ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

医師不足打開へ本腰 信大病院が独自の取り組み

2007年02月05日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

産科、小児科に対しては、社会的ニーズもあり、多くの人材が必要とされているのに、現在この分野の医師数は圧倒的に不足していますし、これから新規に参入しようとする医学生や研修医の数も少ないのが現実です。

今後この分野への新規参入者を増やすには、まず最初の第1歩として、できるだけ多くの医学生や研修医がこの分野に興味を持ってくれることが肝要で、そのために各大学でいろいろと努力していることと思いますが、信州大学で、新しい独自の取り組みが始まったようです。

****** 中日新聞、2007年2月5日

医師不足打開へ本腰 信大病院が独自の取り組み

 深刻化する医師不足を打開するため、信州大病院(松本市)は、医学生と医師を対象とした独自の取り組みをスタートさせた。同病院に開設した「地域医療人育成センター」が核となり、診療科偏重が問題視されている産科、小児科への学生の呼び込み、離職率が高い女性医師への支援などを行うという。県内唯一の大学病院の挑戦を追った。

 本年度、文部科学省が公募した「地域医療等社会的ニーズに対応した質の高い医療人養成推進プログラム」で、医師の診療科偏重を解消するための取り組みが採択された。同省の予算を受け、昨年10月にセンターを開設。毎年約2000万-3000万円の補助金を3年間、受けられる。

 福嶋義光副センター長は「医師不足が深刻なのは、小児科、産科、麻酔科、救急部門の4科。県内だけでなく、全国的に深刻」と指摘。飯田下伊那地方など、相次いで産婦人科を廃止する動きが出てきていることなども踏まえ、昨年秋から、小児科と産科で、医学生を対象に継続的な実習を始めた。現在、医学部の1、2年生29人が実習に取り組んでいる。

 産科では「生命誕生の喜び体験実習」として、今年1月から妊婦に協力してもらい、学生が毎月の検診に付き添う。受胎の喜びから生命の誕生まで、胎児成長の過程を見守り、妊婦とともに不安や成長の喜びなどを分かち合いながら、8カ月を過ごす。

 小児科の「子育て体験・乳児発達観察実習」では、同院の医師が園医を務める松本赤十字乳児院(同市岡田松岡)で、乳幼児の発達を見る。毎月一度、同院を訪問し学生1人が2-3人の乳幼児を担当。抱っこや授乳、おむつ替えなどの世話をする。核家族化が進む中、実際に成長の過程を見ることで、子どもの健康を守る医師としての意義を見いだしてもらうのが狙いだ。

(以下略)

(中日新聞、2007年2月5日)


産科・小児科・麻酔科医 研究資金貸与で県内へ呼び込み

2007年02月04日 | 地域周産期医療

産婦人科診療も、大勢のスタッフを擁するチームでやっていれば、それほどの激務にもならないし、毎日、楽しくやっていけます。各自、自分の専門領域の学会にはしっかり参加し、周産期医学、婦人科腫瘍学、生殖医学、内視鏡手術などの自分の専門性に磨きをかけることも可能ですし、家族と一緒に過ごす時間も大切にし、プライベートの趣味の時間も確保して、楽しい充実した人生を送ることも可能だと思います。

勤務先の諸般の事情などによって、今は一時的に産婦人科の診療を中止してはいるけれど、条件さえ整えば、産婦人科の診療にまた従事してみたいという意欲のある先生方もいらっしゃると思います。そういう方々には、一つの選択肢として、ぜひとも本制度を活用して我々の仲間に加わることも検討していただきたいと思います。

しかしながら、他県でも医師不足で困りきっているのが現状ですから、他県から当県に医師が移動すれば、当県にとっては非常にありがたいことですが、逆に、医師が去った方の県にしてみれば非常に大きな痛手です。

また、いくら他県から当県に医師が入って来たとしても、それ以上に当県から他県に多くの医師が出て行ってしまうようでは、トータルの医師数ではマイナスとなってしまいます。

従って、現時点で、県内の病院に何とか踏みとどまって辞めずに頑張っている医師達が、今後、辞めないでも済むような対策(例えば、医師の中核病院への集約、勤務環境や待遇の改善、ワークシェアリング、院内保育所の整備、など)が非常に重要だと思います。

