ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

福島県立大野病院事件・初公判の報道

2007年01月27日 | 報道記事

コメント(私見):

癒着胎盤の頻度は1万分娩に1例とも言われ、平均的な産婦人科医が一生に1回遭遇するかしないかの非常にまれな疾患です。しかも、その一生に1回限りの珍事に自分がいつ当たってしまうのか?全く見当もつきません。(癒着胎盤について

もしかしたら、それが今日なのかもしれないし、10年後なのかもしれません。入門してから引退するまで一度も癒着胎盤には遭遇しない産婦人科医がほとんどだと思いますが、もしかしたら、ちょうど定年退職の日に初めて癒着胎盤例に当たってしまうかもしれません。私自身の場合、たまたま癒着胎盤例に初めて遭遇したのは、医者になりたてほやほやで、まだ右も左も何も分からず、初めての帝王切開・第2助手でこの業界にデビューさせてもらった時でした。(癒着胎盤に関する個人的な経験談

極めてまれで予測不能な難治疾患と遭遇して、必死の思いで苦闘しても、結果的にその患者さんを救命できなかった場合に、今回の大野病院事件のように、極悪非道の殺人犯と全く同じ扱いで逮捕・起訴されるようでは、危なくて誰も医療には従事できなくなってしまいます。

いくら全力で正当な医療を実施しても、不良結果となることはいくらでもあり得ます。自分自身の身の安全を守るために、いったんは安全な所に避難しようと考える医師も最近は少なくありません。五十歳代以降の中高年医師は、もう先が短いし、今さら方向転換もできないので、仕方なく現場に残っている人も多い一方、三十代~四十代の現役バリバリの医師達の現場からの立ち去りが最近は目立つようになってきて、公立・公的病院の縮小・閉鎖が毎日のように報道されています。

しかし、これはまだまだ事の始まりで、これから壊滅的な医療崩壊に向かって事態は加速されてゆくのではないかと多くの人が危惧しています。(MRICインタビュー:もはや医療崩壊は止まらないかもしれない

現場の産科医達が、いくら『このままでは医療崩壊の危機だ!』と主張し続けても、分娩場所が確保されて何とかなっているうちは全く理解してもらえません。『いっそのこと、医療崩壊もいくとこまでいってしまって、日本中、どこにもお産する場所がないような極限状態まで、いったんは行ってしまった方がむしろよい!医療崩壊の危機を回避するような必死の努力は、ただ自分の首を絞めるだけだ!流れに逆らって玉砕するよりは、今は、このまま放置して様子を見ていた方がむしろいい!』というような極端な意見を言う人も最近はけっこう多くなってきました。

****** 毎日新聞、2007年1月26日

福島産科事故 被告産婦人科医、起訴事実を否認 初公判で

 福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)であった。加藤被告は「死亡や執刀は認めますが、それ以外は否認します。切迫した状況の中で精いっぱいやった」と起訴事実を否認した。
 冒頭陳述で検察側は、応援を呼ぶべきだという先輩医師の事前のアドバイスを被告が断ったことや、胎盤はく離開始5分後の血圧降下など大量出血の予見可能性があったことなどを指摘した。
 弁護側も冒頭陳述を行い、明白な医療過誤とは異質と指摘。胎盤はく離は現場の裁量で、事後の判断は結果責任の追及になると反論し、産科専門家の意見も聞いていないと捜査を批判した。
 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開手術中、はがせば大量出血するおそれがある「癒着胎盤」であると認識しながら、子宮摘出手術などに移行せず、手術用はさみで胎盤をはがし失血死させた。また、医師法が規定する24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかった。【町田徳丈、松本惇】

被告 落ち着いた声で書面読み上げる

 「1人の医師として患者が死亡したのは大変残念」。初公判で加藤被告は起訴事実を否認する一方、死亡した女性に対しては「心から冥福を祈ります」と述べた。黒っぽいスーツを身につけ、落ち着いた声で準備した書面を読み上げた。
 加藤克彦被告が逮捕・起訴されて休職となり、昨年3月から県立大野病院の産婦人科は休診が続いている。同科は加藤被告が唯一の産婦人科医という「1人医長」体制。再開のめどは立たない。
 隣の富岡町の30代女性は加藤被告を信頼して出産することを決めたが、休診で昨年4月に実家近くの病院で二男を出産した。女性は「車で長時間かけて通うのも負担だった」と振り返る。二男出産に加藤被告が立ち会った女性(28)も「次も加藤先生に診てもらいたいと思っていた」と言う。
 一方、被害者の父親は「事前に生命の危険がある手術だという説明がなかった」と振り返る。危篤状態の時も「被告は冷静で、精いっぱいのことをしてくれたようには見えなかった」と話す。
 病院の対応にも不満がある。病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を最後に接触は途絶えた。昨年11月に問うと、病院は「弁護士と相談して進めていく」と答えたという。「納得できない。娘が死んだ真相を教えてほしい。このままでは娘に何も報告できない」と不信感を募らせる。【松本惇】

