遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

古絵葉書~岐阜公園&長良川鵜飼~

2025年02月11日 | 故玩館日記

ここしばらく、岐阜市の古い地図などを紹介してきました。

そうこうするうち、岐阜市の古い絵葉書が出てきたので紹介します。

16枚。大正時代。

先日紹介した俯瞰絵地図『岐阜名所圖絵』(大正14年)の下図附近、岐阜公園界隈と長良川鵜飼が絵葉書になっています。

「板垣伯爵銅像」

明治十五(1882)年)4月6日、岐阜公園で、自由党党首板垣退助が暴漢に襲われました。一命は取り止めたものの、全身に傷を負いました。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は、この事件に由来します。大正7年(1918)、事件を記念して、銅像が建立されました。その後、戦争中に供出。現在の像は、戦後、再建された物です。

「大典記念三重塔」

「稲葉神社」

「萬松館」

織田信長の公館跡と伝わる場所に、明治21年に開業した高級旅館で、天皇や明治高官なども逗留しました。現在、料理屋として営業しています。

水回りの様子から、明治、大正の雰囲気が伝わります。

「長良川の鵜飼」

崖の淵で鵜舟を繰る印象的な夜景です。鵜飼が行われる最上流部エリアです。この少し上流から鵜舟は下ってきます。

先に紹介した『岐阜名所圖絵』のカバー裏表紙の写真☟

よく似た構図です。

次の絵葉書も、この付近でアングルを変えて撮ったのでしょう。

「鵜匠と烏」

「船溜まりの鵜舟」

先回の浮世絵『美濃國長良川烏鬼行圖』(明治15年)や『美濃 岐阜市街全圖』(明治15年)でも描かれた、長良川本流脇のワンドを上流からみたところです。岸にある建物は遊覧船乗場、その向こう、樹木の茂った辺が十八楼です。

「金華山、長良橋、鵜飼」

金華山を望む長良川西岸からの展望。長良橋より下流部です。現在は、鵜舟はここまでは下りません。

「長良橋と遊覧船」

長良橋上から見物する人が見えます。明治時代には木橋であった長良橋は、大正4年に鋼鉄製の鉄橋(板張り)となりました。

『岐阜名所圖絵』でも、鉄橋が描かれています。ワンドの船溜まり、遊覧船乗場や十八楼(芭蕉翁遺跡)も見てとれます。

次のブログでは、船を並べた、最初の長良の橋について紹介します。

 

 

コメント (2)
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