****** 医療タイムス、長野、2007年2月2日

産科・小児科・麻酔科医 研究資金貸与で県内へ呼び込み

~県 来年度、予算に医師確保で9300万円計上へ

 県は、2007年度当初予算のうち衛生部分の知事査定を 1月31日までに終え、1日結果を発表した。目玉となる「医師確保等総合対策事業費」では、今年度当初予算の約5.5倍にあたる9275万円を当初予算案に計上する。

 医師確保対策では、今年度スタートした医学生への就学資金貸与、家庭医養成塾、臨床研修病院合同説明会への産科に加え、 ▽産科・小児科医療提供体制再構築促進事業 ▽医師確保緊急対策事業 ▽県ドクターバンク事業 ▽女性医師就業環境整備事業--の4つの新規事業を行う。

 「産科・小児科医療提供体制再構築促進事業」(518万円)は、産科・小児科医療を、中核病院を中心に集約化したシステムで対応する方向で再構築するため、県民シンポジウムを開催して集約化に理解を求めるほか、現在議論が進んでいる「県産科・小児科医療対策検討会」の検討結果を受け、各地域で具体策の検討を進める。助産師外来などの支援も行う。

 「医師確保緊急対策事業」(3100万円)は、医師不足が顕著な産科、小児科、麻酔科の医師を確保するため、県外から県内医療機関に着任する医師に、インセンティブとして研究資金を貸与する。貸与額は県内での勤務期間 3年以上で300万円、 2年以上で200万円を予定している。また、県内の後期研修病院で研修を受ける後期研修医に対して、研修奨励金として 1人30万円を支給し、県内への若手医師定着を誘導する。

 「県ドクターバンク事業」(282万円)は、県外の医師や医学生に対し、県内医療機関の求人をあっせんする。

 「女性医師就業環境整備事業」(322万円)は、女性医師ネットワークの交流支援、出産や育児で現場を離れた女性医師の再研修に対する助成、ワークシェアリングなどの柔軟な勤務体制を導入するモデル医療機関への助成を盛り込んでいる。

 今年度から継続する「県医学生就学資金貸与事業」では、継続分15人に加え、来年度新たに 5人分に貸与する予定。予算額は4800万円となる。

(医療タイムス、長野、2007年2月2日)


緊急特集 揺れる産科医療/周産期医療の悪循環に警鐘 (Japan Medicine)

2007年02月03日 | 大野病院事件

コメント(私見):

今、周産期医療に従事する者が激減しつつあり、日本中で分娩施設が急激に減っています。医師が集中している東京や大阪などの国の中枢都市でも、分娩施設がどんどん減っています。

本来、人間の分娩は非常に危険なものであり、ほんの数百年前の江戸時代では、産科の最高権威が担当した将軍のお世継ぎの分娩であっても、その多くが母体死亡、死産となっていました。近年の産科学の進歩により、分娩が格段に安全になってきたとは言え、現代においても、人間の分娩が非常に危険なものであることには全く変わりがありません。

分娩では一定確率での不良な結果は絶対に避けられず、分娩での不良な結果のたびごとに、殺人者を厳罰に処すのと全く同じ手法で、助産師や産科医を厳罰に処していたら、すぐにこの国から助産師や産科医は消滅してしまうでしょう。

大野病院事件の教訓は、『今後、日本では、マンパワーや設備の不十分な施設では、産科は絶対にやってはいけない!』ということだと思います。これは、今、全国の産科医が肝に銘じていることです。今後の地域の産科医療が生き残っていくためには、産科施設の重点化・集約化を進めていくことが必要と感じています。

産科施設の重点化・集約化に失敗した地域では、その地域から産科施設が消滅してしまうことは避けられません。いつまでも古い慣習にしがみついていたのではただ滅亡あるのみだと思います。時代の要請に従って、地域の周産期医療システムを根本から変革してゆく必要があると私は考えています。

