コメント(私見):
検察側、弁護側、双方の医学的な見解の相違点は、以下の通りと考えられます。
検察側の見解:全前置胎盤で、胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて付着し、前回帝王切開の創痕にもかかっていた。従って本症例は手術前に癒着胎盤を強く疑うべき状況であった。
弁護側の見解:全前置胎盤ではあるが、胎盤は主に子宮の後壁に付着し、そもそも前回帝王切開の創痕にはかかっていなかった。摘出子宮の病理検査でも、胎盤の癒着部位が子宮後壁であることが確認されている。従って、本症例が癒着胎盤である確率は通常の前置胎盤と同じと考えられ、手術前に癒着胎盤を強く疑う状況ではなかった。
検察側の見解:大出血は予見可能であった。
弁護側の見解:大出血の予見は困難であった。
検察側の見解:癒着胎盤と判明すれば、その時点で、ただちに子宮を摘出すべきである。クーパー(手術用ハサミ)の使用は禁忌である。
弁護側の見解:癒着胎盤であっても、状況によっては、剥離により子宮収縮を促し止血できる場合もある。今回のようなケースで、クーパーの使用がむしろ有用の場合もありうる。
検察側の見解:癒着胎盤の程度は高度で、癒着剥離は禁忌の状態であった。
弁護側の見解:癒着胎盤の程度は軽度で、癒着剥離が可能な状態であった。
検察側の見解:死因は出血性ショックであった。
弁護側の見解:子宮摘出後しばらくは血圧安定していたが、突然、心室細動となり、麻酔科医による蘇生にも反応しなかった。死因に不明な点もある。
◇ ◇
検察側の見解は、婦人科腫瘍学の専門家および一般病理医の意見に依存している。すなわち、検察側の見解は、周産期医学の専門家および胎盤病理・子宮病理の専門家の意見に基づいてない。
弁護側の見解は、周産期医学の専門家および胎盤病理・子宮病理の専門家の意見に基づいている。
参考:
****** OhmyNews、2007年1月28日
福島県立大野病院事件、冒頭陳述の要旨(検察側)
26日に福島地裁で初公判が開かれた福島県立大野病院事件で、検察側が述べた冒頭陳述の要旨は以下の通り。
◇本件の概要
2004年12月17日、福島県立大野病院で産婦人科専門医として勤務していた被告人が、帝王切開手術を行い、女児分娩後子宮内壁に癒着していた胎盤を、手術用はさみであるクーパーを使うなどして無理に剥離(はくり)し、その結果として大量出血を引き起こして失血死させたという業務上過失致死と、異常死について警察に通報しなかったという医師法違反の事案である。
◇前置胎盤および癒着胎盤について(疾患の定義、種類、原因については略)
産婦人科医の鑑定書や、被告人の自宅から押収された専門書に示されているように、用手的剥離が困難になった時点で、癒着胎盤の判断を行う。この場合、胎盤を無理に剥離すると、癒着の程度や部位にかかわらず短時間のうちにコントロール不能な大出血にいたる可能性があるため、ただちに操作を中止し、胎盤が残った状態のままで、出血源である子宮を摘出するなどする必要がある。
この件の被害者の胎盤は、子宮口全体を覆う全前置胎盤であり、子宮前壁から後壁にまたがって付着していた。病理学鑑定では、被害者の胎盤は絨毛(じゅうもう)が子宮筋層内まで侵入する嵌入(かんにゅう)胎盤であり、癒着部位も子宮前壁から後壁まで及んでいたことが判明した。
◇経緯
大野病院は医師12人、看護師89人、ベッド数146床の規模で、産婦人科の診療には、被告人と外科の常勤医3人であたっていた。同病院は、高度の医療を提供できる第三次救急医療機関の指定を受けておらず、特定機能病院の基準も満たしていなかった。また、待機用の貯血はなく、輸血が必要な場合は、いわき血液センターにファクスで発注し、約1時間かけて自動車で搬送を受けることになっていた。
被害者の女性は、前置胎盤の管理目的のため2004年11月22日、大野病院に入院した。被告人は、超音波検査の結果から、被害者の胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて位置し、内子宮口全体を覆っており、一部は前回の帝王切開創(きずあと)にかかっていると考えていた。
