ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

不足診療科のトップ、産科・婦人科 県民意識調査

2007年01月12日 | 飯田下伊那地域の産科問題

長野県で昨年2月に実施された県民意識調査の結果が報道されました。

調査の時期が昨年の2月ということで、ちょうどその頃、飯田下伊那地域では、3施設がほぼ同時に分娩取り扱いを中止することが市民に知れわたって、『今後、この地域の産科は一体どうなってしまうのだろうか?地域内の妊婦さん達の分娩場所はちゃんと確保できるのだろうか?』と、市民の産科医療に対する不安が一気にピークに達した時期と重なっています。また、上田小県地域でも、上田市産院存続問題で市民運動が盛り上がってピークに達していた時期です。特にこの2つの地域で、『産科・産婦人科が不足している』との回答が飛びぬけて多かったというのは十分に納得できます。

しかし、その後、産科医不足の問題は、その2地域だけにとどまらず、県内の他の地域にも急速に波及しつつあり、全県的な問題となってきています。

もしも現時点で同じ調査を行えば、おそらく、県内の他の地域でも『産科・産婦人科が不足している』との回答がもっと増えると予想されます。

****** 信濃毎日新聞、2007年1月12日

不足診療科のトップ、産科・婦人科 県民意識調査

 県は11日までに、保健や医療の現状に関する意識や今後の要望を尋ねた県民意識調査の結果をまとめた。住んでいる地域に不足していると感じる診療科(3つ以内)は産科・産婦人科が22・8%と最多で、特に飯田下伊那地域では50・0%、上田小県でも41・0%が「不足」と回答。地域によって充足感に大きな差が生じている。

 不足を感じる診療科は、産科・産婦人科に次いで耳鼻咽喉(いんこう)科22・3%、眼科20・8%。産科・産婦人科は上伊那でも31・3%が不足と答えた一方、諏訪(8・5%)、北信(15・5%)、松本(16・0%)などは平均を下回った。

 行政として対策に力を入れてほしい分野(3つ以内)は、がん対策が最も多く51・2%。次いで救急医療43・7%、脳卒中30・8%の順。年代別では、20代は救急医療、30代で小児医療、40代は救急医療とがん対策、50代以上はがん対策がそれぞれトップを占めた。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年1月12日)


『産婦人科研修の必修知識2007』、日本産科婦人科学会

2007年01月11日 | 本と雑誌

産婦人科研修のための必修知識2007
2007年1月5日発行、定価10,000円(税込み)

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『産婦人科研修の必修知識2004』が3年ぶりにリニューアルされ、内容もさらに充実しました。A4版、700頁。

現時点において我が国でコンセンサスの得られたものとして、日本産科婦人科学会から公式に出版された産婦人科の教科書です。

これから専門医試験を受ける産婦人科研修医にとっての必須アイテムであることは勿論ですが、日本国内で産婦人科診療に従事する者すべてにとって、診療の際には常に準拠すべき必読書だと思います。

ウイリアムス産科学、ノヴァック婦人科学などの最新版を読んで、世界標準の最新知識・技術を身につける必要もありますが、日本国内で診療する場合には、まず、我が国におけるコンセンサス事項には最低限従う必要があります。

当科でも、昨年暮れに5冊分の代金を振り込んで、本が郵送されてくるのを楽しみにしていましたが、年が明けて新しい本が送られてきました。さっそく読み始めていますが、ほとんど全項目の内容がちゃんとバージョンアップされて、現時点における産婦人科医療のコンセンサス事項のほとんどすべてが示されていると考えられます。日常診療の際には、この本を常に参照する必要があると考えられ、この本を、外来、病棟、図書室などの病院内の関係する部署に置いておいて、スタッフ全員がいつでも閲覧できるようにしておく必要があると考えています。これから、毎週のスタッフミーティングでも、この本の読み合わせをやっていこうと考えています。


当医療圏における産科地域協力システムの運用状況

2007年01月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

当医療圏(飯田下伊那地域)では、帰省分娩を含めて年間1800~2000件程度の分娩があり、最近は計6施設で地域の分娩を担ってきましたが、2005年8月に、そのうちの3施設がほぼ同時に分娩の取り扱いを中止することを表明しました。その3施設の合計年間分娩受け入れ件数は800~900件程度でした。

このまま放置すれば、当医療圏の産科医療が崩壊することは明らかでしたので、何らかの対策が必要でした。そこで、地域内で協議を重ね、2006年1月より、産科地域協力システムを導入しました。

