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癒着胎盤で母体死亡となった事例http://blog.goo.ne.jp/comment_allez-vous_madame/d/20060219
癒着胎盤は、一般に、術前診断が困難(ほとんど不可能)で、治療の難易度が非常に高いことが、最初の頃の報道では全く触れられてなかった。当時の報道では、『経験不足の医師が初歩的な医療ミスで患者を死亡させた』というようなニュアンスの記事が多かった。
>「癒着胎盤」は熟練した医師であっても対処が難しい。生死の境界で救命に携わる医師はしばしば、誠実な対応をもってしても死亡が避けられないケースに直面する。そこに刑事罰が適用されるのならば、リスクの高い医療行為自体を回避せざるを得ないという。
今回の論座の論説「中立の強み」(戸谷理衣奈)の癒着胎盤に関する記述は、我々産科医の立場から読んでも十分に納得できる。加藤医師逮捕から3ヶ月が経過し、マスコミのこの事件に対する報道の論調にも大きな変化が認められる。しかし、裁判となると、今後、何が主要な論点となるのかもよくわからないし、医学の常識が全く通じないのかもしれない。今後、裁判の動向をみんなで注視してゆく必要があると思う。
産科医の勤務状況についても、最近、毎日のように特集で報道され、多くの一般人の知るところとなった。当科や近隣の病院の産科医の勤務状況についても、地元の新聞やテレビで何度も取り上げられた。最近は、町を歩いていても、全く知らない人から、「先生、お仕事大変ですね~。過労死しないように気をつけてください。」などとよく声をかけられる。産科医療の集約化にしても、一般の人の理解が得られなければ進められない。その点で、繰り返し繰り返し産科医の激務ぶりについて報道してもらえることは非常に有難いことだと思っている。
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朝日新聞社 論座、2006年6月、p22~23
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7361.shtml
中立の強み
戸矢理衣奈 イリス経済研究所代表取締役
とや・りいな 1973年、大阪府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程、英サセックス大学を経て独立行政法人経済産業研究所へ。05年4月から現職。著書に『エルメス』など。
今年2月の福島県立大野病院の産婦人科医逮捕事件が、医療関係者の間で論争の的となっている。
本件は、通常は出産とともに自然に剥離する胎盤が母体に残る「癒着胎盤」の処置に起因する。ここに医療過誤があり、母親が死亡したとして、担当医が業務上過失致死と医師法違反の容疑で逮捕・起訴された。産科医、さらには高度先端医療を担う外科医らを中心に抗議の声があがり、インターネットを通して5日間で6千人を超える陳情の署名が寄せられた。
医師たちの抗議は、主に次の2点である。第一に、「癒着胎盤」は熟練した医師であっても対処が難しい。生死の境界で救命に携わる医師はしばしば、誠実な対応をもってしても死亡が避けられないケースに直面する。そこに刑事罰が適用されるのならば、リスクの高い医療行為自体を回避せざるを得ないという。
第二に、現行のシステムに対する抗議である。産科は時間の予測ができず、実質365日の拘束を強いられる。しかも本件を含めその多くが、地方の病院で産科を医師1人で担当する「1人医長」状態だ。突発的な事態への対応は不十分にならざるを得ない。医師個人の責任を問う以前に、過酷な勤務の現状や、少子化による収益減を背景にした産科医療全体が抱える問題の抜本的解決こそ必要だという。事件後、実際に産科の閉鎖や医師の離職が相次ぎ、周産期医療の崩壊が加速化しているとの危惧が深まっている。
事件個別の問題については、裁判所の審理が待たれる。しかし本件は、民事訴訟も含めて医療訴訟を一般化してその解決過程を再検討する好機でもあるだろう。納得できる医療、さらには司法制度を考えるうえで重要な論点がいくつも含まれる。
法曹関係者によれば、そもそも原告側が訴訟を起こす最大の目的は、納得感を得るところにある。ところが医療を筆頭に審理に専門知識が必要な場合、訴訟の妥当性が問われるケースも起こりがちだ。そうなると、訴訟は双方にとって不利益にしかならない。専門性が高い領域ほど、訴訟以前の第三者による調査機能に重点を置いたほうが合理的だろう。
実際に、現行の裁判制度を補完するシステムとして「裁判外紛争解決手続き」(ADR)、すなわち「訴訟手続きによらず、民事の紛争を解決したい当事者のため、公正な第三者が関与して解決を図る手続き」が推進されている。これには裁判所の調停以外に、専門仲介機関による調停・仲介も含まれる。業界団体が、業界全体の信頼性を向上させるために出資して第三者機関を設置するケースもあり、訴訟前の紛争処理や相談窓口として、さらなる機能が期待されている。当事者の時間的・費用的負担、さらには精神的負担も訴訟に比べてずっと少ない。
ところが、医療分野ではこうした中立的な第三者機関はほとんど機能していない。そのため、原告側は裁判所に頼らざるを得ず、結果的に原告・被告ともに多大なコストを払ううえに、納得感も得られないという事態が起こりうる。
「納得医療」に必要な自浄作用
裁判所の審理においても、医師の中立性確保が大きな課題だ。例えば大阪地裁医療集中部では、04年4月から医療裁判の迅速かつ的確な処理のため、医師が「専門委員」に選任され裁判手続きに関与している。制度導入によるメリットは大きいものの、地域内の医師は「ほとんど顔見知り」で、相互にかばいあう傾向があり、より厳密な第三者機関が必要だという。
同じ専門職とはいえ、法曹関係者は執務のすべてが厳しく監視される。医師は身内の審査体制が整っておらず、その「壁」は厚い、と彼らは苦言を呈する。あるベテラン産科医も、この事件を「医療の世界が自浄作用を欠いてきた結果」と明言する。
情報の非対称性の最たる領域である医療分野においてこそ、情報の公開と中立性は信頼獲得のために不可欠だ。身内への審査体制の甘さが、結果的に体内へのガーゼ放置などの明確な医療過誤と、対応を尽くした結果の死亡との判別が不明瞭になるほどの医療不信や混乱をもたらしたおもいえるだろう。それが医師のインセンティブを喪失させ、ひいては患者の負担が増加するという悪循環をも招いている。
本件を契機に、超党派の国会議員らにより第三者機関の設置や、医師の過失に関係なく医療事故に保険を適用する無過失補償制度の導入といった建設的な提議も進みつつある。しかし少なくとも厳しい自浄作用システムの構築が、一方で不当だと思われる訴訟などから医師を守り、かつ患者が医療に対する納得感を得る近道になることは間違いないだろう。
医療分野で顕在化する問題は同時に、そこに関連する諸システムの欠損をも明瞭にする。本件は医療と法という生活の根幹にかかわる問題だけに、より幅広く系統的に世論を喚起するにふさわしい問題である。
以上、朝日新聞社 論座 2006.6 p22~23