このような場合、突然の大量出血が起きる危険があるが、大野病院は大量出血した場合の輸血の確保が物理的に困難である。そのため従来、前置胎盤患者は、より設備の整った磐城共立病院に転院させるなどしてきたが、被告人は被害者の帝王切開手術を大野病院において行う旨の言動を、大野病院産婦人科職員に対しするようになった。
同院の助産師は、大野病院での出産は不適切であると助言したが、被告人は「なんでそんなこと言うの」などと言い、この助言を聞き入れようとはしなかった。助産師が、ほかの産婦人科医の応援を要請した方がよいのではないかと申し入れたところ、被告人は問題が生じた場合には双葉厚生病院の医師に来てもらうと返答した。
このほか、被告人は手術前に、福島県立医大産婦人科の先輩医師から、同大病院において、前置胎盤・帝王切開既往の妊婦の帝王切開時に大量出血を起こして、その処置に困難を来したことを教えられ、大学から応援を派遣してもらった方がよいのではないかと言われていたが、その場でこれを断った。
被告人は産婦人科専門医として、帝王切開手術の既往がある前置胎盤患者で、胎盤が前回の帝王切開創にかかっている場合の癒着胎盤の確率は24パーセントであることを学んでいた。
被告人はまた、12月6日までの各種検査から、被害者が全前置胎盤であること、前壁側に付着した胎盤が前回帝王切開創におよび、癒着胎盤を発症している可能性があることなどを診断していたが、被害者の帝王切開術は大野病院で行うことに決めた。
その上で、癒着胎盤を前提としない前置胎盤症例で最小限準備すべき量である濃厚赤血球1000ミリリットルを用意すること、場合によっては単純子宮全摘術を行うことを決め、カルテに記載した。
12月9日までには麻酔科医に、「手術中の出血が多くなる可能性があります。前回の帝王切開の創部に胎盤がかかっているので、胎盤が深く食い込んでいるようなら、子宮を全摘します」などと説明し、これを聞いた麻酔科医は、通常は1本のみ確保する点滴ラインを2本確保することに決めた。
被害者と被害者の夫に対しては、12月14日に説明を行った。その際、「前置胎盤で、前回も帝王切開の場合は、前回切ったときの傷に胎盤が癒着しやすいんです」と被害者が癒着胎盤を発症している危険性があることを告げ、「出血があるときには、出血の源になる子宮を取ることになります」などといって、子宮摘出の可能性を説明し、同意を得た。
この時点までに双葉厚生病院へは連絡していなかったが、被害者と夫には「何かあったら双葉厚生病院の先生を呼びます。もう先生には話してありますから」などと話した。
被告人は手術当日の17日、双葉厚生病院の勤務医に電話をかけ、これから手術をする被害者について、前置胎盤であり、前回の帝王切開のきずあとに胎盤の一部がかかっている可能性があること、何か異常があれば午後3時ごろに連絡がいくかもしれないことを告げ、大量出血などが生じた場合の応援を依頼した。
これを聞いた産婦人科医は、被告人が癒着胎盤の可能性を考慮して応援依頼をしてきたものと理解し、急変時の応援を了承した。
◇手術状況
手術は2004年12月17日午後2時26分に始まった。腹部を切開したところ、子宮表面には血管の怒張(血流が悪くなり、はれ上がること)が認められた。被告人は超音波検査で胎盤の位置を確認し、子宮をU字型に切開した。
午後2時37分、順調に女児が娩出された。女児は、直後は泣き方が通常より弱々しかったものの、じきに元気な産声をあげて被害者と対面した。被害者は女児の手を優しくつかんで「ちっちゃい手だね」などと言っており、この時点では被害者の意識はしっかりして、血圧なども正常の範囲であった。
被告人は子宮切開創の止血をし、子宮収縮剤を注射した後、臍帯(さいたい)を手で引っ張って胎盤の剥離を試みたが、胎盤は剥離しなかった。胎盤に子宮が引っ張られて持ち上がってしまう状態であった。
このため、被告人は2時38分ごろに用手的剥離を開始。左手で胎盤をひっぱりながら、右手手指を胎盤と子宮のあいだに差し入れ、指先で胎盤を押すように剥離を試みた。
