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ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

3週間後の梅ジュース

2011-07-01 13:10:00 | 料理
7月にはいりましたねー。
朝からどんよりです。暖かい空気がやけに蒸し暑いです。

そんな中、「電気を節電せよ!」とばかりに、朝からどの番組も一番にこれを取り上げてました。

ライフスタイルを変えるための「節電」はとてもすばらしい。
でも、電力会社の「電気が足りなくなるから節電して、原子力は必要なんだよー」という
デマに流されてはいけません!

我が家はあくまでも「節電」するのは、電気を無駄使いしないというスタンスから。

さて、3週間前に仕込んだ「梅ジュース」、いよいよ丸3週間がたちました。
氷砂糖もほぼ溶けたので、もうそろそろ飲めますね。

この後の処理も大変だけど、おいしいし体にいいから許せます。
(液体を煮沸したり、残った梅を捨てずに、ジャムにします。梅の皮が固くてなかなかジャムになるのに時間がかかりますよ。)

クエン酸が主成分だから、とても疲れに効きます。

ますます開いた「スプリング・コサージュ」がホントのコサージュのように見えますよね。しべがリアル。
胸につけたいわー。


小花がかわいいミニバラの「みやび」。

ようやく花が増えてきて、すこしはつるバラらしくなったかな?
もっと花が多いとかっこよくなりますね。




久しぶりに咲いた「ブルーリバー」です。
香りはもう最高!!表現できないくらい。

だんだんふちが濃いピンクになります。

ここあでした。




朝日新聞の記事から

2011-07-01 12:53:57 | 震災関連
きのう、新聞の切り抜きをしていて、たくさんいい記事があった中から、つい最近の記事を紹介します。(抜粋)

真実を見つめ上を向こう
 高橋源一郎(作家) 朝日新聞「論壇時評 オピニオン」6/30より。
           

木下武男は、原発事故の原因の一つは、労働組合だと書いた。(注・POSSE 11号「東電の暴走と企業主義的統合」)
「労使癒着」によって「チェック機能の完全喪失」が生じた。
1950年代に起きた民間大企業の争議で、労働運動側は敗れ、その結果、労働者は企業ごとに横に分断され、縦へ上昇する「競争システム」が組み込まれた。

「労働者」は「カイシャイン」になった。
これは「格差」を産み、正社員は中間層として、下請けの労働者を管理する存在になった。


今野晴貴は、被曝労働の中身を見つめた。タイトル「現代労働問題の縮図としての原発」に論考の意味が圧縮されている。

原発は、「被曝労働」を必要とする
その中で一番危険なのは、定期点検中の清掃作業で、担当する下請け作業員は「農村や都市部スラムから動員」される。彼らの姿は、電力消費地「東京」からは「見えない。」

貝沼博は、なぜ「福島」に原発があるかに焦点を当てる。
「フクシマ」論。原子力ムラはなぜ生まれたのか。」

彼の20代の、大学院生時代の修士論文が脚光を浴びた。
彼は、「原子力」を鏡として、戦後そのものを、あるいは、近代140年の歴史を見つめ直す試みでもあった。

「原子力ムラ」は、いわゆる「中央」の、原子力を囲む閉鎖的な「官」「産」「学問」の共同体のことではない。
福島のような、原発と共に生きることを選んだ地方の「ムラ」のことである。
成長は中央にとってのものであり、ムラにとってのものではなかった。
そんな中、「原発誘致」が始まる。
原発は、一時の繁栄を「ムラ」に与えたが、結局は「ムラ」を「原発依存症」にしただけではなかったか。

鷲田清一は、「原発事故」は「見えない」ものに囲まれているという。

「原子力の世界」の内幕が「見えない」。
「原子力工学の研究者」の考え方が「見えない」。
多くのものが「見えない」ままだが、「見えているのに、見てこなかった」ものは更に多い。

木下や今野は「見えてこなかった」労働者を白日の下にさらし貝沼、「見てこなかった」ムラを提出した。

ぼくたち一人では「見えない」ものも、専門家は見せてくれる。
だが、専門家が見つけたものには、
それを「見よう」という強い意志を持つ、ぼくたちのような素人が必要だ。・・・・・・
            

以上ですが、原文を読んでもらった方がもちろんいいのですが。朝日新聞をご覧になっていない方のために載せました。

「思考停止」状態になっている多くの日本人には、はっとさせられる文章でした。
「見えていても、見ていない」、「見ようとしない」、「見てこなかった」。
原発以外でも言えているこうした現実。
そして、いつも犠牲になるのは、名もない労働者、子供、心身ともに弱い人々。

「見よう」という強い意志を私は持って来ただろうか。これからも持ち続けられるだろうか・・・。
不安や心配を持ちつつも、小さな願いだけは心の片隅に消してはならないと感じました。

ここあでした。