最近の若い産婦人科医師は、女性医師の割合が増えています。従来のように、1施設当たりの勤務医数がせいぜい2~3人、年中無休、夜昼おかまいなし、不眠不休で年がら年中働き詰め、というような過酷な勤務形態の病院では、早晩、産婦人科医師は全く集められなくなるのではないかと思われます。
完全フリーの休日もちゃんと週に1回以上は確保でき、当直回数も週に1回以下にして、他の診療科並みの勤務条件にするためには、1施設当たりの産婦人科医師の数を、少なくとも、欧米並みの7~8人にしていかなければならないと思います。
女性医師の場合、若い一時期に、妊娠・出産・育児と仕事の両立が非常に難しくなる時期が必ずあります。そういう時期には、フルタイムでの勤務が難しくても、数人の女性医師で互いに都合をつけあってワークシェアしたり、育児を互いに助け合ったりできれば、その時期も、比較的無理なく、乗り越えられるかもしれません。いろいろと工夫して、女性医師が勤務を続けやすい職場環境を整える必要があると思います。
また、分娩経過中の母体や胎児の急変、新生児の異常などにいつでも適切に対応できるように、新生児専門医、麻酔専門医と常に連携がとれることも必須条件になると思います。
それらの産婦人科医師の集まりやすい病院の条件をきちんと整えていかない限り、今後、病院の産科診療を維持していくことはだんだん難しくなってゆくと思います。
地域によって周産期医療の状況は全然違うので、かかりつけの診療所と大病院との協力・連携のシステムについては、全国一律の方式というわけにはいかないと思います。各地域ごとによく話し合って、その地域にとって一番やりやすい形でとりあえずやり始めてみて、実際の運用上で不都合な点がいろいろとでてきたら、その都度よく話し合って、システムをこまめにバージョンアップしてゆくしかないと思います。
****** 毎日新聞、2006年9月30日
検診・出産、施設で分業 筑波大・吉川裕之教授に聞く
厚生労働省の調査(04年)によると、全国の産婦人科医は1万163人で、10年前と比べ7・9%減少した。へき地では分娩(ぶんべん)中止を余儀なくされる病院も出ている。医師不足の理由は、産婦人科の過密勤務や医療訴訟の多さなど多岐にわたる。日本産科婦人科学会が05年に実施した医師不足の調査の中心となった筑波大の吉川裕之教授(55)に現状と課題、今後の対応策を聞いた。【樋岡徹也】
深刻化する産婦人科医不足----対応策は「産科オープン」
----産婦人科の現状は。
学会の調査では、大学と関連病院の常勤医は03年の5151人から05年には4739人に減った。勤務医の当直は月5回ほどで外科や内科の倍。月10回にのぼる病院もある。また、分娩予約した妊婦に「必ず診ます」と約束するため、いつ来るか分からない陣痛に備えなければならない。産婦人科は普通の救急医療と違って「契約救急」なんです。
----へき地から医師が引き揚げています。
初産婦の場合、陣痛から出産まで平均11時間、経産婦でも5、6時間。1時間ぐらいで病院に行ければ安全な距離と見るべきだ。日本のように1時間以内にお産できる国はほとんどない。米国では予定日が近づくと、近くのホテルに泊まったり分娩を誘発する。日本の産科はこれまで、気軽にお産に行く「コンビニエンス型」だったが、医師が減った今、そうはいかなくなる。
----三重県尾鷲市の市立尾鷲総合病院は年間報酬5520万円で産科医を招いたが2年目の契約は白紙になった。
報酬より、月1回の休みも与えないのが問題。週1回は別の医師が当直して休みを確保することが必要だ。そうすれば3000万円でも来る医師はいると思う。残りの2000万円は当直医師の確保にあてればいい。自治体が赤字でなかった時代、手当をつけて手取り(給与)が上がるようにし、医師が集まりにくい県は東京の1・5倍の報酬を払って必死に集めた。地域によって医師の待遇は違うべきだ。行きたくない病院なのに、同じ待遇のまま「医師が来ない」と叫ぶのは、市場経済としてはおかしい。
----女性医師の増加も産婦人科の特徴だ。
産婦人科医の4分の1は女性で、新人だと7割に上る。それなのに、結婚・出産を理由にフルに働けないケースが増えてきた。欧米では1施設当たり医師は平均7人いて、週1回の当直で済む。日本は平均3人で当直回数が多く、女性が常勤医になるのは難しい。常勤医2人以上の病院は女性の割合は20%台だが、1人医師の病院は8%だ。
----医師不足の抜本的な解決策はあるのか。
かかりつけの診療所や助産所で検診を受けた妊婦が、お産だけ設備の整った大病院で、かかりつけ医や助産師立ち会いで行う「産科オープンシステム」が有効だ。大病院には新生児専門医もいて、緊急事態に対応できる。今は、検診だけやって分娩を大病院の勤務医に任せるケースが目立つが、このシステムを取り入れるべきだ。
(毎日新聞、2006年9月30日)