「通常の医療行為」の結果責任追及 医師界に危機感

 この裁判では、加藤被告を逮捕、起訴した捜査当局に、全国の医師から強い批判の声が上がっている。背景には、通常の医療行為で患者が死亡した結果責任を、医師個人が追及されているのではないかという危機意識がある。医師の刑事責任を負うべき判断ミスか、1万例に1例といわれる「癒着胎盤」のために起きた不幸な事故か。医師法で届け出義務が課される異状死の定義があいまいという指摘もあり、裁判の展開を多くの医療関係者が注目する。
 最大の争点は「癒着胎盤」のはく離を中止すべきだったかどうか。検察側は「癒着胎盤と分かった時点で大量出血しないようにはく離を中止し、子宮摘出に移行すべきだった」と医師の判断ミス、過失ととらえる。これに対し、弁護側は「臨床では止血のために胎盤をはがすのは当然で、出血を放置して子宮を摘出するのは危険」と通常の医療行為だと主張する。
 このほか、癒着胎盤の程度や大量出血の予見可能性なども争点となる。
 日本産科婦人科学会の昨年12月の発表によると、06年度(11月まで)に同会に入会した産婦人科医は298人で、2年間の臨床研修が課される前の03年度の375人から2割程度減少した。同会の荒木信一事務局長は「産科医の過酷な労働状況や訴訟リスクに加え、大野病院の事故が減少に拍車をかけた」と分析している。【松本惇】

(毎日新聞、2007年1月26日)

****** 読売新聞、2007年1月26日

帝王切開で妊婦失血死、医師が無罪を主張…福島地裁

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術で妊婦を失血死させたなどとして業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われている産婦人科医師、加藤克彦被告(39)(大熊町下野上)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれた。

 加藤被告は罪状認否で、手術について「できることを精いっぱいやった」と述べ、無罪を主張した。

 事件を巡っては、「悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」などと日本産科婦人科学会や日本医学会が相次いで表明しており、公判の行方が注目されている。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日午後、同県内の女性(当時29歳)の手術で、大量出血する危険を認識しながら、子宮に癒着した胎盤を無理にはがして大量出血を招き、死亡させたとされる。また、医師法で定められた24時間以内の警察への異状死の届け出をしなかったとされる。

 公判前整理手続きの結果、争点は、<1>子宮に胎盤が癒着していることを認識した時点で、大量出血する恐れがあるとみて胎盤をはがす処置を中止し、子宮摘出に移る義務があったか<2>大量出血の予見可能性<3>胎盤をはがす処置に手術用ハサミを使用した妥当性<4>医師法違反罪の適用の是非――などに絞り込まれている。

(読売新聞、2007年1月26日)

****** 朝日新聞、2007年1月26日

産科医、起訴事実を否認 福島の妊婦死亡初公判

 福島県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医加藤克彦被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大澤廣裁判長)で開かれた。加藤被告は「胎盤の剥離(はくり)を続けたことは適切な処置だった」などと述べ、起訴事実を否認した。

 加藤被告は「自分を信頼してくれた患者を亡くしたことは非常に残念で、心からご冥福をお祈りします。ただ、切迫した状況で、冷静にできる限りのことをやったことをご理解いただきたい」と述べた。

 検察側は冒頭陳述で「直ちに剥離を中止し、子宮摘出に移る注意義務を怠った」と主張。また、病院側に癒着胎盤をはがす手術を行うような体制や設備が整っていなかったと指摘した。

 起訴状によると、加藤医師は04年12月、子宮に癒着した胎盤を手術用ハサミではぎ取って女性を失血死させ、さらに、女性の死に異状があると認識しながら、24時間以内に警察に届け出なかったとされる。

 医療行為の過失を問われて医師が逮捕・起訴されたことで、全国の医師が抗議声明を発表するなど、公判は医療界の注目を集めている。

 公判前整理手続きが昨年7月から計6回実施され、同地裁は、胎盤癒着を認識した時点で胎盤をはぎ取るのをやめるべきだったかどうかを最大の争点として認定した。

(朝日新聞、2007年1月26日)

