きで、内側には型摺で、菊が表されています。料治熊太は、この皿を、江戸初期、美濃清安寺窯の産であるとし、そこに、江戸後期の瀬戸民衆雑器のルーツを求めています。

 

再度、今回の皿を見てみます。

見込み中央には、笹紋が鉄釉で手描きされています。

 

この笹模様は、桃山~江戸初期の志野、絵志野小皿によく見られます。蘭竹図と言われることもあります。

志野陶片(発掘) 最大径 12.0㎝

 

そういう目(欲目(^^;)で高台をみれば、美濃の土と思えなくもありません(^.^)

私は、これまで、他に3枚、店舗でも類似品を見ました。いずれも、見込み中央部には、型刷りの模様が置かれていました。なぜか、手描き模様は少ないのです。

今回の皿は、美濃織部に特有のスペード形葉模様と志野に多く描かれた笹模様、両方を一枚の皿に盛っています。そこで、この皿を、絵瀬戸ならぬ、『絵美濃』と呼ぶことにしました(^.^)

『絵美濃』は、桃山美濃陶が廃れ行く時、その精神を後世に伝えようとしているかのようです。

Dr.Kさんや酒田の人さんも、高い高台と釉剥ぎの古伊万里色絵皿をブログで紹介されていたと思います(釉剥ぎ部は、色絵が施されていますが)。

このような皿は、なにか特別な意味をもっているのかも知れません。

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大皿8 瀬戸墨絵竹図大皿

2020年07月05日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

水墨画のような竹が描かれた瀬戸の大皿です。

大変に珍しいタイプの皿です。

初期絵瀬戸皿とでもよぶべき品でしょうか。

径 35.0㎝、高 5.3㎝、高台径17.3㎝。 江戸中期頃(?)

非常に古格があります。

 

江戸後期から数多く焼かれた絵瀬戸皿、馬の目皿、石皿などに比べて、全体に薄造りです。高台の造りも華奢です。

土や釉薬も、江戸後期のこれらの瀬戸焼とは少し異なります。美濃の土ならば超珍品なのですが、やはり瀬戸の焼物でしょう(^^;

全体にゆがみがあります。

 

今回の皿の最大の特徴は、絵付けです。

非常に繊細な描写です。

まるで、筆に墨をつけて紙や絹地の上で、竹を描いたかのようです。

タイトルを、敢えて『墨絵竹図大皿』としたのはそのためです。本当は、『鉄黒釉竹図大皿』とすべきでしょうが、面白みに欠けますから(^^;

もちろん、陶磁器の絵が、墨で描かれるはずはありません。焼成時に燃えてしまいます。

黒色の釉薬の成分は、鉄です。鉄釉は、焼成すると茶色に発色しますが、鉄分を多くした場合は、黒に近い色になります。

しかし、黒釉はあくまでも濃い茶色ですから、普通は、器表にたっぷりと塗りこめる使い方をします。今回の品のように、サッと描いたり、ぼかしたり、極細の線を描いたりすることはありません。

しかも、筆の運びがとても流暢です。陶工ではなく、絵師によるものと思われます。

 

下の絵は、江戸時代後期の女流漢詩人、江馬細香(1787-1861)の描いた墨竹図です。最近、入手しました。

大垣藩医江馬蘭斎の娘、細香は、幼少から書画に秀で、竹の絵を得意としました。大垣藩主をはじめ、多くの人々が競って求めたといわれています。

江馬細香『水墨竹図』、本紙、38x122㎝。 晩年(万延元年)作。

 

墨の特性を生かして筆を自在に使い、竹林を幽玄に描いています。

 

今回の瀬戸大皿に描かれた竹図は、江馬細香の『水墨竹図』と比べても、遜色のない出来栄えです。

しかも、キャンパスは紙や布ではなく、陶器です。

よく見ると、陶器質の生地の上に白泥を分厚くかけていることがわかります。その上に、筆を用いて、黒釉(鉄釉)で繊細な竹図を描いたのです。うわぐすりは、長石のようです。

 

 

ざーっと、一気に白泥を掛けています。

地肌は、江戸後期の絵瀬戸系の皿にはみられないものです。桃山時代の志野に似ています。

桃山時代に全盛期をむかえた黄瀬戸、志野、織部などの美濃の陶器は、その後、スーッと消えてしまいました。茶道の好みが変わり、時代に乗り遅れたのがその理由だと言われていますが、本当のところは不明です。

そして、江戸後期、隣接した瀬戸で、絵瀬戸、石皿、行燈皿、馬の目皿など多くの陶磁器が作られました。いずれも日用雑器ですが、美濃の桃山陶器のように、多くに特徴的な絵付けがなされています。

美濃で消滅した桃山陶ですが、その伝統は、瀬戸で細々と受けつがれ、それが江戸後期に一気に花開いたのではないか ・・・・・それを示す品はほとんど残っていません。

美濃茶陶と瀬戸の雑器。ふたつをつなぐミッシングリンクのひとつに、今回の大皿がなってくれることを夢想する遅生でありました(^.^)

 

 

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大皿7 古伊万里松竹梅蛸唐草大皿(大鉢)

2020年07月02日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

蛸唐草松竹梅紋の古伊万里大皿です。

 

径 37.0㎝、高 8.4㎝、高台 22.4㎝。江戸時代後期。

 

この品の器形は、鉢に近いです。しかし、鉢と皿の境はあいまいです。一般に、浅い容器を皿、深いものを鉢とよんでいるのですが、深い、浅いを決める基準はありません。古伊万里に詳しいDr.kさんによれば、江戸時代、鍋島の尺皿は鉢とよばれていたそうです。人間の感覚として、同じ器形でも、大きくなると深く感じるのかもしれません。

ここでは、便宜上、この品を古伊万里大皿としておきます。

 

中央に大きく松竹梅を描き、その周囲を蛸唐草で埋めています。

両者とも、伊万里焼では定番中の定番です。

 

松竹梅紋は、古伊万里には古くから画題として用いられてきましたが、時代を経るにつれ簡略化された絵柄になっていきました。その点、この皿の松竹梅は、江戸後期にしては、かなりしっかりと描かれていると思います。

 

あまり上品とは言えない蛸唐草ですが、ここまで密にびっしりと書き込んであると、その生真面目さには一目置かねばなりません(^^;

 

裏面の唐草模様も、この時期の器にしては、丁寧にびっしりと描かれています。

 

大明成化年製の銘も、まあまあ、きっちりと。

総合的に判断して、この大皿は江戸後期の品としては、比較的上手に入る部類の品でしょう。

 

ところが、先回の古伊万里牡丹虫紋皿と同じ所に置いてあった今回の大皿(鉢)について、私にはほとんど記憶がないのです。もちろん、しっかり見たのも、今回が初めて。

これだけの大皿ですから、江戸後期の品とはいえ、そこそこの値はします。ですから、軽い財布をやりくりしての故玩集めでは、夫々の品について入手時のあれこれは頭にこびりついているのですが・・・・それに、定番すぎる蛸唐草や松竹梅のために、なけなしの財布を開けることもないでしょう。

また、こんな大皿が、粗大ごみの中に無疵で転がっているはずもないでしょうし・・・・

とすると、どなたからかこの品をいただいて、そのまま置いておいた可能性が大きいです。この場をかりてお礼を申し上げます。どうも、ありがとうございました(^.^)

 

皿(鉢)も、尺2寸となると迫力がありますね。先回の皿と持ち比べてみると、その大きさが実感できます。

 

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