第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
【今後の予定】
12/21 加藤医師に対する本人尋問
3/14 論告求刑
5/ 9 弁護側の最終尋問
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大野事件 第10回公判!【産科医療のこれから】
第10回 公判傍聴記 平成19年11月30日
9時30分開廷、本日は、弁護側証人として宮崎大学医学部産婦人科 池ノ上 克(ツヨム)教授。
平成13年から本年まで16年間で前置胎盤で癒着胎盤であった症例は12例(4700件の分娩のうち)あったと証言。前壁に癒着胎盤があった症例は10例で、後壁に癒着があったものは1例(4700の分娩に1例)であったと証言した。12例の癒着胎盤の中で子宮摘出したものは9例あり、9例中、胎盤剥離をせず子宮を摘出したものは5例であり、これらは開腹後子宮前壁に穿通胎盤と明らかに癒着胎盤とわかった症例と、術前の超音波診断で強く癒着胎盤が疑われ、子供さんが二人以上いてこれ以上子供さんを希望していない症例に子宮を摘出したと証言した。
胎盤を剥離後、やむをえず子宮を摘出したのは4例、子宮摘出前に胎盤を剥離するときは、途中で胎盤剥離を中止せず、すべて胎盤剥離を完了してしまうと証言、その方が子宮収縮が起き、出血が少なくなり、また止血操作がやりやすいことを説明した。逆に、もし胎盤の剥離操作を途中で止めて子宮摘出に移ると、出血が非常に多くなり、手術操作もやりにくい、そのために胎盤剥離を完了すると証言した。
術前診断について、超音波診断で、①クリアゾーンの消失、②プラセンターラクネの存在、③ブラッダーラインの途絶の3つの所見について検討すると、これら3つの所見がすべて存在した症例ではすべて癒着胎盤であったが、1又は2つの所見のみの場合はすべて癒着胎盤ではなく、術前の癒着胎盤の診断は困難であることを示した。後壁の癒着胎盤は超音波診断はできないこと、そのためMRIの有用性について検討したが現在の段階では、超音波診断を凌駕するまでの検査法ではないことを証言した。
胎盤剥離には、帝王切開症例はすべて用手剥離を施行しているが、剥離困難の場合に局所的にキュレットを使用していること、証人本人はクーパーを使用したことはないが、大阪の国立循環器病センターの池田先生はクーパーを使用していると聞いているし、また、Operative Obstetricsという教科書にも記載があることも証言した。
前置胎盤では、子宮下部に胎盤が付着しているため、胎盤剥離後、その場所の子宮収縮は体部と比べて悪く、出血がどうしても多くなる。妊娠末期の子宮には、1分間450~600 mlの血液が流れているので、短時間に大量の出血が起こることはしばしばあることも証言した。今回の症例は、出血量が8000 ml以上になった時にDICになった可能性が高いことを強調した。
今回の件で、加藤医師が応援を頼まなかった事について、止血操作のためになしえる処置が全て行われていること、他の産婦人科医師を頼んでも、それ以上できることはなく、一連の加藤医師の医療行為で、間違ったことはなかったと証言した。
午後は、13時15分より、検察側から池ノ上教授に尋問があった。午前中に証言したことを繰り返して尋問した。術中超音波検査の意義、および術前の超音波検査の写真について、キュレットの使用のこと、応援医師を頼まなかったことの是非、剥離を途中で中止して子宮摘出に移るべきであったのではないか、と尋問したが、午前中と同じ答えを、池ノ上教授は検察側に説明した。
とくに、DICについて、DICとはどのような病態なのか、また産科DICスコアについての尋問があったが、池ノ上教授は医学生に講義するように答えた。産科DICを作成したのが池ノ上教授であることを、尋問した検事は知っていたのであろうか。午後の検察側の尋問は迫力なく、午後4時10分頃に終了した。