開始時は容易に右手の3本の指を差し入れることができ、容易に剥離することができたが、徐々に指を差し入れることができなくなり、力を込めなくては胎盤をはがすことができなくなった。3本指を入れることもできなくなったため、指2本にして剥離を継続。しかしそれも困難になり、やがて1本の指も入らなくなった。
被告人はこの時点までに被害者の胎盤が子宮内壁に癒着していることを認識し、剥離を中止して子宮摘出の措置をとるべきであることを知っていた。子宮摘出の同意は得られており、摘出を回避しなければならない事情は全く存在せず、胎盤の剥離を継続すべき必要性・緊急性もなかった。
被告人は、輸血の追加発注などもしないまま、「胎盤を手で剥離することができない場合に剥離を継続しても、大量出血しない場合もあり得るだろう」「指より細いクーパーであれば胎盤と子宮内壁のあいだに差し込むことができるだろう」などと安易に考え、2時40分ごろにはクーパーでの剥離を開始した。 この時点での総出血量は、羊水込みで約2000ミリリットルだった。
クーパーのはさみを閉じた状態にして持った被告人は、先端部を胎盤と子宮内壁のあいだに差し入れ、閉じた状態の刃の部分で癒着箇所をそぐように剥離を行ったが、クーパーによる胎盤剥離を開始したころから、子宮の広い範囲で次々とわき出るような出血が始まった。看護師らは出血量を計量し、医師らに総出血量を口頭で報告していた。2時45分ごろには被害者の血圧は低下し始めた。
この間、被告人は、剥離困難な部分をクーパーのはさみを開閉して切った上、そぐようにして剥離して、2時50分頃胎盤を娩出した。
娩出された胎盤は表面が崩れた状態であり、一部分は欠損していた。その後の病理検査の結果、被害者の子宮内壁の胎盤剥離部分には肉眼でも分かる凹凸がみられる上、子宮内に胎盤の一部が残存して、断片にはちぎれたようなあとがあった。
2時52分の出血量は2555ミリリットルだったが、その約13分後の午後3時5分過ぎごろまでの出血量は7675ミリリットルに増加していた。血圧は、2時40分時点で上100下50強であったが、2時55分には上50弱、下30弱に急落した。脈拍数はいったん下がったものの、午後3時ごろから急上昇して、出血性ショック状態に陥った。
麻酔科医は、2時55分ごろから輸血を開始したが、使い尽くしたため3時10分ごろ、被告人からの指示を待たずに追加輸血を発注した。被告人はその後も完全に止血することができず、ようやく子宮摘出を考えたが、追加輸血がなければ摘出ができないため、血液製剤の到着を待った。午後4時10分ごろに総出血量は約1万2085ミリリットルに達した。
この間、被告人は被害者家族への説明を行わなかった上、心配して手術室にかけつけた院長から応援要請をするかと尋ねられたが、これも断った。
追加輸血が到着し、午後4時30分頃から単純子宮摘出術を行って子宮を摘出した。しかし午後6時5分ごろ、被害者は心室頻拍となって脈も触れない状態に陥り、麻酔科医らが蘇生措置を行ったものの蘇生しなかった。被害者は午後7時1分ごろ、クーパーを用いた胎盤剥離による剥離部分からの出血により失血死した。
蘇生措置の途中、被告人は被害者家族に状況を説明するためいったん手術室を出たが、その際顔を合わせた院長に「やっちゃった」、助産師に対しは「最悪」などと述べた。
被害者の死亡後、被告人は死因が癒着胎盤の剥離面からの出血に起因する出血性ショック死であったと診断した。8時45分ごろから被害者の夫らに対する説明をし、癒着胎盤であったこと、癒着胎盤をはがす際に出血が増加したことなどを説明した。
院長には10時30分ごろに院長室で報告し、「癒着胎盤であった。胎盤を剥離するとき、最初は手で剥離できていたが、下の方に行くに従ってはがれなくなり、クーパーを使って剥離したら出血した」と説明した。
被告は、胎盤を子宮から剥離するときにクーパーを使用する症例を聞いたことがなく、「クーパーを使用したのは不適切だったのではないか」と感じていたものの、院長にはミスはなかったと報告し、院長は専門医である被告人の「ミスはなかった」との言葉を信用して医師法に基づく警察への届け出を不要と判断した。