*** Japan Medicine、じほう、2007年1月29日

緊急特集 揺れる産科医療/
周産期医療の悪循環に警鐘

県立大野病院産科医の公判始まる

 福島県立大野病院(福島県大熊町)で、帝王切開の手術中に女性(当時29歳)が死亡した問題をめぐり、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告の公判が26日、福島地裁で始まった。医療行為の過失を問われて医師が逮捕・起訴されたことで、医療関係者も公判の行方をかたずをのんで見守っている。重要なのは「なぜ起きてしまったのか」という背景。関係者すらも「周産期医療の現場がこんなにひどい状況になっているとは知らなかった」と漏らす。公判は、今後繰り返される「産科医療の悪循環」に警鐘を鳴らしている。

現場の実情を知る者ほど悔しい

 「経過をかたずをのんで見守っている。彼も数少ない産科医の1人。身の潔白を証明して早く現場に復帰してほしい」-日本産婦人科医会の関係者は初公判のあった26日、本紙取材に対し、裁判に対する思いをこう語った。

 現場の実情を知る者ほど、悔しさをにじませる。

 産科では赤ちゃんが正常に生まれることが「当然」と期待されるだけに、事故が起きると訴訟に発展しやすい。さらに昨今の医師不足が加わったことで、労働環境そのものが過酷になり、労働面、医療事故のリスクといった点から分娩の取り扱いを中止する産科医療機関が相次いでいる。

 新たに発足した新医師研修制度で初期研修を終えた医師が2006年4月、2年ぶりに大学病院などの産婦人科に勤務することになったが、全国の大学付属病院の産婦人科に入局した医師はおよそ170人で、新研修制度が導入される2年前と比較しておよそ半減したとの報告もある。

「医療訴訟」のイメージが産科医確保の障壁に 無過失保障制度など早期対応必要

 日本産婦人科医会が研修医を対象にまとめた産婦人科をめぐる意識調査(05年12月-06年3月)によると、調査対象者約1200人中、産婦人科の専攻を希望する研修医は1割程度にとどまる実態が浮かび上がった。

 残り9割の研修医に専攻を希望しなかった理由をたずねたところ(複数回答)、「他にやりたい診療科がある」との回答が全体の9割を占めたものの、「医療訴訟が多い」が24%と2番目の理由として位置付けられており、トラブルに対するマイナスイメージの影響がこうした部分にも現れ始めていた。

 こうした見方が医師不足の一因となっている状況を、同医会も深刻に受け止めており、医療対策委員会では、「無過失保障制度などの対応が早急に必要」との認識を示している。なお、同調査で産婦人科専攻を「希望する」と答えた132人中、大学の医局入局を希望した人は53%とおよそ半数で、そのほかは大学以外の研修病院での後期研修を希望していた。

 同医会は、大学病院の研修医からの回答が少なかったためとも考えられるが、初期研修を終えて産婦人科を専攻した多くの医師が、後期研修と称して全国各地の病院へ散らばっている様子がうかがえると分析。厚労省は医師不足対策として産科の集約化を今年度中までに検討するよう都道府県に通知を出しているが、「この状況は産婦人科医師への集約化を考える上で、今後大きな問題となりそうだ」との見方を示している。

緊急特集 揺れる産科医療/
業務上過失致死と医師法違反をめぐる裁判の初公判弁護・検察の主張が初公判で対立

「できる限りのことをやった」加藤医師

 帝王切開手術中の死亡事故で業務上過失致死、医師法違反に問われた福島県立大野病院の産婦人科・加藤克彦医師の初公判が26日、福島地裁で開かれ、加藤被告は、「切迫した状況で、冷静に、できる限りのことを精いっぱいやった」と述べ、罪状を否認した。それに対し検察側は冒頭陳述で、本来選択すべきだった子宮摘出に移行せず、胎盤剥離を継続したことが失血死を招いたとするなど、両者の主張が真っ向から対立した。

 大野病院事件をめぐっては、公判前に論点を整理する公判前整理手続きにより、胎盤剥離を認識した時点で速やかに子宮摘出手術などに移行すべきだったかという点が、最大の争点になっている。

 そのほか、胎盤剥離に伴う大量出血の予見可能性、手術用ハサミ(クーパー)使用の妥当性、医師法21条による異状死の届け出義務違反に該当するかどうか?などが争われることになる。