公判後、期日間整理が行われ、弁護側が申請していた、医師法21条について、東京大学大学院法学政治学研究科の樋口範雄教授の証人喚問は拒否された。従って、今後の予定は以下の如く決まった。
12月21日 被告人尋問
1月25日 書証調べ
3月14日 論告求刑
5月9日 最終弁論 で結審する予定である。
文責 佐藤 章
****** m3.com 医療維新、2007年12月3日
起訴根拠を周産期医療の専門家が否定
第10回公判の証人尋問で加藤医師の妥当性支持
橋本佳子(m3.com編集長)
検察官:「(加藤医師の施術について)他にやるべきことがあったのでしょうか」
証人:「ありません。私も同じことを実施したと思います」
検察官:「業務上過失致死罪で起訴されたことについて、どう思いますか」
証人:「個人的には、産科医療が生物学的に特殊であることを十分に理解されていない状態で、物事が動いていると思います。自分としては心穏やかでありません」
11月30日に開かれた福島県立大野病院事件の第10回公判で、証人尋問に立った医師は検察官の問いにこう答え、本事件の被告である加藤克彦医師の帝王切開手術が妥当であったと証言した(事件の概要は、「公判では検察側に不利な証言続く」参照)。
ここで言う「特殊な医療」とは、分娩は時に予期しない大量出血を来すなど、他科とは異なる危険性を伴うことを指す。そのほか弁護側の主尋問では、術前の検査のあり方や、胎盤剥離を完遂したことなどについて、検察の起訴事実を否定する証言が相次いだ。一方、検察側は、それを覆す反対尋問ができず、苦しい展開となった。
「術前の診断、手術時の対応ともに適切」
弁護側の主尋問は、午前9時30分から午後0時10分まで、検察側の反対尋問は午後1時15分から、途中20分の休憩をはさんで午後4時まで行われた。
この日の弁護側の証人は、国立大学の産婦人科教授で、周産期医療の第一人者。加藤医師の起訴直前の2006年3月9日に意見書、2007年1月4日に鑑定意見書、同10月24日に鑑定意見書追加をまとめている。
大野病院事件の患者は、前置胎盤かつ癒着胎盤で、帝王切開手術後、大量出血を来して死亡した。術前に前置胎盤との診断は付いていたが、癒着胎盤であることは分かっていなかった。癒着胎盤の場合、胎盤剥離が容易ではなく、大量出血を来しやすいとされている。
以下が、公判の主な争点だ。
(1)帝王切開手術前に、超音波検査だけでなく、MRIも実施すれば、癒着胎盤を診断できたのではないか。
(2)胎盤剥離の際、用手剥離に加えて、クーパーを使ったのは問題ではないか。
(3)子宮と胎盤の剥離が困難になった時点で、剥離を中断し、子宮摘出手術に切り替えるべきだったのではないか。
(4)大量出血を来した時点で、他院の産婦人科医に応援を頼むべきだったのではないか(大野病院の産婦人科医は加藤医師1人のみだった)。
(1)について、証人の教授は、まず自らの研究を報告。1993年1月から2006年7月に自らかかわった分娩3757例のうち、前置胎盤は46例。そのうち超音波検査で癒着胎盤が疑われる所見が認められたのは13例だが、術後に病理学的に癒着胎盤が確認されたのは7例だった。この結果を踏まえ、超音波検査は癒着胎盤の診断に有用だが、100%の確率で診断することはできず、「MRI検査を追加しても、超音波検査を凌駕(りょうが)するほどの所見が得られるとは限らない」と教授は述べた。
(2)では、「自院でもキュレット(子宮の内容物を取り出す際などに使う器具)を使うことがある。クーパーを使うことは不適切なことだとは思わない」とした。
(3)については、「現在の所属大学でこれまで経験した約4700例のうち、癒着胎盤は12例。うち胎盤剥離を実施した7例(残る5例は最初から子宮摘出)については、剥離を中断したことはない」と述べた。その上で、「子宮喪失」という患者の心情に配慮したり、娠の可能性を残すためにも、可能な限り子宮を温存するのが重要であること、胎盤剥離の完遂で止血が期待できること、胎盤を剥離しないと次の手術がやりにくいことなどから、「胎盤剥離を完遂するという判断に誤りはない」と断言した。