福島県警は、県により設置された医療事故調査委員会が、この件は癒着した胎盤を無理にはがしたことによる出血性ショックなどによる医療ミスであったとの調査結果を公表した2005年3月31日付新聞報道を端緒に、捜査を開始した。
◇その他情状
被害者の夫は、被告人について、被告人のことは絶対許せない、厳重な処罰を望みますとの被害者感情を述べている。
(OhmyNews、2007年1月28日)
****** OhmyNews、2007年1月28日
福島県立大野病院事件、冒頭陳述の要旨(弁護側)
26日に福島地裁で初公判が開かれた福島県立大野病院事件で、弁護側が述べた冒頭陳述の要旨は以下の通り。
◇はじめに
本件は、赤ちゃんは帝王切開により無事に生まれたものの、術前には予期できなかった子宮後壁に胎盤が癒着するという極めてまれな疾患が一因で、患者が死亡するという痛ましい結果が生じた事件である。
被告人は、患者に帝王切開手術歴があり、全前置胎盤であったことから、前回創痕(そうこん)に胎盤が癒着しやすいことに特に留意し、術前に何度も超音波およびカラードプラを用いて子宮前壁に癒着がないことを確認した。開腹後も子宮に直接、超音波をあてて、癒着がないことを確認している。
その後無事に児を娩出(べんしゅつ)し、胎盤の晩出をはじめたところ、子宮後壁に予期せぬ癒着があり、出血が続いたことから、止血を急ぐために胎盤剥離(はくり)を継続したものの、剥離後の多量出血が一因となって死の転帰を見た。
これは通常の医療行為そのものであり、薬の種類や量を間違えたり、誤って臓器や血管を切ったり、医療器具を体内に残したという明白な医療過誤事件とはまったく異質である。
検察官は、胎盤剥離が困難となった時点で、ただちに剥離を中止し、子宮を摘出すべきであったと主張するが、継続するか、中止するかは現場の医師が、現場の状況に即して判断し、最良と信じる処置を行うしかないのであって、生じた結果から施術の是非を判断することはできない。
そうでなければ、単なる結果責任の追及にすぎないことになる。被告人の逮捕や告訴が医療現場に混乱をもたらし、産科医の減少に拍車をかけ、医療関係者から強い非難を寄せられているのは、医師の通常の医療行為を検察官が問題にしているからに他ならない。
検察官の請求証拠には問題が多い。胎盤癒着の部位、程度、癒着胎盤の予見可能性や剥離の是非などの専門的な行為の相当性が争点となるのに、産科ではなく、婦人科腫瘍の専門家の意見や供述に依拠している。
検察官はまた、癒着胎盤に関する教科書に、検察官の主張に沿う記述があるとしているが、その記述が本件に適応するかについては、執筆者や編集者のだれからも意見を聞いていない。
検察官は、被告人の過失を認めるかのような記載がある医療事故調査委員会の報告書に依拠していた可能性があるが、同報告書は、再発防止と損害賠償に配慮して作成されたものであり、被告人の刑事責任につながる過失を認めたわけではない。
一方、弁護人の証拠は、胎盤病理の専門家の鑑定書により、癒着の部位、程度を明らかにするものである。癒着胎盤の予見可能性や、医療行為の相当性については、周産期医療の鑑定意見により、被告人の医療行為が相当であり、過失がないことを明らかにする。教科書の記述については、執筆者や編集者の意見を収集し、教科書の記述が被告人の刑責を裏付けるものではないことを明らかにする。
検察官が専門的な医療事件について、患者のために尽力してきた被告人をかくも安易に提訴し、医療現場を混乱させたことの不当性を明らかにしたい。
また、異常死報告義務を定める医師法21条に違反しているとされることについては、同法が違憲無効な法律であるとともに、被告人に異常死の認識がないことから、同法の適用がない。
証拠調べ請求に対する検察官の不適当な対応についてもひとこと述べたい。検察官は、このような専門的な医療事件で、きわめて困難な疾患を持つ患者に対する施術の当否が争点となっているにもかかわらず、弁護人の提出する証拠の取り調べを不同意としている。
さらに検察官が作成した調書のなかに、被告人に有利な部分を削除して証拠請求するという前代未聞の措置を講じている。検察官の基本的職務に反する不公正な対応として強く非難されるべきである。