 初公判で加藤被告は手術の経過を説明し、「胎盤剥離を継続したのは適切な処置だった」との認識を示した。

 死亡した女性には哀悼の意を示して「忸怩(じくじ)たるものがある」とした上で、「切迫した状況で、冷静に、できる限りのことを精いっぱいやった」と話した。弁護側も、「行為の継続はまさしく適切」との見解を提示した。一方で検察側は、「剥離を直ちに中止し、子宮摘出に切り替える必要があることは明らか」と主張した。

弁護側は異状死の定義が不明確と主張

 胎盤の癒着部分をクーパーで剥離したことの妥当性では、「(帝王切開のため)十分な視野を確保できており、危険性はなかった」とした加藤被告に対し、「器具を使って剥離するのは極めて危険」(検察側)とするなど、ここでも両者の主張は対立。そのほか、医師法第21条に基づき、異状死として警察に届け出るべきだったかという点をめぐり弁護側は、異状死の定義が厚生労働省や警察庁でも不明確な現状を説明。侵襲を伴う医療行為は常にリスクを伴うとして、「癒着胎盤という疾患に起因する死亡で、異状死には当たらない」と主張した。

緊急特集 揺れる産科医療/
<FOCUS 公判の争点>弁護側は医師の裁量権を主張医師法第21条は基準が不明確

 胎盤剥離を継続するか、あるいは中止するかは臨床現場の医師が、現場の状況に即して判断し、最良と信ずる処置を行うしかないのであって、事後的に生じた結果から施術の是非を判断することはできない」-。26日の初公判で弁護側は検察側の冒頭陳述に、真っ向から反論した。

 今回の争点は公判前整理手続きにより、<1>子宮と胎盤の癒着の部位と程度<2>手術中の出血の部位と程度<3>女性の死亡と手術との因果関係<4>胎盤剥離に手術用ハサミ(クーパー)を使った方法の妥当性<5>異状死の届け出をめぐる医師法第21条<6>捜査段階の供述の任意性-などに絞られている。

 初公判で弁護側はこれら争点を以下(要旨・本紙編集)のように説明した。

胎盤の剥離を継続したことの当否

 胎盤の剥離継続したのは、子宮収縮を促すことで、胎盤剥離中に生じた出血を止めることと、止血措置を行うためである。この処置は、<1>癒着の程度が軽かったこと<2>クーパーの使用は子宮と胎盤の構造からして、母体からの大量出血を招く行為でないこと<3>止血のためには胎盤の剥離が不可欠であったこと<4>医学文献等においてもクーパー等による剥離の継続は認められている-ことを挙げ、病理鑑定などの後に判明した事実やその他事情を考慮しても、極めて適切で妥当な処理であったと強調している。

医師法第21条

 第164回国会参院厚生労働委員会においても、医師法第21条の解釈指針が問題にされたとき、当時の警察庁幹部も厚生労働大臣も、異状死の範囲を示すのは難しいと答弁している。

 第21条は、通常の判断能力を有する一般の医師に対する関係で、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準たり得ていない。その基準を明確化するはずの各種ガイドラインも混乱を極めており、逆に基準を不明確にしている。したがって第21条は明確性の原則に反しており、憲法第31条に違反し、違憲無効な法律である。

【Japan Medicine、株式会社じほう、2007年1月29日】


福島県立大野病院事件、冒頭陳述の要旨 (OhmyNews)

2007年02月01日 | 大野病院事件

コメント(私見)

検察側、弁護側、双方の医学的な見解の相違点は、以下の通りと考えられます。

検察側の見解:全前置胎盤で、胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて付着し、前回帝王切開の創痕にもかかっていた。従って本症例は手術前に癒着胎盤を強く疑うべき状況であった。

弁護側の見解:全前置胎盤ではあるが、胎盤は主に子宮の後壁に付着し、そもそも前回帝王切開の創痕にはかかっていなかった。摘出子宮の病理検査でも、胎盤の癒着部位が子宮後壁であることが確認されている。従って、本症例が癒着胎盤である確率は通常の前置胎盤と同じと考えられ、手術前に癒着胎盤を強く疑う状況ではなかった。