すなわち、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦の検診の一部を地域の他の医療施設で分担すること、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者のみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。

今回、本システムを地域に導入する前後の産科の診療状況の変化を調査しましたので、本システムの運用状況を報告します。調査方法は、当医療圏の産科6施設における経腟分娩件数、帝王切開件数、入院延べ患者数、外来延べ患者数などを、2005年3月~8月と2006年3月~8月とで比較し、本システム導入前後における当医療圏の産科の診療状況の変化を検討しました。

飯田市立病院の2006年3月~8月の総分娩件数は513件で、2005年同時期の総分娩件数239件の2.15倍でした。飯田市立病院の分娩件数が地域の総分娩件数に占める割合は、2006年3月~8月では61.5%(2005年同時期:25.8%)でした。飯田市立病院の2006年3月~8月の帝王切開率は22.0%(2005年同時期:36.0%)でした。当科の2006年3月~8月の入院延べ患者数は6585人で前年同時期と比べて40.9%増え、外来延べ患者数は7665人で前年同時期と比べて16.9%減りました。

当医療圏で分娩取り扱い施設が6施設から3施設に半減しましたが、産科地域協力システムを導入して地域内で連携することによって、当医療圏内のすべての分娩に特に支障なく対応することができ、当地域の産科医療の崩壊を阻止することができました。

この問題は、一つの医療機関、一つの自治体だけの努力では決して解決できません。それぞれの立場の違いを乗り越えて、地域で一丸となって、将来にわたって持続可能な地域周産期医療システムをつくり上げてゆく必要があります。


公判概略について(06/12/19)

2007年01月08日 | 大野病院事件

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページより

公判概略について(06/12/19)

12月14日(金)に開催されました、公判前整理(6回目)の報告

 公判前整理は今回で終了する予定でしたが、決着はつかず、公判が始まってからも継続することとなりました。

第6回 公判前整理のご報告

 平成18年12月14日(金)、午後1時から午後4時半頃まで、第6回公判前整理が福島地方裁判所で開催されました。弁護団は平岩敬一弁護団長をはじめ7名で話し合いにのぞみました。今回で公判前整理は終了し、1月26日より公判が行われる予定でしたが、弁護団側から提出した証拠134点の殆どに対し検察側が不同意を示したため、裁判所の方から検察側に再考するようにとの指示があり、公判が始まった後でも、裁判官、検察官、弁護団との話し合いを継続することとなりました。しかし、1月26日(金)に第1回目の公判が予定通り開催されることとなり、今回の話し合いで2月以降毎月1回公判が開催されることとなりました。

 公判開催日は以下の如く決定いたしました。

第1回 1月26日(金)

第2回 2月23日(金)

第3回 3月16日(金)

第4回 4月27日(金)

第5回 5月25日(金)

(毎回 午前10時から午後5時までの予定、場所は福島地方裁判所)

また、今回、公判の争点として以下の如き点が挙がりました。

1.癒着胎盤の部位と程度

2.出血の部位・程度とその予見性

3.死亡したこととの因果関係

4.胎盤を剥離したことの妥当性、つまり、クーパー使用の妥当性

5.医師法21条違反の正否

などと決定しました。

 1月26日(金)の第1回目の公判は冒頭陳述、2回目以降から検察が申請した証人8名の尋問が行われることになりました。8名の証人とは、県立大野病院のすぐ近くの双葉厚生病院の産婦人科医、手術に一緒に参加した外科医、病院長、手術室にいた看護師、助産師、摘出した子宮の病理を担当した病理の医師、今回の事件について鑑定した医師の8名で、1回の公判で2名ずつ、証人尋問に立つ予定と決定いたしました。しかし、これで裁判は終了することはなく、その後、弁護団からの証人尋問もあり、裁判は当初、考えていた期間より長くなる見込みとなりました(一年位はかかると思われます)。

 次回は、第1回公判の結果についてご報告する予定です。  以上

平成18年12月19日

(文責 佐藤 章)

****** 参考:

県立大野病院事件 公判前整理手続き終了

日本医学会、声明文

公判概略について(06/7/28)

公判概略について(06/9/23)

公判概略について(06/10/19)

県立大野病院事件についての自ブログ内リンク集


産科施設の減少に関する最近の報道

2007年01月08日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

全国的に産科施設が減少し続けていて、最近では、ついに東京都心の中核病院でも、分娩取り扱いの中止ないし縮小が相次いでいると報道されています。

東京には非常に多くの大学病院があって、医局人事で地方の病院に多くの医師が派遣されています。大学の近隣に位置する重要な関連病院の産科が閉鎖の危機に陥っていれば、地方の病院からは医師を引き揚げざるを得ないと思われます。