****** 共同通信、2007年01月26日

帝王切開医師が無罪主張 大量出血予見できたと検察 福島県立病院の妊婦死亡

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広(おおさわ・ひろし)裁判長)で開かれ、加藤被告は無罪を主張し「できるだけのことを精いっぱいやった」と述べた。

 最大の争点である被告が子宮に癒着した胎盤を手術用はさみではがす「はく離」を続けたことの是非について、加藤被告は「止血するために継続した。適当な処置と思った」と説明した。

 検察側は冒頭陳述で「加藤被告がはく離を始めてから、わき上がるような出血があった。この時点ではく離を中止する義務があったのに続けた」と指摘。「被告が使った教科書や手術に立ち会った関係者の証言などから、被告は大量出血を予見できた」とした。

 この医療事故では検察側と、「対応は正当。医師の裁量に任せるべきで、過失とすれば医療行為ができなくなる」とする弁護側が真っ向から対立。医師が逮捕、起訴されたことに医療界の反発も広がっており、審理が注目されている。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、同県楢葉町の女性の帝王切開手術をした際、胎盤と子宮の癒着を認識。無理に胎盤をはがせば大量出血する恐れがあったのに、子宮摘出など危険回避の措置を怠り、はく離を続けて大量出血で女性を死亡させた。異状死として24時間以内に警察に届けなかったと、医師法違反にも問われた。

 事故をめぐっては、福島県が05年3月に医療過誤を認める事故の報告書を公表。これが捜査の端緒となり、県警は昨年2月に加藤被告を逮捕。日本産科婦人科学会などが捜査を批判する声明を相次いで出した。

検察・弁護側が全面対決 医療行為の責任どう判断

 医療行為に関し、医師個人の刑事責任を司法がどう判断するのか-。産婦人科医の逮捕、起訴が医療界に波紋を広げた福島県立大野病院の医療事故。立証に自信を見せる検察側と、医療事故に詳しい弁護士らで結成した弁護団は、全面対決の公判に突入した。

 昨年7月から約半年間、双方が激しいつばぜり合いを演じた公判前整理手続き。争点は(1)子宮と胎盤の癒着の部位と程度(2)手術中の出血の部位と程度(3)女性の死亡と手術との因果関係(4)胎盤はく離に手術用はさみを使った方法の妥当性(5)異状死の届けをめぐる医師法違反の成否(6)捜査段階の供述の任意性-の6点に絞り込まれた。

 検察側は立証に自信を見せ「女性の大量出血は予見できたことで、過失はある」との姿勢だ。

 弁護側は「医療に詳しくない人が取り調べ、被告の認識を理解していない」とも批判した。

 医療界は反発を強め、日本医学会は昨年末の声明で「担当医が不可抗力的事故で逮捕されたのは誠に遺憾。消極的な医療にならざるを得ない」と指摘。産科医不足に言及し「若い医師は事故の多い診療科の医師になることを敬遠している」と危機感をあらわにした。

 同病院の産婦人科は休診が続く。県の担当者は「立件で、担当医が1人だけの勤務体制を避ける流れが県内の産婦人科で加速し、代理の医師も派遣できない。地元の人が困っているのは間違いないと思うが...」としている。

(共同通信、2007年01月26日)

****** 河北新報、2007年01月26日

福島・大野病院事件初公判 加藤被告、無罪を主張

 福島県立大野病院(大熊町)で帝王切開の手術中、子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)、楢葉町=を失血死させたとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)=大熊町=の初公判が26日、福島地裁で開かれた。加藤被告は「手術で患者が死亡したこと以外は、すべて否認します」と述べ、無罪を主張した。

 公判では、産科医療で最も難度が高い胎盤剥離を選択した判断が刑事過失に当たるかどうかが争われる。裁判の行方は、疲弊する産科医療の今後や、医師の裁量権に捜査がどこまで踏み込むべきかなど、医療と司法の関係にも影響を与える。

 加藤被告は罪状認否で「手術中の出血を早く止めるために剥離を継続した。切迫した状況で最善を尽くしたことを理解してもらいたい」と書面を読み上げた。

 検察側は冒頭陳述で、加藤被告の過失を細かく指摘した。それによると、加藤被告は(1)胎盤の剥離が困難になったら、すぐに子宮を摘出する(2)器具を使った剥離は危険―などの医療知識を専門書で得ていた上、女性患者が癒着胎盤を起こしている可能性が高いことも手術前に認識していた。助産師が「手術は設備の整った病院でするべきだ」と助言すると、「何でそんなこと言う」と拒否した。