検察側の見解:大出血は予見可能であった。

弁護側の見解:大出血の予見は困難であった。

検察側の見解:癒着胎盤と判明すれば、その時点で、ただちに子宮を摘出すべきである。クーパー(手術用ハサミ)の使用は禁忌である。

弁護側の見解:癒着胎盤であっても、状況によっては、剥離により子宮収縮を促し止血できる場合もある。今回のようなケースで、クーパーの使用がむしろ有用の場合もありうる。

検察側の見解:癒着胎盤の程度は高度で、癒着剥離は禁忌の状態であった。

弁護側の見解:癒着胎盤の程度は軽度で、癒着剥離が可能な状態であった。

検察側の見解:死因は出血性ショックであった。

弁護側の見解:子宮摘出後しばらくは血圧安定していたが、突然、心室細動となり、麻酔科医による蘇生にも反応しなかった。死因に不明な点もある。

           ◇   ◇

検察側の見解は、婦人科腫瘍学の専門家および一般病理医の意見に依存している。すなわち、検察側の見解は、周産期医学の専門家および胎盤病理・子宮病理の専門家の意見に基づいてない。

弁護側の見解は、周産期医学の専門家および胎盤病理・子宮病理の専門家の意見に基づいている。

参考:

福島県立大野病院事件・初公判の報道

県立大野病院事件、初公判の翌日の報道

第一回公判について(07/1/30)

****** OhmyNews、2007年1月28日

福島県立大野病院事件、冒頭陳述の要旨(検察側)

 26日に福島地裁で初公判が開かれた福島県立大野病院事件で、検察側が述べた冒頭陳述の要旨は以下の通り。

◇本件の概要

 2004年12月17日、福島県立大野病院で産婦人科専門医として勤務していた被告人が、帝王切開手術を行い、女児分娩後子宮内壁に癒着していた胎盤を、手術用はさみであるクーパーを使うなどして無理に剥離(はくり)し、その結果として大量出血を引き起こして失血死させたという業務上過失致死と、異常死について警察に通報しなかったという医師法違反の事案である。

◇前置胎盤および癒着胎盤について(疾患の定義、種類、原因については略)

 産婦人科医の鑑定書や、被告人の自宅から押収された専門書に示されているように、用手的剥離が困難になった時点で、癒着胎盤の判断を行う。この場合、胎盤を無理に剥離すると、癒着の程度や部位にかかわらず短時間のうちにコントロール不能な大出血にいたる可能性があるため、ただちに操作を中止し、胎盤が残った状態のままで、出血源である子宮を摘出するなどする必要がある。

 この件の被害者の胎盤は、子宮口全体を覆う全前置胎盤であり、子宮前壁から後壁にまたがって付着していた。病理学鑑定では、被害者の胎盤は絨毛(じゅうもう)が子宮筋層内まで侵入する嵌入(かんにゅう)胎盤であり、癒着部位も子宮前壁から後壁まで及んでいたことが判明した。

◇経緯

 大野病院は医師12人、看護師89人、ベッド数146床の規模で、産婦人科の診療には、被告人と外科の常勤医3人であたっていた。同病院は、高度の医療を提供できる第三次救急医療機関の指定を受けておらず、特定機能病院の基準も満たしていなかった。また、待機用の貯血はなく、輸血が必要な場合は、いわき血液センターにファクスで発注し、約1時間かけて自動車で搬送を受けることになっていた。

 被害者の女性は、前置胎盤の管理目的のため2004年11月22日、大野病院に入院した。被告人は、超音波検査の結果から、被害者の胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて位置し、内子宮口全体を覆っており、一部は前回の帝王切開創(きずあと)にかかっていると考えていた。

 このような場合、突然の大量出血が起きる危険があるが、大野病院は大量出血した場合の輸血の確保が物理的に困難である。そのため従来、前置胎盤患者は、より設備の整った磐城共立病院に転院させるなどしてきたが、被告人は被害者の帝王切開手術を大野病院において行う旨の言動を、大野病院産婦人科職員に対しするようになった。

 同院の助産師は、大野病院での出産は不適切であると助言したが、被告人は「なんでそんなこと言うの」などと言い、この助言を聞き入れようとはしなかった。助産師が、ほかの産婦人科医の応援を要請した方がよいのではないかと申し入れたところ、被告人は問題が生じた場合には双葉厚生病院の医師に来てもらうと返答した。