(4)についても、「加藤医師はスタンダードな対応をしているのであり、特段誤ったことはしていない。他院の産婦人科医に応援を求めても出血のコントロールに差はなかったのではないか」とした。
その上で、患者は単なる大量出血ではなく、産科DIC(播種性血管内凝固症候群)に陥ったのではないかと示唆した。
来年3月に論告求刑、判決は夏ごろか
公判後の記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「本件は、胎盤剥離の続行が違法ということで逮捕・起訴に至っている。それがおかしいということが、これまでの証人尋問で明らかになったのではないか」との見解を述べた。その上で、「そもそも癒着胎盤は非常に稀な病気であるにもかかわらず、これまで検察側は一人も専門家の意見を聞いていない」と問題視した。弁護側は、胎盤病理や周産期医療の日本でもトップレベルの医師に鑑定を依頼したり、証人尋問を行っている。
証拠から言えば、現時点では弁護側の方が有利なのは明らかだ。「胎盤剥離をクーパーで実施した」→「それが大量出血を招いた」→「胎盤剥離を中断して子宮摘出に切り替えるべきだったのに、剥離を完遂した過失がある」という検察の論理は、これまでの大半の証人が問題視している。
次回の公判は12月21日、被告の加藤医師への尋問が予定されている。2008年1月25日に証拠の採否など手続き面での公判が開かれる。3月14日に論告求刑、5月9日に弁護側の最終弁論という予定で、判決は夏ごろになる見込みだ。(関連記事「証人の説得力と検察官の稚拙さ、両者の対比が際立つ―第10回公判傍聴記」)
(m3.com 医療維新、2007年12月3日)
****** m3.com 医療維新、2007年12月3日
証人の説得力と検察官の稚拙さ
両者の対比が際立つ―第10回公判傍聴記
橋本佳子(m3.com編集長)
第10回公判が開かれた11月30日、福島は初冬にしてはやや暖かい日和だった。公判開始は通常より30分早い午前9時30分なので、私は6時台の新幹線に乗って福島に向かった。
27人分の一般傍聴券を求めて並んだのは54人。周産期医療では高名な教授への証人尋問だったにもかかわらず、これまでの公判の中で最も抽選倍率は低かった(「公判では検察側に不利な証言続く」参照)。先月の第9回も周産期医療の専門家への証人尋問が行われ、公判の行方がある程度予想されたためか、それともいつもより早い開始時間で間に合わなかったのか――、定かではない。
じっと発言者を見つめる裁判長
開廷は午前9時30分。5分前に法廷に入ると、既に検察側、弁護側ともに全員が席に着いていた。両者それぞれ8人という体制だ。傍聴席は、一般傍聴席のほか、関係者や報道席も含めて計48席。
9時30分ちょうどに、裁判長をはじめ3人の裁判官が入廷、全員起立して一礼、着席する。報道機関による2分間の撮影後、被告の加藤医師が入廷する。加藤医師はいつもスーツ姿。着席前に、裁判官に一礼、傍聴席に座っている本事件の遺族に一礼する。これまでと同様に、非常に落ち着いた動作、表情だ。
次いで、この日の証人である大学教授が入廷してくる。「虚偽の証言をすると、偽証罪に問われることもある」という説明を裁判長から受け、本人が宣誓する。
その後、午後0時10分まで弁護側の主尋問が行われた。昼食休憩後、午後1時15分に再開、途中20分の休憩をはさんで午後4時まで検察側の反対尋問が行われた。第2回から第4回の公判では、午前と午後に一人ずつ、計2人の証人への尋問が行われていたが、ここ数回は1人の証人に丸1日かけている。
途中、やや退屈なやり取りが何度か続いたため、裁判官たちの様子を観察してみた。裁判長は、発言者の顔を、つまり証人、弁護人、検察官のいずれかの表情をじっと見つめていた。日本の刑事裁判は、「自由心証主義」。カルテなどの客観的資料のほか、証人の意見をどのように証拠としてとらえるかを判断するため、慎重に耳を傾けていたのだろう。他の2人の裁判官は、メモを取りながら、話を聞いていたようだ(傍聴席から、2人の手元は見えない)。