◇被告人の身上経歴
被告人は1996年5月に医師免許を取得。2006年2月に起訴されるまでのあいだ、福島県立医科大学病院、公立岩瀬病院、二本松社会保険病院、県立大野病院などで約1200例の分娩を取り扱った。そのうち200例が帝王切開術だった。2001年には産婦人科専門医の認定を受けている。
◇事実経過
県立大野病院は病床数150床の中規模病院。産婦人科の常勤医は1人で、被告人はいわゆる一人医長であった。被告人は、同病院で勤務していた1年10カ月のあいだに約350件の分娩を扱い、このうち約60例が帝王切開術であり、そのうち50例は臨時手術だった。2004年には今回と同じ全前置胎盤患者の帝王切開手術を行い、無事に終えている。
患者は、2004年5月当時29歳で、第2子を妊娠していたが、不正出血したことで県立大野病院を受診した。同じ5月に再びの不正出血で一度入院。10月22日には後壁付着の全前置胎盤であると診断された。
子宮摘出の可能性がある疾患であったことから、被告人は診断時にその話をした。このとき、患者に今後の妊娠予定などを聞いたところ、患者はもう1人は子供がほしいと答えたため、被告人は、患者夫妻は基本的に子宮温存を希望していると理解し、カルテにその旨記載した。帝王切開の手術日は12月17日に決まった。
前回帝王切開創痕に胎盤がかかっていた場合、癒着胎盤が生ずる可能性が高くなる。このため、被告人は術前の管理を十全に行っていた。もっとも、胎盤が創痕にかかっていない場合には、癒着胎盤の可能性は通常の前置胎盤と同じ程度であることから、被告人は検査を慎重に行い、その把握に努めていた。
11月22日に患者は入院した。11月29日、12月6日、13日の3回経腹超音波断層検査を、12月6日には超音波カラードプラ法検査を実施した。このころには子宮が大きく、筋層が薄くなっていたため、前回創痕を画像で確認することはできなかった。しかし、胎盤は子宮後壁、子宮口付近、子宮前壁の低い位置にあり、前回創痕があると推測される場所に付着している状態ではなかった。
それらの検査結果から、胎盤が前回創痕にかかっている可能性はなく、癒着胎盤はないと判断した。MRI検査は、超音波検査で子宮前壁への癒着がないと判断したため行わず、準備輸血量は、前置胎盤の症例についての文献を参考に、濃厚赤血球5単位(1000ミリリットル)とした。
手術については、癒着胎盤ではないと判断していたし、輸血用血液も1時間で到着することから、同病院で手術をすることにした。念のために、双葉厚生病院の加藤謙一医師に、術中何かあったら手伝ってもらうことにして、12月17日に電話で依頼し、どうしてもというときは呼んでくれという返答をもらった。
12月14日に、麻酔科の医師と、患者の症状、胎盤娩出後、止血困難であれば子宮摘出術に移行する予定であることを打ち合わせた。患者夫妻への術前の説明は、12月14日午後7時から行った。病状、病中何かあったら応援医師の依頼予定であること、子宮摘出の可能性があることなどを説明し、手術同意書、輸血同意書に署名をもらった。
このように、被告人の手術の準備は万全と評価できるものである。前回帝王切開創痕および子宮前壁には被告人の診断通り癒着胎盤はなかった。このことは後日の鑑定によっても裏付けられている。
12月17日の手術は、医師3人、助産師2人、看護師4人の体制で行われた。のちに看護師3人が加入し、12人体制となった。午後2時26分に開腹。子宮表面の色は通常通りピンク色だった。超音波検査装置のプローベを子宮筋層に直接あて、胎盤実質の位置を確認し、胎盤のない子宮の右下方をU字型に切開した。
検察官は、被告人は胎盤が前回創痕にかかっていたことを認識していたと主張するが、そもそも当該部分に胎盤はかかっていなかった。
午後2時37分、胎児を娩出。子宮収縮剤を投与し、子宮のマッサージを始めたところ、胎盤が剥離するような傾向があり臍帯(さいたい)を引いてみたが胎盤は剥離しなかった。しかし、剥離しにくいことは帝王切開分娩ではよくあるため、子宮収縮不良により胎盤が剥離しないのだと考え、右手を子宮後壁上部に差し入れ、用手剥離を開始した。この時点の出血量は羊水込みで2000ミリリットル前後であった。