従って、今後、地方の病院では、他県の大学からの医師派遣はほとんど期待できず、産科医不足にますます拍車がかかってゆくことが予想されます。

現状のまま放置すれば、数年以内に県内の産科2次医療が全滅してしまうことも危惧されています。ただちに有効な緊急避難策を実行に移す必要に迫られている非常に切迫した状況と考えます。

参考:

「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ (朝日新聞)

産科医不足、大阪の都市部でも深刻 分娩制限相次ぐ

奈良南部の病院、産科ゼロ 妊婦死亡、町立大淀も休診へ

“お産難民” 回顧2006 (東京新聞)

「このままでは産科2次医療は崩壊する」(医療タイムス社、長野)

****** 中国新聞、2007年1月3日

63市町村で分娩不能

 離島や中山間地域で産科医師の不足が深刻さを増す中、分娩(ぶんべん)できる医療機関のない自治体が中国地方では63市町村に上ることが、中国新聞の調べで分かった。2006年に井原市や山口県周防大島町でも、お産ができなくなるなど、5県の全114市町村の55.3%にも達している。過酷な勤務実態に加え、訴訟が多いなど高いリスクが医師不足に拍車を掛けている。広島県では3市6町で病院や診療所がない。

(中国新聞、2007年1月3日)

****** 西日本新聞、2007年1月1日

妊婦緊急搬入4割拒否 昨年 福岡市のNICU備えた3施設 満床、人手不足理由に

 切迫早産などで生命の危険が迫った妊婦を、一般の産婦人科病院・医院から受け入れる役割を担う福岡市内の大学病院など主要3施設が昨年1-11月、新生児集中治療室(NICU)の満床などを理由に、要請のあった約4割の受け入れを断っていたことが31日、分かった。昨年8月には奈良県で妊婦が分娩(ぶんべん)中に意識不明に陥り、県境を越えた計19病院に搬入を断られた末に死亡する悲劇が起きたが、九州で最も産婦人科施設が充実している福岡市でも安心できない実態が浮き彫りになった。

■他県からの要請も増加

 福岡市内の産婦人科で、母体の救急措置と併せて、低体重や重い病気の赤ちゃんを24時間態勢で診ることのできるNICUを備えた病院は九州大、福岡大、九州医療センターの3カ所(計24床)しかない。

 ところが、3病院は昨年1-11月、地域の産婦人科医院などから計423件の搬入要請を受けながら4割にあたる160件を断っていた。

 拒否した内訳は、九大145件中41件▽福大189件中76件▽九州医療センター89件中43件。

 3病院は、拒否した理由として(1)NICUの満床(2)産科病棟の満床(3)スタッフの不足-などを挙げている。

 断られた患者は3病院の別の病院や、隣接した春日市にある福岡徳洲会病院などに搬送されたとみられる。遠く北九州市の病院に送られる例もあったが、患者が死亡に至るケースはなかったという。

 産科救急搬送の中心的な役割を担う総合周産期母子医療センターに福岡県から指定されている福大病院によると、福岡都市圏では、NICUの病床数は過去10年でほぼ倍増した。しかし(1)不妊治療の普及などで2500グラム未満の低出生体重児が増えた(2)比較的軽症の新生児を受け入れることのできる産婦人科病院が減った-ことに加え、慢性的に病床が不足している熊本、佐賀などの隣接県や、福岡県内の他地区からの搬送が目立つようになり、NICUが慢性的に足りない状態になっているという。

 福大病院の小濱大嗣・産科病棟医長は「九州で最も恵まれているはずの福岡ですら母体搬送システムが崩壊しつつある。早急に対策をとらないと奈良のような悲劇がいつ起きてもおかしくない」と指摘している。

■母子、3施設分散入院も

 九州の中では医療施設が整った福岡市でも緊急時の産婦人科病院の受け入れ態勢が心もとない現状に、患者や医師は危機感を募らせている。

 20代の女性は2006年11月、入院前に突然破水し双子を出産した。救急隊員は、福岡市内の3病院に受け入れを要請したが断られ、女性は分娩(ぶんべん)から約1時間後、ようやく九大病院にたどり着いた。

