コメント(私見):
全国的に産科施設が減少し続けていて、最近では、ついに東京都心の中核病院でも、分娩取り扱いの中止ないし縮小が相次いでいると報道されています。
東京には非常に多くの大学病院があって、医局人事で地方の病院に多くの医師が派遣されています。大学の近隣に位置する重要な関連病院の産科が閉鎖の危機に陥っていれば、地方の病院からは医師を引き揚げざるを得ないと思われます。
従って、今後、地方の病院では、他県の大学からの医師派遣はほとんど期待できず、産科医不足にますます拍車がかかってゆくことが予想されます。
現状のまま放置すれば、数年以内に県内の産科2次医療が全滅してしまうことも危惧されています。ただちに有効な緊急避難策を実行に移す必要に迫られている非常に切迫した状況と考えます。
参考:
「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ (朝日新聞)
産科医不足、大阪の都市部でも深刻 分娩制限相次ぐ
奈良南部の病院、産科ゼロ 妊婦死亡、町立大淀も休診へ
“お産難民” 回顧2006 (東京新聞)
「このままでは産科2次医療は崩壊する」(医療タイムス社、長野)
****** 中国新聞、2007年1月3日
63市町村で分娩不能
離島や中山間地域で産科医師の不足が深刻さを増す中、分娩(ぶんべん)できる医療機関のない自治体が中国地方では63市町村に上ることが、中国新聞の調べで分かった。2006年に井原市や山口県周防大島町でも、お産ができなくなるなど、5県の全114市町村の55.3%にも達している。過酷な勤務実態に加え、訴訟が多いなど高いリスクが医師不足に拍車を掛けている。広島県では3市6町で病院や診療所がない。
(中国新聞、2007年1月3日)
****** 西日本新聞、2007年1月1日
妊婦緊急搬入4割拒否 昨年 福岡市のNICU備えた3施設 満床、人手不足理由に
切迫早産などで生命の危険が迫った妊婦を、一般の産婦人科病院・医院から受け入れる役割を担う福岡市内の大学病院など主要3施設が昨年1-11月、新生児集中治療室(NICU)の満床などを理由に、要請のあった約4割の受け入れを断っていたことが31日、分かった。昨年8月には奈良県で妊婦が分娩(ぶんべん)中に意識不明に陥り、県境を越えた計19病院に搬入を断られた末に死亡する悲劇が起きたが、九州で最も産婦人科施設が充実している福岡市でも安心できない実態が浮き彫りになった。
■他県からの要請も増加
福岡市内の産婦人科で、母体の救急措置と併せて、低体重や重い病気の赤ちゃんを24時間態勢で診ることのできるNICUを備えた病院は九州大、福岡大、九州医療センターの3カ所(計24床)しかない。
ところが、3病院は昨年1-11月、地域の産婦人科医院などから計423件の搬入要請を受けながら4割にあたる160件を断っていた。
拒否した内訳は、九大145件中41件▽福大189件中76件▽九州医療センター89件中43件。
3病院は、拒否した理由として(1)NICUの満床(2)産科病棟の満床(3)スタッフの不足-などを挙げている。
断られた患者は3病院の別の病院や、隣接した春日市にある福岡徳洲会病院などに搬送されたとみられる。遠く北九州市の病院に送られる例もあったが、患者が死亡に至るケースはなかったという。
産科救急搬送の中心的な役割を担う総合周産期母子医療センターに福岡県から指定されている福大病院によると、福岡都市圏では、NICUの病床数は過去10年でほぼ倍増した。しかし(1)不妊治療の普及などで2500グラム未満の低出生体重児が増えた(2)比較的軽症の新生児を受け入れることのできる産婦人科病院が減った-ことに加え、慢性的に病床が不足している熊本、佐賀などの隣接県や、福岡県内の他地区からの搬送が目立つようになり、NICUが慢性的に足りない状態になっているという。
福大病院の小濱大嗣・産科病棟医長は「九州で最も恵まれているはずの福岡ですら母体搬送システムが崩壊しつつある。早急に対策をとらないと奈良のような悲劇がいつ起きてもおかしくない」と指摘している。
■母子、3施設分散入院も
九州の中では医療施設が整った福岡市でも緊急時の産婦人科病院の受け入れ態勢が心もとない現状に、患者や医師は危機感を募らせている。
