おととい、きのうと気温がプラスになり、
雪解けが少し進みました。
でも、まだ1月。
これからまた寒気が来るみたいです。
最近、ストレッチしているせいか、
筋肉痛があって、ロボットみたいな動きの時も。
でも、一日たつとそれは治まっています。
こんな繰り返しでいいのでしょうかね?
さて、我が家は朝、大抵はパンを食べます。
ご飯党の私としては、ちょっと不服なんだけど、
ま、ダンナ様は、パン「が」良い、
娘は、パン「で」良い、
だから、私は屈してます・・・。笑
時には自分でパンを作りますが、
多くは、あちこちのパン屋さんから調達。
なるべく無添加のパンをと心がけていますが、
市販品でも、変な添加物のないモノを買います。
(みなさん、イーストとイーストフードは全く違いますよ。
イーストフードの入っているパンは、やめた方がいいです。)
さて、使い残しのこんなものをパンに塗りました。
これは、ピーナツバター・・・に見えるけど、
実は違います。
味は、まるでピーナツバターです!!
(注 ピーナツクリームではありません。)
これは、「砂糖入りきなこ」です。
安倍川餅をたべて、残ったきなこです。
これに少しの水分を足して、練って。
以前から、「きなこハニー」をパンにつけて食べることは
知っていましたけど、
それに、牛乳きなことか知っていましたけど、
なんとなく食べず、飲まず・・・
今回、使い残しをなんとか処理したくて、
テキトーに作って食べたら、案外おいしくて、
くせになりそうでした。
家族にも好評~
さて、今読み進めている本
「「ひと」として大切なこと」渡辺和子著。
せっかくだから、いろんな方々の残した言葉を
今日から少しずつ紹介しますね。
*興味ない方はスルーでお願いします。
ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の祈り
「主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさ(serenity)と、
変えられないものを変える勇気(courage)と、
その両者を見分ける英知(wisdom)を我に与えたまえ。」
そういえば、まだ私が学生の頃、ある親しい信仰の友が、
私に手紙をくれた中にも、ニーバーのこの言葉が
書かれていた事を思い出しました。懐かしいなあ・・・
私は年とともに、平穏の中に居続けたいがために、
変えなくてはならないと知りつつも、
そこから目を背けたくなることもあります。
そして、変えられないものに対しては、容認どころか
なかなか忍耐を働かせることが難しく感じます。
大事なのは、最後の一節ですね。
「変える必要のあるもの」と「変える必要のないもの」との
見分けがつけるような「知恵」が養えるように・・・。
それが養えるようになれば、いわゆる
「成長した者」なのでしょうか。
すべての「良い知恵」は、「上」から来る。(聖書)
ニーバーのような方でさえも、それらを得るためには
自力では無理と知っていて、祈り求めているという事に、
慰めが得られますよね。
ここあでした。
雪解けが少し進みました。
でも、まだ1月。
これからまた寒気が来るみたいです。
最近、ストレッチしているせいか、
筋肉痛があって、ロボットみたいな動きの時も。
でも、一日たつとそれは治まっています。
こんな繰り返しでいいのでしょうかね?
さて、我が家は朝、大抵はパンを食べます。
ご飯党の私としては、ちょっと不服なんだけど、
ま、ダンナ様は、パン「が」良い、
娘は、パン「で」良い、
だから、私は屈してます・・・。笑
時には自分でパンを作りますが、
多くは、あちこちのパン屋さんから調達。
なるべく無添加のパンをと心がけていますが、
市販品でも、変な添加物のないモノを買います。
(みなさん、イーストとイーストフードは全く違いますよ。
イーストフードの入っているパンは、やめた方がいいです。)
さて、使い残しのこんなものをパンに塗りました。
これは、ピーナツバター・・・に見えるけど、
実は違います。
味は、まるでピーナツバターです!!
(注 ピーナツクリームではありません。)
これは、「砂糖入りきなこ」です。
安倍川餅をたべて、残ったきなこです。
これに少しの水分を足して、練って。
以前から、「きなこハニー」をパンにつけて食べることは
知っていましたけど、
それに、牛乳きなことか知っていましたけど、
なんとなく食べず、飲まず・・・
今回、使い残しをなんとか処理したくて、
テキトーに作って食べたら、案外おいしくて、
くせになりそうでした。
家族にも好評~
さて、今読み進めている本
「「ひと」として大切なこと」渡辺和子著。
せっかくだから、いろんな方々の残した言葉を
今日から少しずつ紹介しますね。
*興味ない方はスルーでお願いします。
ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の祈り
「主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさ(serenity)と、
変えられないものを変える勇気(courage)と、
その両者を見分ける英知(wisdom)を我に与えたまえ。」
そういえば、まだ私が学生の頃、ある親しい信仰の友が、
私に手紙をくれた中にも、ニーバーのこの言葉が
書かれていた事を思い出しました。懐かしいなあ・・・
私は年とともに、平穏の中に居続けたいがために、
変えなくてはならないと知りつつも、
そこから目を背けたくなることもあります。
そして、変えられないものに対しては、容認どころか
なかなか忍耐を働かせることが難しく感じます。
大事なのは、最後の一節ですね。
「変える必要のあるもの」と「変える必要のないもの」との
見分けがつけるような「知恵」が養えるように・・・。
それが養えるようになれば、いわゆる
「成長した者」なのでしょうか。
すべての「良い知恵」は、「上」から来る。(聖書)
ニーバーのような方でさえも、それらを得るためには
自力では無理と知っていて、祈り求めているという事に、
慰めが得られますよね。
ここあでした。