 しかし、九大の新生児集中治療室(NICU)が満床だったため、2人の赤ちゃんは別々の病院に運ばれ、母子3人が3病院に分かれて入院する異例の事態になった。

 30代の女性も11月、妊娠7カ月で破水し、かかりつけの産婦人科医院に駆け込んだ。NICUを備えた福岡市内の複数の病院に連絡したが、次々と断られ、福大病院に入院するまで1時間かかった。

 九州各地の産科救急患者が医療態勢が充実した福岡市を目指し、NICUなどが満床になり、福岡市の患者は北九州市など遠くの医療圏に行かざるを得ない-。医療資源が充実した大都市ゆえの皮肉な事態を関係者は「病院間だけでなく、医療圏を越えたドミノ現象が起きている」と危ぶむ。

 主要施設側からは「リスクの高い患者を避けたいとの意向が開業医に強まり、少しでも危険のある妊婦は大病院に送る例が散見される」との指摘も。「母体と赤ちゃんにとって望ましいことだろうが、受け入れ側はパンクする」と、福大病院総合周産期母子医療センターの雪竹浩病棟医長は言う。

 福岡県医師会の横倉義武会長は「お産に携わる医師を増やさなければ抜本解決にはつながらない」と話している。

(西日本新聞、2007年1月1日)

****** 朝日新聞、三重、2006年12月25日

産婦人科医不足問題

◇◆確保綱渡り 研修見直しを◆◇

 全国的に産婦人科医師が不足するなか、人口2万2千人足らずの尾鷲市が、この問題に直面した。三重大からの派遣医師が市立尾鷲総合病院から引き上げた後、市が昨年9月に採用した男性開業医(55)の年間報酬が5520万円と高額だったことが話題になった。

 男性医師は24時間院内で寝泊まりし、新生児を150人以上とり上げた。その後、今年9月に伊藤允久(まさひさ)市長との交渉で、男性医師は「精神的に疲れ、これ以上できない」と契約解除を告げた。

 勤務した1年間の思いや報酬、産婦人科医不足の問題について、私は直接、本人から聞きたかった。しかし、病院事務局を通じて何度も申し込んだ取材は、拒否された。

 結局、医師が辞める理由は、市長の言葉から間接的にしか知り得なかった。理由は、昼夜を問わない勤務から年2日間しか休みが取れなかったにもかかわらず、減額の報酬が示されたことや、高額報酬を問題視した議会でのやりとりに不信を持ったことだった。

 市民の声を聞くと、妊婦や子どもがいる主婦から、この医師にいてほしいと願う声が多かった。3人の子を持つ妊婦からは「これまでの派遣されてきた先生と比べ、経験が豊富で安心できる」という声も聞いた。

 一度も医師に会えないまま迎えた退職日。病院事務局に聞くと、「退職の儀式はなく、本人からもあいさつもなく、病院を後にした」と答えた。地域から熱望されて来た医師の去り際としては寂し過ぎる。

 今、後任の野村浩史医師(50)がほかの医師らと同じ待遇で勤務している。来年4月には1人増え、医師2人体制になる。伊藤市長は「後任が見つかったのは奇跡。運がよかった」と喜ぶ。

 しかし、喜んでばかりもいられない。地域での医師不足を引き起こした要因に、04年度に導入された新卒医師が2年間経験を積むため自由に研修先を選べるようになった「新たな臨床研修制度」があげられる。

 多くが出身の大学病院ではなく、設備などがいい一般病院に流れたため、大学病院が人手不足に陥り、研修後も新卒医師は戻らなくなった。この制度が続く限り、再び医師がいなくなる可能性は常にある。

 地域での対応には限界がある。国には、この制度の抜本的な見直しが早急に求められている。(百合草健二)

◇◆「産声を再び」地元の願い◆◇
 使われなくなった分娩(ぶんべん)室。扉には鍵がかけられていた。暗い室内に入ると、分娩台と新生児を置く台が隅に片づけられ、部屋全体ががらんとしていた。新しい命が芽生え、喜びがあふれるはずの場所がこんな空虚な空間になるなんて……。せつなさが募り、いたたまれなくなった。

 志摩市の県立志摩病院で11月から、常勤の産婦人科医がいなくなった。週2回の婦人科外来だけは残ったが、出産はできなくなった。志摩市や南伊勢町に住む妊婦が出産するなら、前もって入院をしない場合は車で30分以上かけて山道を抜け、伊勢市内の病院に向かうしかない状態だ。

 病院に助産師は6人いるが、経験者は少ない。器具を消毒したり、お湯を沸かしたり、常に準備を整えておかないと対応できない。「急に産気づいた妊婦が駆け込んできても、今は断るしかない」と、田川新生(しんせい)院長はあきらめ顔だ。他の病院への転院を希望する助産師もいるという。