20代の女性は2006年11月、入院前に突然破水し双子を出産した。救急隊員は、福岡市内の3病院に受け入れを要請したが断られ、女性は分娩(ぶんべん)から約1時間後、ようやく九大病院にたどり着いた。
しかし、九大の新生児集中治療室(NICU)が満床だったため、2人の赤ちゃんは別々の病院に運ばれ、母子3人が3病院に分かれて入院する異例の事態になった。
30代の女性も11月、妊娠7カ月で破水し、かかりつけの産婦人科医院に駆け込んだ。NICUを備えた福岡市内の複数の病院に連絡したが、次々と断られ、福大病院に入院するまで1時間かかった。
九州各地の産科救急患者が医療態勢が充実した福岡市を目指し、NICUなどが満床になり、福岡市の患者は北九州市など遠くの医療圏に行かざるを得ない-。医療資源が充実した大都市ゆえの皮肉な事態を関係者は「病院間だけでなく、医療圏を越えたドミノ現象が起きている」と危ぶむ。
主要施設側からは「リスクの高い患者を避けたいとの意向が開業医に強まり、少しでも危険のある妊婦は大病院に送る例が散見される」との指摘も。「母体と赤ちゃんにとって望ましいことだろうが、受け入れ側はパンクする」と、福大病院総合周産期母子医療センターの雪竹浩病棟医長は言う。
福岡県医師会の横倉義武会長は「お産に携わる医師を増やさなければ抜本解決にはつながらない」と話している。
(西日本新聞、2007年1月1日)
****** 朝日新聞、三重、2006年12月25日
産婦人科医不足問題
◇◆確保綱渡り 研修見直しを◆◇
全国的に産婦人科医師が不足するなか、人口2万2千人足らずの尾鷲市が、この問題に直面した。三重大からの派遣医師が市立尾鷲総合病院から引き上げた後、市が昨年9月に採用した男性開業医(55)の年間報酬が5520万円と高額だったことが話題になった。
男性医師は24時間院内で寝泊まりし、新生児を150人以上とり上げた。その後、今年9月に伊藤允久(まさひさ)市長との交渉で、男性医師は「精神的に疲れ、これ以上できない」と契約解除を告げた。
勤務した1年間の思いや報酬、産婦人科医不足の問題について、私は直接、本人から聞きたかった。しかし、病院事務局を通じて何度も申し込んだ取材は、拒否された。
結局、医師が辞める理由は、市長の言葉から間接的にしか知り得なかった。理由は、昼夜を問わない勤務から年2日間しか休みが取れなかったにもかかわらず、減額の報酬が示されたことや、高額報酬を問題視した議会でのやりとりに不信を持ったことだった。
市民の声を聞くと、妊婦や子どもがいる主婦から、この医師にいてほしいと願う声が多かった。3人の子を持つ妊婦からは「これまでの派遣されてきた先生と比べ、経験が豊富で安心できる」という声も聞いた。
一度も医師に会えないまま迎えた退職日。病院事務局に聞くと、「退職の儀式はなく、本人からもあいさつもなく、病院を後にした」と答えた。地域から熱望されて来た医師の去り際としては寂し過ぎる。
今、後任の野村浩史医師(50)がほかの医師らと同じ待遇で勤務している。来年4月には1人増え、医師2人体制になる。伊藤市長は「後任が見つかったのは奇跡。運がよかった」と喜ぶ。
しかし、喜んでばかりもいられない。地域での医師不足を引き起こした要因に、04年度に導入された新卒医師が2年間経験を積むため自由に研修先を選べるようになった「新たな臨床研修制度」があげられる。
多くが出身の大学病院ではなく、設備などがいい一般病院に流れたため、大学病院が人手不足に陥り、研修後も新卒医師は戻らなくなった。この制度が続く限り、再び医師がいなくなる可能性は常にある。
地域での対応には限界がある。国には、この制度の抜本的な見直しが早急に求められている。(百合草健二)
◇◆「産声を再び」地元の願い◆◇
使われなくなった分娩(ぶんべん)室。扉には鍵がかけられていた。暗い室内に入ると、分娩台と新生児を置く台が隅に片づけられ、部屋全体ががらんとしていた。新しい命が芽生え、喜びがあふれるはずの場所がこんな空虚な空間になるなんて……。せつなさが募り、いたたまれなくなった。
志摩市の県立志摩病院で11月から、常勤の産婦人科医がいなくなった。週2回の婦人科外来だけは残ったが、出産はできなくなった。志摩市や南伊勢町に住む妊婦が出産するなら、前もって入院をしない場合は車で30分以上かけて山道を抜け、伊勢市内の病院に向かうしかない状態だ。