閉廷して傍聴者退席後、期日間整理手続(公判の合間に、裁判官、検察官、弁護人で行われる非公開の手続き)が行われた。1時間以上もかかり、福島県庁で弁護側の記者会見が始まったのは、午後6時少し前のことだ。約50分にわたり、報道各社の記者などとのやり取りが続いた。
証人教授の発言は「大学の講義」のよう
今日の証人の国立大学教授は、意見書や鑑定書を年に1~2件手がけるほか、過去に法廷で証人尋問を受けた経験もある。さらに、最高裁判所の医事関係訴訟委員会は、鑑定人確保が容易になるよう、各学会に鑑定人の推薦を依頼しているが、この鑑定人にも選出されている。
教授は、「起訴根拠を周産期医療の専門家が否定」で紹介したように、検察の起訴根拠を否定し、加藤医師の妥当性を支持した。尋問では、様々な場面で医学的な質問が投げかけられたが、その一つひとつにハキハキと答えた。その様子は、まるで大学で講義を聞いているかのようだった。医学の専門家ではない裁判官、検察官、弁護人に、丁寧かつ自信を持って説明する教授は、圧倒的な存在感を示した。
これとは対照的に、この日の公判で目立ったのが、検察官の反対尋問の稚拙さだ。証人が書いた鑑定書について尋問をしたと思えば、帝王切開手術時の麻酔記録について見解を求めたり、また鑑定書に戻ったりするなど、いったい何を聞きたいのかが分からない尋問が続いた。
今春に裁判長変更、来春にも一人交代か
過去10回の公判を振り返ると、改めて痛感するのは証人の重要さだ。
裁判官を前に、かつ多数の傍聴人がいる中で証言するのは緊張を強いられることだろう。とはいえ、そこは医療のプロ。証人となった医師の大半は、自らの専門分野の尋問については自信を持って的確に答えていた。その一方で、専門外の事項に関しては、「何も分かっていない」(傍聴人席に座る専門家の意見)と受け取られる回答をしている医師も見られた。
話し方や態度も、本来の性格か、あるいは自信の有無の差か、正々堂々としている人から、ややおどおどとしている人まで様々だった。もちろん証言内容そのものが重要だが、それをどう説明するかで裁判官への印象が変わってくるのでは、と裁判の素人目には映る。
なお、証人については、一つだけ疑問が残る。加藤医師は医師法21条違反(異状死の届け出の規定)でも起訴されている。この点については、第4回の公判で大野病院の院長が証人となり、事故当時の様子を語っただけだ。弁護側は、医師法21条に詳しい法学者の証人尋問を求めたが、裁判所は「不必要」として採用を認めていない。
「起訴根拠を周産期医療の専門家が否定」で言及したように、判決は来年の夏ごろになる見込みだ。福島県立大野病院事件の初公判は今年1月で、この春に裁判長が人事異動で変わった。来春も裁判官の一人が代わる可能性があるという。人事異動は致し方ないのだろうが、継続的な視点での判断を望むばかりだ。
(m3.com 医療維新、2007年12月3日)
****** OhmyNews、2007年12月2日
「剥離完遂の判断に誤りはない」検察側証言を完全否定
福島県立大野病院事件第10回公判
OhmyNews編集部
福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した産婦人科の加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条(異状死の届け出)違反に問われている事件の第10回公判が11月30日、福島地裁で開かれた。
弁護側の証人尋問は4回目で、この日は、周産期医学を専門とする宮崎大学医学部産婦人科の池ノ上克教授(同大医学部長)が出廷。ハイリスク分娩を主として扱う同大病院周産母子センターで、現在も年約300件の分娩に直接・間接に関与する臨床医の立場から、
