ここあコテージ

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県美「遥かなるルネサンス」へ

2017-08-11 07:03:00 | イベント

日曜日の続きです。


教会のあと、カフェ「macchinetta」へ行き、
その後で、県立美術館へ。


企画展「遥かなるルネサンス
~天正遣欧少年使節がたどったイタリア~」



1582年2月、長崎港から少年達4人
(伊東マンショ(主席正使)、千々石ミゲル(正使)、
中浦ジュリアン(副使)、原マルティノ(副使))が
船でイタリアへ渡りました。
彼らは13,14歳でした。

船は大波に揺られ、みな船酔いしながら、
84年8月にポルトガルのリスボン到着。

後に、スペイン国王フェリペ2世や
フランチェスコ1世 デ・メディチ、
ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。

ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノなども
訪問し、86年帰路の船出をした。

往復8年かけての旅でした。


彼らが日本を発った同じ年、
明智光秀によって、信長が殺され、

明智に代わり、秀吉の世になるや、
1587年バテレン追放令が発布され、
キリシタンへの迫害が始まりました。

彼らが日本に帰ったのが90年。
彼らがイタリアにいた8年もの間で、
日本の世の中は大きく変化していました。

秀吉によるキリシタン迫害が
強められました。


迫害の世の中で、
伊東マンショは国外追放され、
そこで司祭になり、

千々石ミゲルは棄教し、

原マルティノは司祭になり、マカオで死亡、

中浦ジュリアンは、迫害の末に殉教しました。




***



1500年代と言えば、
私の通うプロテスタント教会にとって、
意味深い年になりました。

1517年に、マルティン・ルターによって
宗教改革がなされ、今年2017年は、
その年から500年という節目の年なのです。


当時、カトリック教会(旧教)は、
新教(プロテスタント)の勢力に対して、
特に西欧への宣教から、アジアへの宣教を
拡大する機会をうかがっていたようです。


日本には、当時、カトリックのイエズス会の
宣教が進んでおり、セミナリヨ(神学校)で学ぶ
少年たちをイタリアなど西欧に送ることは、

①日本宣教にとって、経済的支援の面で
ふさわしいことと思われたようです。

②少年達に、西欧を訪問させ、
帰国して、彼らの口から西欧の宗教、
文化などについて語らせることは、
日本へのカトリック布教にプラスと
思われました。


これらを発案したのは、
イエズス会のヴァリニャーノでした。



彼らの派遣で、日本にもたらされたのは、
グーテンベルク印刷機であり、
日本語書物の活版印刷が初めて
作られたようです。



当時の陶器、印刷物、甲冑、
古代地図など、展示物は興味深いものが
多かったです。


西欧のカトリック教会の権威のすごさ、
国と宗教の密接なつながり、

小さな日本から、当時、少年達は
どんな気持ちで渡って行ったのか・・・。

彼らは今の中学生の年ですから、
ましてや日本の戦国時代の中で育ち、
西欧とは全く環境が異なる。

言葉も通じない、文化も高度であるし、
戸惑うことも多かったと想像します。

もし、まだ信長の時代に帰国していたら、
彼らは厚遇され、キリシタンたちも
別な待遇を受けていたかもしれません。

が、歴史もまた神の御手の中にあること。
もしも・・・ということはありません。




プロテスタント誕生(宗教改革)500年の年に、
このような企画展を見る事ができて、
何か不思議な気持ちになりました。



***



1時間30分ほどじっくり見て、
喉が渇いたので、館内のカフェレストラン
「4匹の猫」でおやつタイム。
いつもより混んでいて、待ちました。




私は、リンゴサイダーのゼリー
(しゅわしゅわ~・・・を期待したら、
全く普通のゼリーでした。;;)




ノブさんは、りんごのタルトとコーヒーのセット





娘はフォンダンチョコ。
(中を割っても、チョコは出て来ず。@@
まわりにチョコソースがかけられてたけど。)

どれも味はよかったですよ。 



帰りは、おみやげコーナーで、
イタリアのチョコを買いました。



ステキな缶に入った




ヘーゼルナッツ味のチョコ。
(ナッツ入りかと思ったら、
固形ではなく、クリームでした。)

おいしい! ちょいと高いけどーー。



***



休暇も昨日でおしまい。

と言っても、今日は「山の日」で世は休日。
ノブさんは、お仕事開始。

子ども達も今日を待ちわびている様子。
でも、親御さんたち、今日はお休みでは?

ホントに教会にやって来るかは、
フタを開けないと分かりませ~ん!




ここあでした。