 このほか、被告人は手術前に、福島県立医大産婦人科の先輩医師から、同大病院において、前置胎盤・帝王切開既往の妊婦の帝王切開時に大量出血を起こして、その処置に困難を来したことを教えられ、大学から応援を派遣してもらった方がよいのではないかと言われていたが、その場でこれを断った。

 被告人は産婦人科専門医として、帝王切開手術の既往がある前置胎盤患者で、胎盤が前回の帝王切開創にかかっている場合の癒着胎盤の確率は24パーセントであることを学んでいた。

 被告人はまた、12月6日までの各種検査から、被害者が全前置胎盤であること、前壁側に付着した胎盤が前回帝王切開創におよび、癒着胎盤を発症している可能性があることなどを診断していたが、被害者の帝王切開術は大野病院で行うことに決めた。

 その上で、癒着胎盤を前提としない前置胎盤症例で最小限準備すべき量である濃厚赤血球1000ミリリットルを用意すること、場合によっては単純子宮全摘術を行うことを決め、カルテに記載した。

 12月9日までには麻酔科医に、「手術中の出血が多くなる可能性があります。前回の帝王切開の創部に胎盤がかかっているので、胎盤が深く食い込んでいるようなら、子宮を全摘します」などと説明し、これを聞いた麻酔科医は、通常は1本のみ確保する点滴ラインを2本確保することに決めた。

 被害者と被害者の夫に対しては、12月14日に説明を行った。その際、「前置胎盤で、前回も帝王切開の場合は、前回切ったときの傷に胎盤が癒着しやすいんです」と被害者が癒着胎盤を発症している危険性があることを告げ、「出血があるときには、出血の源になる子宮を取ることになります」などといって、子宮摘出の可能性を説明し、同意を得た。

 この時点までに双葉厚生病院へは連絡していなかったが、被害者と夫には「何かあったら双葉厚生病院の先生を呼びます。もう先生には話してありますから」などと話した。

 被告人は手術当日の17日、双葉厚生病院の勤務医に電話をかけ、これから手術をする被害者について、前置胎盤であり、前回の帝王切開のきずあとに胎盤の一部がかかっている可能性があること、何か異常があれば午後3時ごろに連絡がいくかもしれないことを告げ、大量出血などが生じた場合の応援を依頼した。

 これを聞いた産婦人科医は、被告人が癒着胎盤の可能性を考慮して応援依頼をしてきたものと理解し、急変時の応援を了承した。

◇手術状況

 手術は2004年12月17日午後2時26分に始まった。腹部を切開したところ、子宮表面には血管の怒張(血流が悪くなり、はれ上がること)が認められた。被告人は超音波検査で胎盤の位置を確認し、子宮をU字型に切開した。

 午後2時37分、順調に女児が娩出された。女児は、直後は泣き方が通常より弱々しかったものの、じきに元気な産声をあげて被害者と対面した。被害者は女児の手を優しくつかんで「ちっちゃい手だね」などと言っており、この時点では被害者の意識はしっかりして、血圧なども正常の範囲であった。

 被告人は子宮切開創の止血をし、子宮収縮剤を注射した後、臍帯(さいたい)を手で引っ張って胎盤の剥離を試みたが、胎盤は剥離しなかった。胎盤に子宮が引っ張られて持ち上がってしまう状態であった。

 このため、被告人は2時38分ごろに用手的剥離を開始。左手で胎盤をひっぱりながら、右手手指を胎盤と子宮のあいだに差し入れ、指先で胎盤を押すように剥離を試みた。

 開始時は容易に右手の3本の指を差し入れることができ、容易に剥離することができたが、徐々に指を差し入れることができなくなり、力を込めなくては胎盤をはがすことができなくなった。3本指を入れることもできなくなったため、指2本にして剥離を継続。しかしそれも困難になり、やがて1本の指も入らなくなった。