「一般的な産科医療のレベルから見て、(加藤医師がこの件で行った処置に)間違いがあったとはいえない。私も同じような処置をしたと思う」と、加藤医師を全面的に擁護する主張を展開した。
「胎盤剥離を中止することはない」
裁判で検察側は、加藤医師が手術中、癒着胎盤であると判断した時点で胎盤剥離を中止し、ただちに子宮を摘出すべきだったと、加藤医師の判断ミスを指摘している。
これに対し池ノ上教授は、宮崎大学病院産婦人科で91年(当時は宮崎医科大学)から扱った癒着胎盤症例の実績を説明。症例12例のうち、胎盤剥離をせずに子宮を摘出したケースは5例で、残りの7例はいずれも胎盤を剥離したのちに子宮を摘出(4例)あるいは温存(3例)したとして、
「胎盤を除去すれば、子宮筋層が収縮して血管を押しつぶすので血が止まりやすくなるという機序(仕組み)だから、胎盤はく離を優先する」
「子宮を摘出するにしても、大きな胎盤が残ったままだと手術操作がしにくいので、(胎盤剥離を始めたら)中止することはない」
と述べ、検察側の主張を否定した。
また、争点のひとつとなっているクーパー(手術用はさみ)の使用について、池ノ上教授は、
「(遺残した胎盤をかき出すのに)私たちの教室ではキュレットを使っている」
と、器具を用いることに問題はないと証言。キュレットとは、先端部に穴が開いていて、にぶい刃のようなものが付いた長さ30cm程度の細長い器具で、子宮内の組織をかき出すのに使用されるものだ。さらに
「私自身はないが、かつての同僚が(胎盤剥離に)クーパーを使っていると聞いたことがある」
と述べ、クーパーを使用したことには問題がなかったとする弁護側の主張を裏付けた。
また、第6回の公判で、検察側証人に立った新潟大学医学部産婦人科学の田中憲一教授の「胎盤剥離を完了する前に子宮を摘出すべきだった」との証言に対しては、
「後から振り返って見ればそうかもしれないが、その時点に立って考えてみれば(胎盤剥離を完了した直後の2555ccという)出血量は多くないので、私も子宮摘出という判断はしない。加藤医師が胎盤剥離を完了させた判断に誤りはない」
と反論。その後、15分間で5000ccを超える大量出血となったことについても、
「癒着胎盤に続いてDIC(播種性血管内凝固症候群=血液凝固因子が不足して、血が止まらなくなる状態)が起こり始めたのではないか。一般的に産科医が行う止血処置はすべてしている」
と述べ、予測不能な事態が起こったこと、それに対しては最善の処置が行われていると、加藤医師を擁護した。
検察側は反対尋問で、大量出血となったにもかかわらず、加藤医師が他の医師の応援を断ったことについて問いただしたが、池ノ上教授は、
「基本的な処置ができる外科医が助手についていれば応援は必要ない。加藤医師も最終的に子宮摘出できている」
と一蹴。
検察側は、池ノ上教授が供述書や病理記録を吟味せずに、カルテだけを見て意見書や鑑定書を書いた点を突き、証言の信憑性を弱めようと試みる場面も見られたが、全体的に弁護側の主尋問をなぞるような質問に終始し、有効な証言を引き出せないまま、普段より1~2時間早い16時に証人尋問は終了した。
今回の尋問を担当した兼川真紀弁護士は裁判後の記者会見で、
「臨床の現場がどのようなものかを伝えたいという気持ちで質問した。裁判官は実際の医師がどのように手術をしているかを知って判断してほしい」
と話した。
判決は来年夏以降に?
次回は12月21日に加藤医師に対する本人尋問の続きがおこなわれる予定だが、弁護側が医師法21条をめぐり申請していた証人(東京大学法学部・大学院法学政治学研究科・樋口範雄教授)は却下された。医師法21条違反で起訴されているにも関わらず、これについての弁論は行われないことになる。
そのため、弁護側は早い結審を求めたが、「書面のやりとりで反論するのに時間がかかる」とする検察側の要請で、論告求刑が3月14日、弁護側の最終尋問が5月9日と決まった。
来年春ごろと見られていた判決は、夏ごろにずれ込みそうだ。
(OhmyNews、2007年12月2日)