しかし、半分程度剥離したと思われるころから、胎盤が子宮からはがれにくくなったのを感じた。このあいだは通常の出血量であったが、胎盤剥離面からにじみ出るような出血が継続していたため、胎盤剥離を終え、子宮収縮を促すことで出血を止めようと考え、早く胎盤を剥離するために、先端が丸い曲がりクーパーを用いた作業に切り替えた。
子宮後壁下方を剥離すると、残りの子宮前壁部分はするりとはがれた。胎盤娩出が完了してから2~3分経過した午後2時52分ごろの出血量は2555ミリリットルだった。
胎盤病理の専門家による病理鑑定の結果では、癒着の程度はもっとも深い部分でも子宮筋層の5分の1程度の深さで、この程度の癒着であれば剥離を行うことがより適切だった。また、子宮と胎盤の構造からして、クーパーの使用は母体からの大出血を招く行為ではない。
逆に、胎盤を出さなければ子宮収縮が進まず、母体が危険になる。この場合のクーパー使用は、むしろ素早く胎盤を取り出し、その後の止血措置をやりやすくすることで有用といえる。
午後2時50分、胎盤を娩出。子宮が収縮しにくいだらりとした状態であったため、収縮剤を再投与したが、出血は収まらなかった。午後4時30分、輸血用血液の到着を待って、子宮摘出手術を開始し、1時間後に子宮摘出を終えた。午後6時5分ごろには血圧が安定し、被告人は安心して手術終了の準備をしていたところ、突然、患者に心室細動が起こった。約1時間蘇生を継続したが、午後7時01分患者は永眠した。
◇医師法21条
同法は、医師に異常死届け出義務を課しているが、文言上「異常」としているだけで、解釈の手がかりがない。各種ガイドラインの解釈もバラバラで、同法は明確性の原則に反しており、憲法31条違反で違憲無効な法律である。
また、安易な合憲限定解釈も避けるべきである。医師にあらゆる患者の死亡を届けさせることになれば、医療行為に対する委縮効果になる。マニュアルに従えば通常は事故の起こりえない航空機や自動車の運転とは異なり、医療行為には「こうすれば必ず死なない」というマニュアルはない。常にリスクと隣り合わせであり、あえて治療を行った医師の届け出の範囲は無限に広がりうる。
さらに、21条は医師に犯罪事実の自己申告を強制するもので、黙秘権を保障した憲法38条に反する。
当該事件では、被告人は7時30分ごろ、患者は出血性ショックによって死亡したと判断している。さらに10時30分頃、麻酔科医とともに院長室で患者が亡くなったことを報告し、院長から過誤はなかったのかと聞かれ、過誤はなかったと答えると、院長は異常死の届け出はしないでいいという判断を述べている。
仮に同法が合憲だとしても、被告人には過失がなく、患者の死亡も癒着胎盤という疾患に起因する死亡であるから異常死にあたらない。異常死との認識はないから同法違反は成立しない。厚生労働省の指針は、医療過誤でない場合、届け出は行わないとしており、被告人に届け出を期待することはできない。
医療行為は、本質的に身体への侵襲(外科手術で人体を切開したり、薬の投与をしたりすることで身体に変化を与える行為)であり、一定の確率で予期せぬ結果を避けられないものである。
そのような業務に従事する者の、しかも高度に専門的な判断に過失があるかないかを判断するときは、検察官、裁判所、弁護人も正しい基礎的な医学知識とさまざまな医療技術を学び、その上で被告人が行った行為を法的にどう評価すべきか吟味・検討しなければならない。
本件で、そのような吟味・検討が十分なされたかは疑問であり、全国の医師会や学会、医会からは危惧があがっている。
社会的背景を無視して、刑事裁判は成り立たない。問題にすべきは、患者の死の結果だけではなく、その死をどう見るのか、関与した医療従事者たちの行為と努力をどう見るかである。
刑事司法が、医療事件を予見可能性だけで論ずるとすれば、医療従事者は医療行為を常に刑事訴追と一体に考えざるを得ない。それは、地域医療の現場から立ち去っている日本の医療の崩壊につながり、国民にとっての損失となる。
(OhmyNews、2007年1月28日)