たかだかこの半世紀間だけを見ても、日本における分娩場所のトレンドは、自宅分娩中心から始まって、何度か大きく変化してきました。トレンドが大きく変わる変革期では、それまでの安定した体制が根底から崩れて、多くの人達が戸惑い、一時的な混乱も止むを得ないことだと思われます。
日本の他の地区と全く同様に、当医療圏においても、自宅分娩が中心で地域の産婆さん達が大活躍した時代のあとに、非常に多くの開業助産所、開業診療所、病院産婦人科(私立、日赤、公立)が共存した時代が続きました。その後、代が変わって、最近数年間は6施設(3診療所、3病院)で地域の分娩を担ってきました。
そして、今また、我々は時代の大きな変革期を経験しつつあり、みんなで暗中模索しているところです。
一体全体、この先、時代はどのように変化していくのだろうか? 我々自身がどのように変化していけばいいのだろうか? いろんな人たちが、各々の立場から、いろんなことを言ってますが、何が正解なのかは誰にもわかりません。これから、誰も経験したことがない新しい時代が始まります。
****** 毎日新聞、長野、2007年2月15日
産科/検討進む医師の集約化
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飯田・下伊那地域では05年秋、分娩を扱っていた6施設のうち、松川町の下伊那赤十字病院など3施設が06年春から分娩を取りやめた。この3施設の分娩数は年間800件。大量の「お産難民」が出る可能性があった。地域で懇談会をつくり知恵を出し合った結果、診療所と病院の連携システムが導入された。
妊娠中の検診は診療所、出産は飯田市立病院という役割分担を行うことで同病院の負担を軽減。同病院の医師や助産師、分娩台の数も増やした。同病院の産婦人科長、山崎輝行医師は「システムの開始から1年。トラブルはなく成功したと言える」と話す。
県などでは国の方針に基づき、産科・小児科の集約化を検討している。各病院にいる小児科医や産科医を地域の拠点となる病院に集め、そこで治療などを行うという。飯田・下伊那地域の取り組みがモデルケースとされている。検討委員会の関係者は「現状のままでは産科医の負担は増す一方。いずれ、島根県の隠岐島のように、お産が出来る病院が消滅する。余力のある今だからこそ、医療資源を集約化する必要がある」と説く。
(以下略)
(毎日新聞、2007年2月15日)