 同病院の産婦人科をめぐり、派遣元の三重大が今年、医師の引き上げ計画を具体化させた。病院側は抵抗して何度も話し合ったが、結局産科はなくなった。

 リスクが高く難しい出産でトラブルが起きた際の訴訟に備えて、最終的に医師の負担をなくすという意味では三重大の論理も確かによくわかる。全国的に産婦人科の勤務医が不足している状況からすると、やむを得ないと思う。

 だが、地域を取材すると、住民の志摩病院への期待感が痛いほど伝わってきた。里帰り出産を希望する人が病院に直接不安を訴えることもあったという。「地元住民の多くは、産科がなくなって初めて、ことの重大さに気付いたのでは」と田川院長。

 現時点では、県も志摩市も改善策を打ち出せないのが実情だ。だが、病院は独自の産婦人科医探しを続けるという。病院には来年8月、新しい外来棟ができあがる。そこには産婦人科の部屋も機材も設置される予定だ。

 田川院長はこうも話した。「いつかはこの地域でお産を再開させたい。とかく暗くなりがちな病院を明るくしてくれる産声が聞こえなくなることが、こんなにさびしいものだとは」。私には1歳11カ月の娘がいる。ひとごととは思えない取材だった。(岩堀滋)

◎産婦人科医の現状 厚生労働省の04年の調査では、全国の医師総数27万人に対して産婦人科医は1万100人。10年間で医師全体が約5万人増えた中、産婦人科医は約千人減少。一方、一人当たりに対する医療ミスによる訴訟の確率は産婦人科が最も高い(04年司法統計)。県内に産婦人科医は144人おり、うち三重大関連は55人(06年9月現在)。6年前に比べ20人減った。志摩病院を含む県内4病院が、同大の医師引き上げで産科休診中。

(朝日新聞、三重、2006年12月25日)

****** 岩手日報、2006年12月20日

産婦人科など休診へ 盛岡市立病院

 盛岡市は19日、市議会市立病院対策特別委員会で盛岡市立病院(本田恵院長、266床)の産婦人科と小児科を来年4月から休診する方針を明らかにした。本年度で退職する両科の医師の補充が見込めないのが理由。休診を惜しむ市民がいる一方で医療の重点、集約化を迫る国の方針や、県内では同市が比較的、開業医の数に恵まれていることが医師補充を難しくしている。

 休診について本田院長は「両診療科の常勤医師が2人とも一身上の都合で辞職する」と説明。代わりの医師を岩手医大に要請したが協力を得られる見通しがないという。「長い間利用していただいた患者さんには申し訳ないが、きちんと広報し迷惑が掛からないようにしたい」と話した。

 同病院は現在、常勤医師21人、臨時18人で18の診療科を開設。産婦人科と小児科の常勤医は各1人ずつで、産婦人科には助産師の資格を持つ看護師10人が勤務している。

 両科の昨年度の利用状況は、小児科の外来が延べ8864人、入院は同1922人。産婦人科の外来は4252人、入院は同2325人、お産数は約120件だった。

 同産婦人科の母乳相談を利用する同市向中野のフリーライター今野和美さん(37)は「娘が母乳を卒業するまでお世話になろうと思っていたのでショックだ。どの病院で出産した人も利用でき、励まされる人は多い。今後、どんな形で引き継がれるのか」と不安げな表情を見せる。

 同病院は来年度、病院事業を一般行政から独立させる「地方公営企業法の全部適用」に移行する。病院長を兼ねた新しい管理者の下で新たな経営改善計画をスタートする。

 安田雄次郎事務局長は「医師補充のめどが立たず、改善計画をまとめる時期も近づき、休診を決断した。重点化を担う中核病院となる見通しもない。助産師には引き続き看護師として勤務するよう願っている」と話す。

 盛岡市内には産婦人科、産科が計16施設、小児科の診療が可能な施設は42施設、うち専門は25施設となっている。

(岩手日報、2006年12月20日)


がん疼痛治療のレシピ(2007年版)、春秋社

2007年01月06日 | 婦人科腫瘍

コメント(私見):

