昨日はマイナス日の割には、良い天気でした。
太陽が出て、部屋は暖かかったです。
私も、マットの上でストレッチすること、早4日、
もう3日坊主とは呼ばれませんよ! 笑
次なる目標は、「1週間坊主」克服でしょね。
やはり朝にからだを動かすと、
一日中からだが楽だし、活動的になるものですね~。
(ただし、午後に眠気も襲うのよね・・・
)

さて、しばらくぶりに教会の話題を。
興味のない方は、最後の方へスルーして下さい。
昨日も読書会でしたが、紹介したように
三浦綾子さんの本を読んでいます。

私が30年前に買った本だから、かなりぼろぼろ。
開けると、いい感じにセピア色に褪せていますよ。
「この土の器をも」は、昨日も書きましたが、
三浦綾子さんの自伝的小説(エッセイに近い)の3部作の一つ。
「道ありき」(青春篇)、「光あるうちに」(信仰入門篇)の中の一つ。
こちらは結婚篇です。
これを初めて読んだのは、まだ独身の20代の頃でしたから、
結婚生活について、「ふ~~ん、こんな感じかあ・・・」くらいの
読後感でしたね。
とはいえ、三浦綾子さんの、いちいちうなづける言葉とか、
ご主人の光世(みつよ)さんの、優しい口調だけど、毅然とした言葉には
いつも感銘をうけたものです。
三浦綾子読書会は、綾子さんの地元、旭川はもちろんのこと、
全国各地で行われており、講師の方が来られて、導くところもあります。
私たちの教会では、去年の夏に、講師の先生をお招きして、
講義を受けたのをきっかけに始めました。
(正田眞次先生、今年の2.11集会の時のWEB版講師ですよ。)
二部の「結婚篇」の「この土の器をも」というのは、
次の聖書の言葉から出ています。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであり、
私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。」
(第二コリント書4章7節)
私たち人間はみな、神によって造られた、もろく弱い「土の器」です。
キリストを信じる私たちの中に、キリストは住まわれ、
その弱い私たちの力になっていて下さる。
それは、私たちの側の何かによってではなく、
神がそのようになさって下さっている、ということ。
「この(もろい)土の器をも」、神様の器として生かし、
用いて下さっていることを、綾子さんは伝えたかった
だろうと思います。
三浦文学の神髄は、常に、原罪に苦しむ人間と、
永遠の救いを与える神との対比にありますよね。
昨日の朝、読んだ聖書の言葉にこういう下りがありました。
「私の心はすばらしいことばでわき立っている。
私は王に私の作ったものを語ろう。
私の舌は巧みな書記の筆。」詩篇45の1
「舌は巧みな書記の筆」
すごい表現!と思いました。
三浦綾子さんを思い出したのは言うまでもありません!
綾子さんの語る言葉は、実に的確で、相手の心に
ずしーんと迫る力があるように思うからです。
(時にはきつ過ぎたりもしますけどね・・・。)
三浦綾子読書会、結構楽しいですよ。
考えさせられることが多いです。

最後に、全然関係ない話だけど・・・

鹿児島産のさつまいも「黄金千貫」を使った芋けんぴ、
家族で、はまりにはまってます。笑
添加物なしがいいです。
ちょっと堅くて、甘いけど・・・
そこがかりん糖っぽくていいのですよ。
食べ過ぎに注意!
ここあでした。
太陽が出て、部屋は暖かかったです。

私も、マットの上でストレッチすること、早4日、
もう3日坊主とは呼ばれませんよ! 笑
次なる目標は、「1週間坊主」克服でしょね。
やはり朝にからだを動かすと、
一日中からだが楽だし、活動的になるものですね~。

(ただし、午後に眠気も襲うのよね・・・



さて、しばらくぶりに教会の話題を。
興味のない方は、最後の方へスルーして下さい。
昨日も読書会でしたが、紹介したように
三浦綾子さんの本を読んでいます。

私が30年前に買った本だから、かなりぼろぼろ。
開けると、いい感じにセピア色に褪せていますよ。
「この土の器をも」は、昨日も書きましたが、
三浦綾子さんの自伝的小説(エッセイに近い)の3部作の一つ。
「道ありき」(青春篇)、「光あるうちに」(信仰入門篇)の中の一つ。
こちらは結婚篇です。
これを初めて読んだのは、まだ独身の20代の頃でしたから、
結婚生活について、「ふ~~ん、こんな感じかあ・・・」くらいの
読後感でしたね。
とはいえ、三浦綾子さんの、いちいちうなづける言葉とか、
ご主人の光世(みつよ)さんの、優しい口調だけど、毅然とした言葉には
いつも感銘をうけたものです。
三浦綾子読書会は、綾子さんの地元、旭川はもちろんのこと、
全国各地で行われており、講師の方が来られて、導くところもあります。
私たちの教会では、去年の夏に、講師の先生をお招きして、
講義を受けたのをきっかけに始めました。
(正田眞次先生、今年の2.11集会の時のWEB版講師ですよ。)
二部の「結婚篇」の「この土の器をも」というのは、
次の聖書の言葉から出ています。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであり、
私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。」
(第二コリント書4章7節)
私たち人間はみな、神によって造られた、もろく弱い「土の器」です。
キリストを信じる私たちの中に、キリストは住まわれ、
その弱い私たちの力になっていて下さる。
それは、私たちの側の何かによってではなく、
神がそのようになさって下さっている、ということ。
「この(もろい)土の器をも」、神様の器として生かし、
用いて下さっていることを、綾子さんは伝えたかった
だろうと思います。
三浦文学の神髄は、常に、原罪に苦しむ人間と、
永遠の救いを与える神との対比にありますよね。
昨日の朝、読んだ聖書の言葉にこういう下りがありました。
「私の心はすばらしいことばでわき立っている。
私は王に私の作ったものを語ろう。
私の舌は巧みな書記の筆。」詩篇45の1
「舌は巧みな書記の筆」
すごい表現!と思いました。
三浦綾子さんを思い出したのは言うまでもありません!
綾子さんの語る言葉は、実に的確で、相手の心に
ずしーんと迫る力があるように思うからです。
(時にはきつ過ぎたりもしますけどね・・・。)
三浦綾子読書会、結構楽しいですよ。
考えさせられることが多いです。

最後に、全然関係ない話だけど・・・

鹿児島産のさつまいも「黄金千貫」を使った芋けんぴ、
家族で、はまりにはまってます。笑
添加物なしがいいです。
ちょっと堅くて、甘いけど・・・
そこがかりん糖っぽくていいのですよ。
食べ過ぎに注意!

ここあでした。