****** コメント(私見):
何だか、流れは加速度的に医療崩壊に向かっていて、沈没船から皆が一斉に逃げ出している末期的状況なのかもしれません。
この大きな流れを変えるのは、もはや不可能なのかもしれません。
医療崩壊後、一面焼け野原から出発して、いかにして復興していくのか?を考えた方がいい所まで来てしまったのかもしれません。
復興に向けて、皆と一緒に元気でしっかり頑張れるように、今はあまり無理をしないで、できるだけ体力を温存しておいた方が無難なのかもしれません。
****** 毎日新聞、2007年1月23日
医療クライシス:忍び寄る崩壊の足音/1
分べん台で1時間待ち
転送先探し、東京でも困難に
全国で最も病院が多く、医師も集中する首都・東京のベッドタウン、東京都日野市。住宅街の一角に建つ日野市立病院(300床)の市原眞仁院長は、疲れた表情で話し始めた。
「どこに頼んでも医師が見つからない」
大学からの医師派遣を次々と打ち切られ、内科や小児科など5科で入院の受け入れ制限など診療を縮小している。4月には脳神経外科が縮小に追い込まれる見通しだ。
きっかけは04年度に導入された新医師臨床研修制度。新人医師は2年間研修が義務化され、大学病院も医師が不足し、系列病院から次々と医師を引き揚げた。「各地で医療事故が訴訟や刑事事件になっている影響」(市原院長)もあり、職員の士気も落ちている。
市原院長は「病院は赤字続きで、私は3月に責任をとって辞めるが、誰も後任に来たがらない」と途方に暮れる。
東京に次いで医師が多い大阪でも変わらない。
今年3月で閉院する公立忠岡病院(忠岡町、83床)。須加野誠治院長は医師を確保しようと、延べ200回近く近畿各地の大学病院に出向いた。だが、軒並み断られた。
須加野院長は「公的病院は日本の医療を支えてきたのだが……。弱者を切り捨てることになる」と悔しさをにじませる。
東京23区すら例外でない。東部の中核的医療機関、都立墨東病院(墨田区、772床)の産科は昨年11月から、出産を控えた妊婦の新規の外来受け付けを中止した。黒田祥之事務局長は「大学病院を10カ所以上回ったが、どこも派遣してくれそうにない」と語る。
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しわ寄せは、患者に及んでいる。
昨年7月。東京都内の女性(26)は休日の未明、かかりつけの産婦人科で陣痛を抑える点滴を受けていた。妊娠28週での早産が避けられず、新生児集中治療室(NICU)のある病院へ転送が必要になったためだ。
東京にはNICUを持つ24病院が参加し、出産前後の「周産期」の情報を共有するネットワークがある。うち9病院が総合周産期母子医療センターに指定され、受け入れ先探しも担う。
しかし、最も近いセンターの杏林大病院(東京都三鷹市、1153床)は「NICUがいっぱいで受けられない」。医師は転送先を探し、女性の横で電話をかけ続けたが、次々と断られた。
女性は分べん台に乗せられたまま1時間が過ぎた。「医師不足は地方の話。東京は大丈夫」と思っていたが、電話をかける先がどんどん遠くなり不安が増す。「あたし、どうなるの」
1時間以上かかって見つかったのは、直線距離で約40キロ離れた病院。1時間かけて運ばれ、不安が消えたのは、帝王切開を受け、産声が耳に届いたときだった。
送り出した産婦人科医は「センターの病院も人手不足で、転送先は自分で探さなければならないケースが多い。(19病院に断られた)奈良・大淀病院のケースのように受け入れ先を見つけるのが困難なのは、東京でも日常茶飯事だ」と明かす。
公立福生病院(東京都福生市、211床)は医師不足で、04年から人工透析を休止したままだ。転院せざるを得なくなった女性(52)は「異常があった時、総合病院なら対応してもらえる安心感があった」と嘆く。再開を待ちながら亡くなった患者もいるが、医師確保の見通しは立たない。
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「医療崩壊」を食い止めるにはどうしたらいいのか。手がかりを求め、現場を歩いた。
(毎日新聞、2007年1月23日)