がん末期の患者さんの緩和医療では、疼痛をうまくコントロールすることが非常に重要です。鎮痛薬、オピオイドには多種類あって、一般臨床医にとってそれらをどう使い分けていくのかの判断は非常に難しいです。緩和医療に非常に熱心に取り組んでいる当院の麻酔科の先生から本書(2004年版)を勧められて、わかりやすく実用的で非常にいい本だと感心しました。今回、2007年版が出版されたのでさっそく購入しました。白衣のポケットに入るサイズで非常にコンパクトな本ですが、がん疼痛治療の基本的考え方から最新の薬剤の使い方まで、必要なことはすべて書いてあると思われます。

Gantotsu

書名がん疼痛治療のレシピ(2007年版)
著者的場元弘[執筆・監修]
著者略歴国立がんセンター がん対策情報センター
がん医療情報サービス室長。
発行元春秋社
体裁手帳判
頁数176
発行日2006-11-30
税込価格1000 円(本体952円+税)

●2007年がんの痛み治療の最前線

●最新の薬剤の使い方をわかりやすく解説

がん疼痛治療の決定版として好評を博した2004年版を改訂増補。がん疼痛治療の原則から考え方、痛みの評価法、治療の実際、各オピオイドの使い分けからオピオイドローテーションまでをわかりやすく解説。この1冊でがん疼痛治療の重要なポイントすべてを網羅している。

副作用対策、鎮痛補助薬の適応と投与法、投与経路変更時の換算表もついて今日からすぐに役立つ。医師、看護師、薬剤師必携のがんの痛み緩和マニュアル

全頁カラー
明解図表、最新薬価表付き

*** 以下、本書2007年版の『序』より引用

緩和医療の領域ではこの2年間に色々なことがあった。最近では「がん対策基本法」が成立し、がん医療の後始末くらいにしか思われてなかった緩和医療が、がん医療の中で重要な位置を占めるようになった。

高度先進医療が中心、大学病院では緩和医療は馴染まないと豪語していた面々の先見性の乏しさはともかくとして、その後の豹変ぶりは滑稽でさえある。

緩和医療が政策として動き出した時、そこには心からその実現を待ち望む患者さんやご家族がいて、またそのための教育や人材確保、環境の整備に心を砕く医療者や行政、立法の関係者がいる。法律は成立したが、仏像に眼が入ったわけではない。”緩和医療とは何か”がん医療に関わる医療者がこの問いに向き合い、その大切さを認識して欲しい。補助金や加算のための緩和医療の導入では患者さん達やご家族の本当の満足は得られない。病院の陳腐なスローガンとしてではなく、個々の医療者が心を添えて緩和ケアを提供してもらいたい。

人は、自分にいつかは死が訪れることを理屈ではわかっている。しかし、普段私たちは自分が死ぬことを想定していない。死なないと思っている。

何千年にもわたって人が亡くなる悲しさを繰り返してきたにもかかわらず、人の命に限りがあることを自覚するのは、子を授かる時、そして大切な人の死に臨んだ時、そして自分の死を予感した時である。その場になって何とか無事を願う。逃れる術を考え、心から祈ることを覚える。自分を振り返れば取り繕いようがない、まさに身をもって学ばされたことである。

一方、現実はどうか。人が平穏な死を迎えるためにほんの少し心を砕き、そのための医療を提供することには、未だに多くのがん医療者や医療機関の管理者が抵抗する。制度や施設の問題ではない。自分は死なないと思っているからだろう。本当に愚かなことだと思う。

生命を扱うことに携わる人たちがこのことに気つき、緩和医療が本当の意味で患者さんやご家族に提供できるように、緩和医療が”眼に入る”ことを願う。

          2007年版によせて  的場元弘

(以上、2007年版の『序』より引用)

****** 用語解説

緩和医療(かんわいりょう)とは?

主に末期がん患者などに対して行われる、主に治癒や延命ではなく、痛みをはじめとした身体的、精神的な苦痛の除去を目的とした医療である。緩和ケアとも言われる。 オピオイドをはじめとした鎮痛剤や神経ブロックなどの処置を用いて、終末期に臨む時期のQOL(生活の質)を最大限高めることを目標としている。終末期医療のなかでも最も重要な位置づけを持つ。

緩和医療についてWHO(世界保健機関)は、以下のように定義しています。「緩和医療とは、治癒を目的とした治療に反応しなくなった疾患をもつ患者に対して行われる積極的で全体的な医療であり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面での問題、spiritualな問題の解決が重要な課題となる。緩和医療の最終目標は、患者とその家族にとって出来る限り良好なQOLを実現させることである。このような目的を持つので、緩和医療は末期だけではなく、もっと早い病期の患者に対しても、がん病変の治療と同時に適用すべき多くの利点を持っている。」

