朝から生憎の雨模様。
弘前の桜祭りは、今日から開幕。
でも、この雨、そしてつぼみも小さな桜では、
ほとんど観光客もないだろうに・・・
と思いきや、遠くからの観光客の方が団体で来られていたし、
子ども達がやたら公園に入っていくのを見ました。
(私は今日も用事で弘前にいたものですから。)
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これは、弘前のお隣の町。
雪がとけ、たんぼが現れ、茶色の大地が広がりました。
雲が広がって、暗いですね。
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ある友人から、勧められた本です。
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タイトルを見て「なに?」と思います。
「放蕩」する神。
神様が「放蕩」するの?
英語タイトルは「The Prodigal God」。
説明によれば
この Prodigal は、
①浪費する、
②気前の良い、惜しまず与える
という形容詞。
で、神様が「放蕩」するのでなく、
神様が惜しみなく神の愛を与えるという意味で
「放蕩」よりも「浪費」の方がふさわしいらしい。
テーマは聖書の「放蕩息子」の話を題材にして、
その中に登場する「兄」と「弟」を紹介していますが、
「兄」の方に焦点を多く当てています。
兄の中に潜む、たとえばこんな気持ち。
「自分は神にこんなに仕えているのに、
なぜ神は祝福して下さらないのか」、
「自由気ままで、なんの努力もしない奴が、
なぜあんなに人々に認められて、賞賛されているのか。」
そんな気持ちに焦点が当てられています。
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こんな気持ち、誰の中にも大なり小なりありますよね。
ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」を材料に、
若きサリエリという作曲家が、神に祈って、
自分を神の栄光のために用いてほしいという敬虔な
祈りをささげ、女性にも見向きもせず、無償で
音楽を教えたり、貧しい人を助けます。
ところが、天才的な才能を持つモーツァルト(アマデウス)が、
彼の前に出現すると、やがて彼は、モーツァルトが女たらしで、
自由気ままなのに、人々の脚光を浴びる、その姿に
言いようのない嫉妬、憎しみのような感情が芽生え、
彼はモーツァルトを破滅に追い込む・・・
まさに「兄」の姿だといいます。
私はまだ読み終えていないので、
結論がどうなのかわかりません。
興味のある方、一読をお勧めしますよ。
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明日もこちらは雨らしいです。
それでも弘前公園の桜は、
つぼみがピンクになりつつあります。
「胴咲き」といって、桜の木の幹に、
ぽつんと桜の花が数輪咲くことを言いますが、
それがもう見つかっているそうですから、
開花も少しずつ進んでいるんですね。
(幹の方が温度が高いから、早く咲くらしいです。)
ここあでした。
弘前の桜祭りは、今日から開幕。
でも、この雨、そしてつぼみも小さな桜では、
ほとんど観光客もないだろうに・・・
と思いきや、遠くからの観光客の方が団体で来られていたし、
子ども達がやたら公園に入っていくのを見ました。
(私は今日も用事で弘前にいたものですから。)
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これは、弘前のお隣の町。
雪がとけ、たんぼが現れ、茶色の大地が広がりました。
雲が広がって、暗いですね。
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ある友人から、勧められた本です。
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タイトルを見て「なに?」と思います。
「放蕩」する神。
神様が「放蕩」するの?
英語タイトルは「The Prodigal God」。
説明によれば
この Prodigal は、
①浪費する、
②気前の良い、惜しまず与える
という形容詞。
で、神様が「放蕩」するのでなく、
神様が惜しみなく神の愛を与えるという意味で
「放蕩」よりも「浪費」の方がふさわしいらしい。
テーマは聖書の「放蕩息子」の話を題材にして、
その中に登場する「兄」と「弟」を紹介していますが、
「兄」の方に焦点を多く当てています。
兄の中に潜む、たとえばこんな気持ち。
「自分は神にこんなに仕えているのに、
なぜ神は祝福して下さらないのか」、
「自由気ままで、なんの努力もしない奴が、
なぜあんなに人々に認められて、賞賛されているのか。」
そんな気持ちに焦点が当てられています。
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こんな気持ち、誰の中にも大なり小なりありますよね。
ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」を材料に、
若きサリエリという作曲家が、神に祈って、
自分を神の栄光のために用いてほしいという敬虔な
祈りをささげ、女性にも見向きもせず、無償で
音楽を教えたり、貧しい人を助けます。
ところが、天才的な才能を持つモーツァルト(アマデウス)が、
彼の前に出現すると、やがて彼は、モーツァルトが女たらしで、
自由気ままなのに、人々の脚光を浴びる、その姿に
言いようのない嫉妬、憎しみのような感情が芽生え、
彼はモーツァルトを破滅に追い込む・・・
まさに「兄」の姿だといいます。
私はまだ読み終えていないので、
結論がどうなのかわかりません。
興味のある方、一読をお勧めしますよ。
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明日もこちらは雨らしいです。
それでも弘前公園の桜は、
つぼみがピンクになりつつあります。
「胴咲き」といって、桜の木の幹に、
ぽつんと桜の花が数輪咲くことを言いますが、
それがもう見つかっているそうですから、
開花も少しずつ進んでいるんですね。
(幹の方が温度が高いから、早く咲くらしいです。)
ここあでした。