遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

川崎千乕『長良橋舟梁功竣図』(明治7年)

2025年02月16日 | 故玩館日記

先日のブログで、岐阜名所の古い絵葉書を紹介しました。そこでは、岐阜公園や鵜飼とともに、長良川に掛かる大橋、長良橋がありました。また、依然に紹介した古い岐阜市地図にも、長良川に掛かる橋が載っていました。

今回の品は、長良川に最初に掛けられた橋(舟橋)を描いた絵です。

木版画(石版画?)川崎千乕『長良橋舟梁功竣図』、35.9㎝x48.7㎝。明治七年。

長良川の鵜飼いと舟橋が描かれています。

右下の記述。

「明治七年十一月舟梁功竣之日寫於岐阜藍水東涯之客舎 千乕 印」

日本画家、川崎千乕の描いた「明治七年十一月舟梁功竣之日」の様子です。岐阜藍水(長良川)の東涯(詳細不明)の客舎で筆をとったとあります。

【川崎千乕(かわさきちとら)】天保七(1837)年ー 明三五(1902)年。明治の日本画家。名古屋生れ。尾張藩士(浮世絵師)の家に生まれ、大和絵を習得し、歴史画を得意とした。東京美術学校の教授を務める。日本画家、川崎小虎は孫。

風景図の上側には、国学者、足立弘訓 の長良川の鮎についての一文、〇斎による七言絶句『船鎖橋』、

芭蕉の十八楼の句、彦根藩家老、岡本黄石の七言絶句『長良川の鵜飼』が記されています。

「金華山」は、以前に紹介した明治十六年の『日本交通分縣地図 岐阜県』と同じく、「金花山」の表記となっています。この頃は、「金花山」の方が一般的だったのでしょうか。

さて、今回の品のハイライト、舟橋です。

岐阜の市街部とながらの里(現、岐阜市長良)を結ぶ橋が完成した明治7年11月の光景です。正面の山は、百々ケ峰(どどがみね)。

多くの人が橋を渡っています。両岸にも見物人。橋には、欄干が付けられ、ガス灯も設置されていることがわかります。

江戸時代、長良川には橋がありませんでした。今回の図に描かれた舟橋が、初めての橋なのです。これまで、渡船でしか行き来できなかったものが、自分の足で向こう側へたどりつける・・・人々の感慨は想像を絶するものであったでしょう。この橋は、それが出来た年、明治七年を記念して、明七(めいしち)橋と呼ばれました。

橋をよく見ると、半分は木橋、残りの半分には船を並べ、その上に板が張ってあります。木橋は、川の東部、ワンド上にあります。この時期は川の水が少ないので、砂、砂利の川床です。一方、川の西部は本流で流れが速いので、船を並べる工法をとったのでしょう。

橋は、舟15艘を並べて、鉄鎖(長さ二百間、重さ七百貫目)で繋いだもので、幅三間、長さ百九十間ほどでした(一間=1.8m、一貫=3.75㎏)。

なお、上図には薄いですが、赤い細丸長の印が押されています。「美濃教義新聞第十四號附録」と読めます。これは、明治7年に、岐阜市の撃桃社が、月2,3回発行した宗教新聞(雑誌)です。今となっては、その附録が、はからずも長良川の貴重な歴史を伝える物となっています。

この舟橋+木橋のハイブリッド明七橋は、当時としては画期的なもので、大勢の見物人で賑わいました。芝居小屋や覗きメガネの店まで出たそうです。但し、個人の所有物であったので、通行料が要りました。人は4厘、馬が9厘、人力車、1銭(せん)4厘でした。

長良川が湾曲するあたりが、河原町。「芭蕉翁古跡、今十八楼、やまもと」の記述があります。芭蕉が鵜飼を楽しんだ頃の水楼はすでになく、江戸後期にこの場所に出来た旅館「山本屋」が現在も続く十八楼なのです。

この辺りは瀬になっていて、流れが速いので、鵜飼見物には向いていません。現在は、長良橋上流の瀞場が鵜飼の舞台です。しかし、明治初めごろまでは、この辺までが、観光鵜飼の場所であったらしいことが、今回の絵や以前の『美濃國長良川烏鬼行圖』(明治15年)からわかります。また、この圖には船橋が描かれていて、明治15年に至っても、この舟橋が使われていたこともわかります(下図)。

その後、明治17年に2代目の長良橋が完成し、木橋+舟橋ではなく、すべて木橋になりました。そして、明治34年、3代目の橋が県費で造建され、通行は無料になりました。大正4年には、最新の鋼鉄製トラス橋(上は板張)が完成し、4代目の長良橋となりました(下写真)。

現在の長良橋は、昭和29年造建の総鋼鉄製橋(5代目)です。

作者の川崎千乕は、今ではあまり顧みられなくなった画家の一人です。しかし、江戸絵師の流れを引く彼の技量はなかなかのものです。

マッチ棒を見つめていると、ガリバー旅行記の世界みたいですね(^.^)

