全国的に産婦人科医数が激減し、産科施設が年々減少し続けています。周辺の産科施設が相次いで分娩の取り扱いを中止すれば、必然的に、産科を継続している少数の施設に地域の妊婦さん達が集中してきます。
そのため、もともと過酷だった基幹病院の職場環境がますます過酷となり、多くの疲弊した医師達が耐え切れず現場から立ち去っています。このまま放置して地域から産婦人科医が全員立ち去ってしまえば、その地域の産婦人科医療は完全に絶滅してしまいます。
地域の産婦人科医療が、十年後にもこの世の中で生き残っているために、いま我々が実行しなければならないことは何だろうか? 地域の仲間達とも大いに議論し、また自問自答を繰り返し、これから進むべき道を模索する毎日です。
****** 中日新聞、2008年7月19日
閉鎖する産院 危険負いたくない
「凶悪犯と一緒じゃないか」。岐阜県土岐市の産婦人科医、西尾好司(68)は一昨年2月、テレビのニュースを見ながらつぶやいた。警察に連行される医師の姿が映し出されていた。
全国の産科医に衝撃を与えた「大野病院事件」。福島県立病院の医師が、帝王切開で出産した女性に適切な処置をせずに大量出血で死亡させたとして業務上過失致死容疑で逮捕された。産科婦人科の学会は「診断が難しく、治療の難度も高い」と反発した。
西尾は30年間、1人で診療所を守り、約9000人の新生児を取り上げた。急な出産で深夜に起こされ、寝られないことはしばしば。朝から通常の診察もあり「72時間労働なんてざらだった」。そんな生活も「産科医として当たり前」と思っていた。
70歳が近づき、大学病院で働く産科医の長男に後を継ぐように頼んだが、断られた。「帰ってきたら1人でやることになる。危険を負いたくはない」。長男の言葉が耳から消えない。出産時に万一のことがあれば、巨額な損害賠償を求められ、刑事責任をも問われる時代になっていた。西尾は昨年1月、産科の扱いをやめた。
(中略)
地域の中核を担う県立多治見病院には妊婦が押し寄せる。昨年は、例年より100件ほど多い約500件の出産を手掛けた。医師は定員より1人少ない5人。危険度の高い妊婦の診察や腫瘍手術をしながら、正常分娩も扱う。
院長舟橋啓臣(64)は「身を削ってやっている」と言いつつ「安全なお産を守るためには近くに産む場所を求めるより、医者を集めることが大切だ」と進むべき道を模索する。
(以下略)
(中日新聞、2008年7月19日)