 2004年12月17日の手術では、帝王切開後に癒着胎盤を確認。手で胎盤がはがれなくなったため、クーパー(医療用はさみ)を使って剥離を継続した直後、子宮からの出血が激しくなった。急激に血圧も下がり出し、女性は失血ショック状態になった。

 検察側は「直ちに剥離を中止するべきだった。女性から子宮摘出の同意も取っており、剥離を継続する理由もない。遺族は被告を絶対に許さず、厳重な処罰を望んでいる」と指摘した。

 検察側は、女性の死が医師法で定める「異状死」だったのに、警察への届け出義務を怠ったことも指摘した。
 審理は検察側の冒頭陳述を終え、いったん休廷。午後には弁護側が冒頭陳述を行う。

加藤被告、ミスなかったと断言 福島・大野病院事件初公判

 「一人の医師として、信頼してくれた患者を死亡させたことに忸怩(じくじ)たる思いです」。福島県立大野病院(大熊町)で2004年12月、帝王切開手術中に子宮に癒着した胎盤を無理にはがし、女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、医師が業務上過失致死などの罪に問われた事件。福島地裁で26日開かれた初公判で、手術を執刀した産婦人科医加藤克彦被告(39)は女性の死を悼む言葉を重ねながらも、過失はなかったと強調した。

 加藤被告は開廷20分前の午前9時40分ごろ、主任弁護士に伴われて硬い表情で福島地裁に到着。法廷では身じろぎもせずに検察官の起訴状朗読を聞いた後、準備していた書面を読みながら約10分間、はっきりとした口調で手術の経過などを説明した。

 この中で、加藤被告は手術前の検査や輸血準備から胎盤剥離(はくり)を試みた措置までミスはなかったと断言。胎盤剥離を断念して子宮を摘出した後も輸血によって女性の容体が安定していたことを明らかにした。

 自信に満ちた口ぶりに変化が表れたのは、終わり近く。「安定していた血圧が突然、低下した。懸命に心肺蘇生(そせい)措置を行ったが及ばなかった」とわずかに声を震わせ、「亡くなられた女性のご冥福を祈ります」と2度繰り返した。検察側の冒頭陳述に対しては時折、気を静めるように肩で息を整える場面もあった。

 女性の父親(56)は「娘はなぜ、死ななければならなかったのか。その真相が知りたい」と傍聴に訪れたが、終始うなだれたまま、涙をぬぐっていた。

(河北新報、2007年01月26日)

****** 福島民報、2007年1月26日

被告は無罪主張/福島県立大野病院医療過誤事件の初公判

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(39)の初公判は26日、福島地裁で開かれ、加藤被告は起訴事実を否認し、無罪を主張した。
 加藤被告は同病院に勤務していたことなどを認めたうえで、「(手術前に)検査をしたうえ、血液も十分に用意した。普段より慎重に医療行為をした。冷静にできる限りのことを精いっぱいやった」などと述べた。患者が死亡したことについては「じくじたる思い。患者のめい福を祈っている」と語った。
 起訴状によると、加藤被告は平成16年12月17日、楢葉町の女性=当時(29)=の出産で帝王切開手術を執刀し、癒着した胎盤をはがし大量出血で女性を死亡させた。女性が異状死だったのに24時間以内に警察署に届けなかった。
 公判では数千例に1例といわれる癒着胎盤という症例に対する措置の是非が大きな争点になっている。医師法21条の異状死についても事件をきっかけに学問的な議論が生じている。
 多くの医療団体が捜査に抗議するなど全国的な話題を呼んだ事件は、発生から約2年を経て本格的な法廷論争に入った。
 初公判には一般傍聴席26席に、349人の傍聴希望者が列をつくった。

県立大野病院医療過誤事件争点表

◎争点: 癒着胎盤に対する措置
 [検察側] 癒着胎盤と分かった時点で、、大量出血を避けるために子宮摘出手術などに移るべきだった。無理にはがすべきではない。
 [弁護側] 胎盤をはがした方がかえって出血を抑えられる場合は多い。はがしたら大量出血が起きると予見することは不可能だった。

◎争点: 異状死の届け出義務
 [検察側] 加藤被告は遺体を検案した結果、異状死と認識していたのに、届け出なかった。
 [弁護側] 届け出義務は憲法の黙秘権に反する。加藤被告は異状死の認識がなかった。

◎争点: 加藤被告の供述の任意性
 [検察側] 証拠提出する加藤被告の供述調書はいずれも任意で話した。
 [弁護側] 供述調書の中に加藤被告が任意で話さず、不本意な部分がある。

(福島民報、2007年1月26日)