病院に助産師は6人いるが、経験者は少ない。器具を消毒したり、お湯を沸かしたり、常に準備を整えておかないと対応できない。「急に産気づいた妊婦が駆け込んできても、今は断るしかない」と、田川新生(しんせい)院長はあきらめ顔だ。他の病院への転院を希望する助産師もいるという。
同病院の産婦人科をめぐり、派遣元の三重大が今年、医師の引き上げ計画を具体化させた。病院側は抵抗して何度も話し合ったが、結局産科はなくなった。
リスクが高く難しい出産でトラブルが起きた際の訴訟に備えて、最終的に医師の負担をなくすという意味では三重大の論理も確かによくわかる。全国的に産婦人科の勤務医が不足している状況からすると、やむを得ないと思う。
だが、地域を取材すると、住民の志摩病院への期待感が痛いほど伝わってきた。里帰り出産を希望する人が病院に直接不安を訴えることもあったという。「地元住民の多くは、産科がなくなって初めて、ことの重大さに気付いたのでは」と田川院長。
現時点では、県も志摩市も改善策を打ち出せないのが実情だ。だが、病院は独自の産婦人科医探しを続けるという。病院には来年8月、新しい外来棟ができあがる。そこには産婦人科の部屋も機材も設置される予定だ。
田川院長はこうも話した。「いつかはこの地域でお産を再開させたい。とかく暗くなりがちな病院を明るくしてくれる産声が聞こえなくなることが、こんなにさびしいものだとは」。私には1歳11カ月の娘がいる。ひとごととは思えない取材だった。(岩堀滋)
◎産婦人科医の現状 厚生労働省の04年の調査では、全国の医師総数27万人に対して産婦人科医は1万100人。10年間で医師全体が約5万人増えた中、産婦人科医は約千人減少。一方、一人当たりに対する医療ミスによる訴訟の確率は産婦人科が最も高い(04年司法統計)。県内に産婦人科医は144人おり、うち三重大関連は55人(06年9月現在)。6年前に比べ20人減った。志摩病院を含む県内4病院が、同大の医師引き上げで産科休診中。
(朝日新聞、三重、2006年12月25日)
****** 岩手日報、2006年12月20日
産婦人科など休診へ 盛岡市立病院
盛岡市は19日、市議会市立病院対策特別委員会で盛岡市立病院(本田恵院長、266床)の産婦人科と小児科を来年4月から休診する方針を明らかにした。本年度で退職する両科の医師の補充が見込めないのが理由。休診を惜しむ市民がいる一方で医療の重点、集約化を迫る国の方針や、県内では同市が比較的、開業医の数に恵まれていることが医師補充を難しくしている。
休診について本田院長は「両診療科の常勤医師が2人とも一身上の都合で辞職する」と説明。代わりの医師を岩手医大に要請したが協力を得られる見通しがないという。「長い間利用していただいた患者さんには申し訳ないが、きちんと広報し迷惑が掛からないようにしたい」と話した。
同病院は現在、常勤医師21人、臨時18人で18の診療科を開設。産婦人科と小児科の常勤医は各1人ずつで、産婦人科には助産師の資格を持つ看護師10人が勤務している。
両科の昨年度の利用状況は、小児科の外来が延べ8864人、入院は同1922人。産婦人科の外来は4252人、入院は同2325人、お産数は約120件だった。
同産婦人科の母乳相談を利用する同市向中野のフリーライター今野和美さん(37)は「娘が母乳を卒業するまでお世話になろうと思っていたのでショックだ。どの病院で出産した人も利用でき、励まされる人は多い。今後、どんな形で引き継がれるのか」と不安げな表情を見せる。
同病院は来年度、病院事業を一般行政から独立させる「地方公営企業法の全部適用」に移行する。病院長を兼ねた新しい管理者の下で新たな経営改善計画をスタートする。
安田雄次郎事務局長は「医師補充のめどが立たず、改善計画をまとめる時期も近づき、休診を決断した。重点化を担う中核病院となる見通しもない。助産師には引き続き看護師として勤務するよう願っている」と話す。
盛岡市内には産婦人科、産科が計16施設、小児科の診療が可能な施設は42施設、うち専門は25施設となっている。
(岩手日報、2006年12月20日)