こんなにも繊細な彫りを木版画で?石版なら可能でしょう。しかし、明治7年の段階で、地方の弱小出版社が最先端技術を駆使した印刷物を出すとはとても考えられません。

ここでは、やはり、木版画ということにしておこうと思います(^.^)

 

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紫サツマイモの苗づくり

2025年02月13日 | ものぐさ有機農業

先日のブログで、紫サツマイモを入れた餅を紹介しました。

紫サツマイモの苗を入手するのが年々難しくなってきているので、昨年は、自前での苗づくりに挑戦しました。

なんとか苗が出来、収穫した紫イモを使った餅つきを先日、やっと済ませたわけです。

ただ、去年の8月に左手を負傷し、その後ほとんど作業ができずに、サツマイモ作りも満足できるものではありませんでした。

そこで、今年こそは、となった次第です(^.^)

 

冷蔵庫の上に置いてあった段ボールです。

さて、紫サツマイモは無事か?

おそるおそる蓋を開け、モミガラに埋めてあったイモを取り出しました。

おお、いけているではないですか。しかも、ベッピンさんぞろい(^.^)

さっそく、育苗器に腐葉土を入れ、

虎の子の紫サツマイモを置き、

腐葉土をかぶせて、ジョウロで水撒き。

30℃に保ち続けてやれば、3月末には芽がでるはずです。

(^.^)期待が膨らみます(^.^)

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古絵葉書~岐阜公園&長良川鵜飼~

2025年02月11日 | 故玩館日記

ここしばらく、岐阜市の古い地図などを紹介してきました。

そうこうするうち、岐阜市の古い絵葉書が出てきたので紹介します。

16枚。大正時代。

先日紹介した俯瞰絵地図『岐阜名所圖絵』(大正14年)の下図附近、岐阜公園界隈と長良川鵜飼が絵葉書になっています。

「板垣伯爵銅像」

明治十五(1882)年)4月6日、岐阜公園で、自由党党首板垣退助が暴漢に襲われました。一命は取り止めたものの、全身に傷を負いました。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は、この事件に由来します。大正7年(1918)、事件を記念して、銅像が建立されました。その後、戦争中に供出。現在の像は、戦後、再建された物です。

「大典記念三重塔」

「稲葉神社」

「萬松館」

織田信長の公館跡と伝わる場所に、明治21年に開業した高級旅館で、天皇や明治高官なども逗留しました。現在、料理屋として営業しています。

水回りの様子から、明治、大正の雰囲気が伝わります。

「長良川の鵜飼」

崖の淵で鵜舟を繰る印象的な夜景です。鵜飼が行われる最上流部エリアです。この少し上流から鵜舟は下ってきます。

先に紹介した『岐阜名所圖絵』のカバー裏表紙の写真☟

よく似た構図です。

次の絵葉書も、この付近でアングルを変えて撮ったのでしょう。

「鵜匠と烏」

「船溜まりの鵜舟」

先回の浮世絵『美濃國長良川烏鬼行圖』(明治15年)や『美濃 岐阜市街全圖』(明治15年)でも描かれた、長良川本流脇のワンドを上流からみたところです。岸にある建物は遊覧船乗場、その向こう、樹木の茂った辺が十八楼です。

「金華山、長良橋、鵜飼」

金華山を望む長良川西岸からの展望。長良橋より下流部です。現在は、鵜舟はここまでは下りません。

「長良橋と遊覧船」

長良橋上から見物する人が見えます。明治時代には木橋であった長良橋は、大正4年に鋼鉄製の鉄橋(板張り)となりました。

『岐阜名所圖絵』でも、鉄橋が描かれています。ワンドの船溜まり、遊覧船乗場や十八楼(芭蕉翁遺跡)も見てとれます。

次のブログでは、船を並べた、最初の長良の橋について紹介します。

 

 

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浮世絵『美濃國長良川烏鬼行圖』(明治15年)

2025年02月09日 | 故玩館日記

これまで、岐阜市の古い地図を紹介してきました。

岐阜といえば、長良川の鵜飼です。

今回の品は、明治初期の鵜飼の様子を描いた浮世絵です。

辻万峰画。29.2㎝x51.3㎝。木版多色刷。明治15年。

当時の長良川鵜飼の様子が描かれています。

鵜匠、船頭、篝火、鵜など、現在とほとんど同じです。

中央の山は金華山(稲葉山)、家々(上図、上右)や遊覧船から伸びた放射上の筋は、川面に映った光です。

上図では、右上方と左上方の両方に川があるように見えますが、左が本川、右はワンド(現在もある)です。

烏鬼は鵜飼の別名。

夜景なので、黒々とした山裾に、家の灯りがほのかに見えます。

篝火のはじける音や鵜の鳴き声が聞こえて来るかのようです。

「明治十五年七月三十一日御届 同八月 著者人 辻宗一郎(万峰)  同縣方縣郡長良村二番地 出版人 岐阜縣平民 伊藤儀助 同縣厚見郡フモト郷八番地 定價三銭五厘」

 

