ここしばらく、岐阜市の古い地図などを紹介してきました。
そうこうするうち、岐阜市の古い絵葉書が出てきたので紹介します。
16枚。大正時代。
先日紹介した俯瞰絵地図『岐阜名所圖絵』(大正14年)の下図附近、岐阜公園界隈と長良川鵜飼が絵葉書になっています。
「板垣伯爵銅像」
明治十五(1882)年)4月6日、岐阜公園で、自由党党首板垣退助が暴漢に襲われました。一命は取り止めたものの、全身に傷を負いました。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は、この事件に由来します。大正7年(1918)、事件を記念して、銅像が建立されました。その後、戦争中に供出。現在の像は、戦後、再建された物です。
「大典記念三重塔」
「稲葉神社」
織田信長の公館跡と伝わる場所に、明治21年に開業した高級旅館で、天皇や明治高官なども逗留しました。現在、料理屋として営業しています。
水回りの様子から、明治、大正の雰囲気が伝わります。
「長良川の鵜飼」
崖の淵で鵜舟を繰る印象的な夜景です。鵜飼が行われる最上流部エリアです。この少し上流から鵜舟は下ってきます。
先に紹介した『岐阜名所圖絵』のカバー裏表紙の写真☟
よく似た構図です。
次の絵葉書も、この付近でアングルを変えて撮ったのでしょう。
「鵜匠と烏」
「船溜まりの鵜舟」
先回の浮世絵『美濃國長良川烏鬼行圖』(明治15年)や『美濃 岐阜市街全圖』(明治15年)でも描かれた、長良川本流脇のワンドを上流からみたところです。岸にある建物は遊覧船乗場、その向こう、樹木の茂った辺が十八楼です。
「金華山、長良橋、鵜飼」
金華山を望む長良川西岸からの展望。長良橋より下流部です。現在は、鵜舟はここまでは下りません。
「長良橋と遊覧船」
長良橋上から見物する人が見えます。明治時代には木橋であった長良橋は、大正4年に鋼鉄製の鉄橋(板張り)となりました。
『岐阜名所圖絵』でも、鉄橋が描かれています。ワンドの船溜まり、遊覧船乗場や十八楼(芭蕉翁遺跡)も見てとれます。
次のブログでは、船を並べた、最初の長良の橋について紹介します。