****** 朝日新聞 神奈川、2006年5月17日
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どこで産むの?
県立足柄上病院 医師足らず「妊婦抽選」
3月27日、松田町の県立足柄上病院で、妊婦抽選があった。
地域の民生委員が箱の中に手を入れ、番号札を取り出す。選ばれるのは、5月から11月までのお産の予約を受け付ける妊婦だ。当選者は月ごとに10人。「妊婦検診をお受けできるようになりました」。職員は当選者に電話を入れた。
静岡県と山梨県の県境にある足柄上郡の山北、中井、大井、松田、開成の5町と南足柄市の一帯で、お産ができる施設は足柄上病院だけだ。
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3月には、この地域で84人の赤ちゃんの出生届が出された。病院は、抽選への応募人数は明らかにしていないが、同じ程度の出産があるとすれば、月に70人前後の妊婦が、ほかの地域で出産場所を探さなければならない。
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常勤の4人の産婦人科医を派遣していた横浜市立大医学部が、3月で全員を引き揚げた。市大医学部の関連病院で、11人も退職者が相次いだ。新たに6人しか採用できず、付属病院の産婦人科のやり繰り自体が成り立たなくなった。足柄上病院は「せめて、何人かは残して欲しい」と頼んだが、市大医学部は「寄せ集め態勢では責任が持てない」。
足柄上病院では以前、年間約650件のお産を扱っていた。医師がいなくなるのを見越し、病院は昨夏から今春まで予約の受け付けを休止した。
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生後2カ月の赤ちゃんがいる横浜市の鈴木真美子さん(31)は、断られたひとりだ。実家の松田町でお産をしようとした。だが、足柄上病院を訪れると、医師は「近くの病院も予約でいっぱいなので、紹介もできない」。隣の秦野市の病院で出産したが、「子どもをつくる前に病院を予約しろ、とでもいうのでしょうか」と、いまも怒りは収まらない。
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4月から、常勤医師1人をなんとか確保した。ほかに伊勢原市の東海大学医学部付属病院から非常勤で、昼間は2~3人、夜は1人を順繰りに派遣してもらい、当面はしのぐつもりだ。
病院総務局長の渋谷賢一さんは「どんなことをしても医師を探せと地域の人からも言われるが、売り手市場ですごい給料を提示される」。
「医大卒後10年目の医師で年収1500~1800万円」と常勤医師を公募しているが、応募はない。
横須賀市の妊婦 毎月50人前後が地元へ
2015年には、県内の病院・診療所で04年に6万9862件あったお産の数が5万9475件しか扱えなくなる――
県産科婦人科医会が県内のお産を扱う病院と診療所にアンケートし、今年1月に発表した将来予測だ。
「1万人の出産場所が足りなくなる」という衝撃的な結果は、いまも病院関係者の間で引き合いにだされる。
だが、調査を担当した、横浜市旭区で開業する小関聡医師は明かす。
「約9割は、高齢化と後継者不在でお産をやめる診療所の数字。いま問題化している医師の突然の退職による病院の受け入れ休止や制限は、予測不能だからカウントされていない。事態はより深刻だ」
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横須賀市の民間総合病院「衣笠病院」は04年10月から、お産を扱っていない。03年度は年間約650件で、市内の約5分の1のお産を扱ったが、4人の常勤医が1人に減り、お産はこなせないと判断した。
しわ寄せは、他の病院に及ぶ。
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この4月に横須賀市に引っ越してきたばかりの女性(25)は来月、里帰り出産のために北海道に帰る。横須賀で、お産場所を見つけられなかったためだ。
自宅から一番近い病院は「予約でいっぱい」と断られ、市役所で教えてもらった病院は、もうお産を扱っていなかった。隣の三浦市の病院に、空きがあるとわかったときは、涙が出るほどうれしかった。
でも、実際に車で通ってみると、道がこむと30分以上かかった。幼稚園に通い始めたばかりの上の子もいる。おなかが張ったと思っても、気軽に通院できる距離ではない。
「都会と思って引っ越してきたのに、まさか産む場所がないとは思いもよらなかった」
おなかの中の赤ちゃんは待ってはくれない。少なくとも毎月50人前後の横須賀の妊婦が、産む場所を求めて隣の横浜市や三浦市の病院に流れているとみられる。