****** 追記(1月7日)

婦人科領域では、最近は卵巣癌が非常に増えてきています。

卵巣癌は、治療方法が進歩し、手術と最新の化学療法でほとんどの患者さんを一時的には病気のない状態にまでもっていけるようになってきましたが、長い目で見ればかなり多くの患者さんが再発していて、長期生存率は依然として不良であり、5年生存率が約30%、10年生存率が約10%であり、治療成績は現在でも決して良好とは言えません。

再発した時には最初に使った抗癌剤は無効の場合が多く、抗癌剤を変更すると一時的には効果がありますが、それもいずれは無効となります。

がんの治療では、最初は治癒や延命を目的とした治療が100%で緩和医療が0%ですが、次第に、治癒や延命を目的とした治療の比率が低くなっていき、緩和医療の比率が高くなっていきます。ある時期からは治癒や延命を目的とした治療が0%で緩和医療が100%となっていきます。ですから、がんの治療では緩和医療は非常に重要です。

しかし、現状では、がんの治癒や延命を目的とした治療の専門家は大勢いますが、緩和医療の専門家は非常に少ないです。地方の一般病院では、緩和医療の専門家はほとんど勤務していません。

我々、一般の臨床医や看護師は、今まで緩和医療の教育はほとんど受けてこなかったし、緩和医療の知識や技術は圧倒的に不足しています。また、治癒や延命を目的とした治療だけで忙殺されていますから、緩和医療が非常に大切であることは頭で理解していても、緩和医療にじっくりと取り組んでゆくだけの余裕が全くありません。

いくら医学が進歩しようとも、人間誰でも最後は必ず死にます。これからは、医療従事者だけでなく、行政や宗教家なども含めて、社会全体で広い意味での”緩和医療”に真剣に取り組んでゆく必要があると思います。


医者がいない!?~“医療難民”を防げ~ (ガイアの夜明け、番組紹介)

2007年01月02日 | 飯田下伊那地域の産科問題

長野県では、このガイアの夜明けという番組は真夜中にしか放映されてませんので、私は一度も見たことはありませんでした。担当ディレクターが病院にいらっしゃってお話した時に初めてその番組名を知りました。

開業医と勤務医とが連携して地域医療を守っている姿をドラマチックに撮りたいというようなお話でした。

一体全体どんな番組なんだろうか?とさっそく真夜中(11月13日24時45分)に番組を見てみましたところ、その時はマンション問題(「100年マンションを目指せ~永住時代の開発戦争~」)を取り扱っていました。医療問題に限らず、幅広くいろいろなテーマを取り扱っている番組のようです。そんなに変な番組ではなくて、むしろ非常に格調の高い番組だということがわかったので、取材には全面的に協力することにしました。

番組担当のディレクターとカメラマンは、最近2ヶ月間に何度も当地を訪れ、当地域の産婦人科事情を取材して行きました。開業の先生のクリニックでの妊婦検診の様子、開業の先生が当科での外来や手術を担当する様子、開業の先生達と当科スタッフのミーティングの様子などなど、地域の医師達が連携して診療している様子をいろいろ撮影して行きました。また、当科の助産師外来の様子なども撮影して行きました。

****** ガイアの夜明け(テレビ東京)

日経スペシャル「ガイアの夜明け」 第245回

医者がいない!? ~“医療難民”を防げ~

“医者不足”が各地で問題となりつつある。特に産婦人科やへき地の診療所など、医師の勤務実態の厳しい診療科や地域では深刻な状況となっている。その結果として、満足な診療が受けられない“医療難民”が出てしまう危険性が高まっている。なぜそうした事態が進行しているのか? 医者不足の現場を取材し、問題解決のために奮闘する人々の取り組みを追う。

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【連携プレーで切り抜けろ】

各地で産科医療が崩壊の危機に瀕している。長野県飯田下伊那地域では2005年、この地域の2軒の産科開業医が相次いで出産の取り扱いを止めてしまった。

2軒の産科開業医がこれまで1年間に扱ってきた出産の数は、合計でおよそ570件。一方、地域の中核病院としての役割を担ってきた飯田市立病院が年間に扱ってきた出産の数はおよそ540件。2軒の開業医が取り扱いを止めた分、飯田市立病院が2倍の件数を抱え込むことになりパンクする恐れが出てきたのだ。