注目されるのは、図の左方の橋(現在の長良橋)です。

明治15年の時点では、まだ、船を繋いだ上に板を敷いた橋であることがわかります。

今回の浮世絵を、先日の『美濃 岐阜市街全圖』(明治15年)と照合するとよくわかると思います。

今回の浮世絵は、地図の矢印の方向から鵜飼の情景を描いています。矢印の先にある水路が、ワンドです。この地図が描かれた当時、ワンドには、小さな橋が二つ掛かっていたことがわかります(現在は埋立)。上方の橋(赤矢印)は、浮世絵の橋(現、長良橋)、下方の橋は現在の忠節橋、いずれも木製で、船を繋いで上に板を張った物です。

 

浮世絵『美濃國長良川烏鬼行圖』に戻ります。川岸に建つ立派な建物は、料理旅館、十八楼です(現在も営業)。その上方には、芭蕉の句が書かれています。

「十八楼 このあたり めにみゆるものは 皆涼し はせを翁」

貞享5年(1688)夏、芭蕉が、油商、賀島善右衛門(俳号、鴎歩)に招かれ、長良川を臨む水楼で詠んだ句です。高楼から眺めた景色が、中国の名勝、瀟湘八景や西湖十景になぞらえて、十八楼と名付けました。その様子を、「十八楼之記」に記しています。

                     「十八楼之記」
美濃の国長良川にのぞんで水楼あり。あるじを賀島氏といふ。稲葉山うしろに高く、乱山西にかさなりて、近からず遠からず。田中の寺は杉のひとむらに隠れ、岸にそふ民家は竹の囲みの緑も深し。さらし布ところどころに引きはへて、右に渡し舟うかぶ。里人の行きかひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣をたるるおのがさまざまも、ただこの楼をもてなすに似たり。暮れがたき夏の日も忘るるばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるるかがり火の影もやや近く、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八つの眺め、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちに思ひこめたり。もしこの楼に名を言はむとならば、「十八楼」とも言はまほしや。

このあたり目に見ゆるものは皆涼し  はせを

貞亨五仲夏

 

芭蕉が鵜飼を見物した水楼は、現在は残っていません。おそらく、見物席を備えた小高い造りの建物であったでしょう。今回の浮世絵に描かれた十八楼は、万延元年(1860)年に創業され、現在に至っています。この浮世絵は、十八楼が土産として作った物のようです。

この浮世絵や地図に描かれている長良川の大きなワンドは、その後、かなり埋め立てられました。残った小ワンドは、鵜舟を繋いでおく船溜まりとして現在も姿をとどめています。その横には、鵜飼観覧船乗船場や料理旅館十八楼があります。300年以上経っていますが、芭蕉の詠んだ情景を今に呼び起すことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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紫サツマイモ入りの餅をついた

2025年02月06日 | 故玩館日記

先回のブログで、季節外れの正月菜の自然栽培について報告しました。

正月菜とくれば、餅です。

もはや雑煮は気がすすみません。

そうだ、イモがある。

忘れていました、紫サツマイモ。

育苗から悪戦苦闘して得た紫イモ、その目的は紫サツマイモ入りの餅をつくことにあります。それが、今年は左手の負傷などで、2月までずれ込んでしまいました。

冷蔵庫の上で保温し、冬を越したのは、わずかこれだけ。

フードプロセッサーで処理をすると、鮮やかな紫色になりました。

もち米にまぜます。

よく攪拌して、準備OK.

5年ぶりなので、少々緊張。

今冬は、餅つき機を新調しました。何のことはない、以前と同じT社の製品。他のメーカーは作っていないのでしょうか。

餅つき機は、これで、3台目です(^.^)

耐久性に問題あり?それとも使い方が悪い?

無事に蒸し終わり、搗きに・・・

おお、丸くなり良い搗き上りの予感。

角餅と丸餅にしてみました。

熱いうちにほうばるのが贅沢(^.^)

わずかにサツマイモの甘みが感じられ、紫色も相まって、上品なお味でした。

ここでもうひと頑張り。再度、餅つきです。

今日の本命、サツマイモ&里芋入り餅で大福!

サツマイモと同じ要領で、里芋の親芋をフードプロセッサーで処理。里芋を入れると餅が柔らかくなります。冷えても、固くなり難い。なので、熱々の餅を丸めるのが苦手な皮薄の私でも、ゆっくりと餡を包むことができます。

ドーンと大量に出来たので、あちこちに配るうちに、冷たくなりました。

少しあぶって、

口に入れれば、

シアワセがいっぱいに広がります(^.^)

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