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病院数が比較的多い横浜市も例外ではない。
中区や西区ではいま、11月のお産予定の妊婦が病院の予約を取れずにあぶれる異常事態が起きている。11月お産予定と言えば、妊娠4~5カ月の妊婦だ。
中区の市立みなと赤十字病院と、西区のけいゆう病院と、いずれも拠点の病院で、申し込みがいっぱいになり、11月分の受け付けを締め切ったためだ。
みなと赤十字病院は昨年、3人の常勤医のうち1人が辞め、昨年12月から一時受け入れを取りやめた。今年4月に再開したが、対応できるのは月40人まで。けいゆう病院も常勤7人のうち3人が辞め、昨年10月から3月まで、月100件の受け入れを最も少ないときで約40件に絞った。
ある医師は「昔は外来に来た患者はすべて受け入れていたが、最近は、生理が遅れて1週か、2週かで病院に来ないと予約は埋まってしまう」。
横浜市の医療安全課の相談窓口には、昨秋から、多いときで週に3、4回、「産む場所がない」という相談が寄せられている。
産婦人科医 36時間連続の激務も
「今日も、きっと眠れないかな」
横浜市の中核病院に勤務する20代の産婦人科医、大井由佳さんは、深夜の職場でつぶやいた。
病院に勤務して2年目。午前8時45分から次の日の朝まで、医師2人での当直勤務だ。日中にすでに、帝王切開の手術を1件おこなった。
午後11時半、入院中の早産の恐れのある妊娠6カ月の女性が出血した。おなかの中の子どもは双子で、まだ500グラムほどしかない。いま出産してしまうと、リスクが高い。子宮口が開き始めたため、子宮の収縮を抑える薬を投与した。心音モニターを注意深く見つめる。
午前0時、1時半と再び出血が続き、2時45分、出産に向けた処置を始めた。
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女性であることがメリットになる唯一の科と考え、産婦人科を選んだ。当直の3回に1回は一睡もできない。朝が来ても帰宅できることはまずない。次の日の夜まで36時間勤務になることもある。ゆっくりと食事を取る暇もない。
事態が差し迫り、家族の了解を得ないまま、帝王切開に踏み切ったことがある。手術後の経過が少しでも悪いと、患者や家族から「何かミスがあったのではないか」と責められることは少なくない。
それでも、大井さんは言う。「赤ちゃんが無事に生まれると、本当にうれしいし、やりがいがある」
午前4時、早産の妊婦の出産が無事終わった。途中、ふつうのお産を2件こなした。4時50分、今度は自宅で突然、赤ちゃんが生まれてしまったという妊婦が救急車で搬送されてきた。
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産婦人科医の雨宮清さん(60)は、約30年間勤めた横浜市西区のけいゆう病院を辞め、昨年12月、中区に個人で開業した。
多いときには月に6回、当直勤務があった。夜は、病院からよく呼び出された。「いつまでも激務はこなせない。このままだと、自分が死んでしまう」と悩み、65歳の定年を前に病院を退職した。
検診が中心で、お産は病院を紹介し、医院ではやらない。
産婦人科医の過酷な勤務状況が、技術の低下を招いていないかと、雨宮さんは心配している。
「昔は、若手医師は難しいお産の技術を実際のお産を通じてベテランから教えてもらう機会があった。でも、いまは若手であっても、すべて1人でお産を任されてしまう」
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横浜市大医学部によると、今年春、県内の大学医学部の臨床研修を終えた新人医師は約700人いる。そのうち、産婦人科の希望者は9人。わずか1%だ。
医師不足から、病院の産婦人科医の負担が増す→激務に耐えられず、産科から離れて専門分野を変えたり、個人で開業したりする医師が相次ぐ→残された医師の負担がさらに増し、病院の産婦人科医がもっと減る――
そんな悪循環が加速している。
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赤ちゃんにとって受難の時代です。お産の場は減り、子育ての環境もまだまだ十分ではありません。どうすれば、赤ちゃんや親がハッピーになれるのか。この「赤ちゃん」企画で、そのことを探っていきたいと思います。メーン担当は、11カ月の男の子がいる赤木桃子記者と、医療担当の大貫聡子記者です。情報や、取り上げたいテーマ、ご意見をお寄せください。住所、氏名、電話番号を明記のうえ、〒231・8504 横浜市中区日本大通15 朝日新聞横浜総局「赤ちゃん」係へお願いします。FAX(045・641・9696)、メール(kanagawa@asahi.com)でも受け付けます。