出産の取り扱いをやめた2人の開業医は「マンパワー」と「医療設備」の2つが不足しているという理由を挙げるが、実はそこには共通の問題が潜んでいる。訴訟問題だ。福島県のある病院で唯1人の産科医として勤務していた医師が、帝王切開手術で妊婦を失血死させたとして逮捕、起訴された。この事件は、この病院と同じように「医師1名体制」で同じレベルの「医療設備」で出産を扱っている全国の産科医だれもが起訴される可能性が示された事件として、飯田下伊那地域にも衝撃を与えたのだ。

産科医療体制の危機に直面した飯田下伊那地域では、出産の取り扱いを止めた2人の医師をはじめ、飯田下伊那の産婦人科医、医師会、行政が集まって「飯田下伊那産科問題懇談会」が組織された。そして、飯田市立病院を中核病院として開業医との「連携プレー」を行う体制を発足させた。この取り組みは、産科の医師不足の解決策となるのか?

(以下略)


「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ (朝日新聞)

2007年01月01日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

産科医療崩壊の問題は地方で非常に深刻化していますが、ついに、この問題が東京都心にまで及んできつつあるようです。しかも、周産期母子医療センターに指定されているような中核病院での分娩取り扱いの休止・縮小が目立ってきているとのことです。

東京には大学病院や有名巨大病院が多く存在し、産婦人科専門医を志望する研修医達も大半が東京に集まっているとも聞いています。

また、東京周辺の神奈川県、埼玉県などでお産難民が急増していて、東京の病院がその受け皿になっているとも聞いています。

今後、東京でも分娩場所の確保が非常に困難な状況になってしまうようだと、大量にあぶれた妊婦さん達(お産難民)の受け入れ先が、日本中どこを探してもみつからなくなってしまいます。

その影響は非常に大きいと思います。

****** 朝日新聞、2006年12月30日

「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ

 東京都心の都立病院などが、お産を扱うのを休止したり、縮小したりしている。それも、生命が危険な出産前の母と胎児の治療から、出生直後の新生児の治療までを一貫して担う「周産期母子医療センター」で目立つ。大学病院の医師引きあげなど地方で深刻化していた問題が、ついに都心にまで波及してきた形だ。病院も医師も多く、埼玉や千葉などからも患者が集まる東京。中核病院のお産縮小の影響は、首都圏に及びそうだ。

 都立豊島病院(板橋区)は9月から、お産を全面休止している。

 同病院は、新生児集中治療室(NICU)6床を備えた地域の周産期センターで、年約900件のお産を扱ってきた。しかし現在は、他の病院から搬送されてくる低出生体重児などをNICUで受け入れているだけだ。

 定員6人の常勤医師が今夏、2人に減少。「非常勤を含めても当直などが満足にできない状態になった」(都病院経営本部)という。

 都立墨東病院(墨田区)の産科は11月から、新たな患者や、予約がない外来診療を受けず、年間1000件以上あったお産を縮小している。

 12床のNICUがある同病院の総合周産期センターは、いわばお産の救命救急センター。だが、常勤医は定員9人に対して5人。「周産期センターとしての役割にマンパワーをあてた」(同本部)結果、外来を縮小せざるをえなくなった。

 大田区の荏原病院(都から東京都保健医療公社に移管)も、1月から産婦人科の常勤医を減らし、お産を縮小するという。東京逓信病院(千代田区)も28日、産科の診療とお産を休止した。

 影響は周辺の病院に及んでいる。豊島病院から約1キロの距離にある日大板橋病院。豊島病院がお産を休止した翌10月には、それまで月70件ほどだったお産が100件近くに急増した。

 日大病院も総合周産期センターに認定され、ハイリスク出産も多い。救急搬送されてくる妊婦を年に80~100人受け入れているが、その倍以上を断っているという。

 「このまま出産数が増えるとハイリスク出産は受けられなくなり、周産期センターとしての責任が果たせない。通常のお産は、受け入れを制限する必要が出てくるかもしれない」という。

 東京は、埼玉や千葉、神奈川の妊婦の「受け皿」でもある。特に出産費用が約30万円と安い都立病院は人気で、埼玉と都心を結ぶ東武東上線沿線の豊島病院には、埼玉から来る人も多かった。

 埼玉県の医師1人あたりの「出産扱い件数」(出生届数を産婦人科医数で割った数)は昨年、全国最多。総合周産期センターは県内に1カ所だ。そのセンターを運営する埼玉医大総合医療センターの関博之教授によると、救急患者の受け入れは、依頼の4~5割ほどという。

 「東京の病院で引き受けてくれる数が減ってきて、限界のところでやっている」と話す。

(朝日新聞、2006年12月30日)