 被告人はこの時点までに被害者の胎盤が子宮内壁に癒着していることを認識し、剥離を中止して子宮摘出の措置をとるべきであることを知っていた。子宮摘出の同意は得られており、摘出を回避しなければならない事情は全く存在せず、胎盤の剥離を継続すべき必要性・緊急性もなかった。

 被告人は、輸血の追加発注などもしないまま、「胎盤を手で剥離することができない場合に剥離を継続しても、大量出血しない場合もあり得るだろう」「指より細いクーパーであれば胎盤と子宮内壁のあいだに差し込むことができるだろう」などと安易に考え、2時40分ごろにはクーパーでの剥離を開始した。 この時点での総出血量は、羊水込みで約2000ミリリットルだった。

 クーパーのはさみを閉じた状態にして持った被告人は、先端部を胎盤と子宮内壁のあいだに差し入れ、閉じた状態の刃の部分で癒着箇所をそぐように剥離を行ったが、クーパーによる胎盤剥離を開始したころから、子宮の広い範囲で次々とわき出るような出血が始まった。看護師らは出血量を計量し、医師らに総出血量を口頭で報告していた。2時45分ごろには被害者の血圧は低下し始めた。

 この間、被告人は、剥離困難な部分をクーパーのはさみを開閉して切った上、そぐようにして剥離して、2時50分頃胎盤を娩出した。

 娩出された胎盤は表面が崩れた状態であり、一部分は欠損していた。その後の病理検査の結果、被害者の子宮内壁の胎盤剥離部分には肉眼でも分かる凹凸がみられる上、子宮内に胎盤の一部が残存して、断片にはちぎれたようなあとがあった。

 2時52分の出血量は2555ミリリットルだったが、その約13分後の午後3時5分過ぎごろまでの出血量は7675ミリリットルに増加していた。血圧は、2時40分時点で上100下50強であったが、2時55分には上50弱、下30弱に急落した。脈拍数はいったん下がったものの、午後3時ごろから急上昇して、出血性ショック状態に陥った。

 麻酔科医は、2時55分ごろから輸血を開始したが、使い尽くしたため3時10分ごろ、被告人からの指示を待たずに追加輸血を発注した。被告人はその後も完全に止血することができず、ようやく子宮摘出を考えたが、追加輸血がなければ摘出ができないため、血液製剤の到着を待った。午後4時10分ごろに総出血量は約1万2085ミリリットルに達した。

 この間、被告人は被害者家族への説明を行わなかった上、心配して手術室にかけつけた院長から応援要請をするかと尋ねられたが、これも断った。

 追加輸血が到着し、午後4時30分頃から単純子宮摘出術を行って子宮を摘出した。しかし午後6時5分ごろ、被害者は心室頻拍となって脈も触れない状態に陥り、麻酔科医らが蘇生措置を行ったものの蘇生しなかった。被害者は午後7時1分ごろ、クーパーを用いた胎盤剥離による剥離部分からの出血により失血死した。

 蘇生措置の途中、被告人は被害者家族に状況を説明するためいったん手術室を出たが、その際顔を合わせた院長に「やっちゃった」、助産師に対しは「最悪」などと述べた。

 被害者の死亡後、被告人は死因が癒着胎盤の剥離面からの出血に起因する出血性ショック死であったと診断した。8時45分ごろから被害者の夫らに対する説明をし、癒着胎盤であったこと、癒着胎盤をはがす際に出血が増加したことなどを説明した。

 院長には10時30分ごろに院長室で報告し、「癒着胎盤であった。胎盤を剥離するとき、最初は手で剥離できていたが、下の方に行くに従ってはがれなくなり、クーパーを使って剥離したら出血した」と説明した。

 被告は、胎盤を子宮から剥離するときにクーパーを使用する症例を聞いたことがなく、「クーパーを使用したのは不適切だったのではないか」と感じていたものの、院長にはミスはなかったと報告し、院長は専門医である被告人の「ミスはなかった」との言葉を信用して医師法に基づく警察への届け出を不要と判断した。

 福島県警は、県により設置された医療事故調査委員会が、この件は癒着した胎盤を無理にはがしたことによる出血性ショックなどによる医療ミスであったとの調査結果を公表した2005年3月31日付新聞報道を端緒に、捜査を開始した。

◇その他情状

 被害者の夫は、被告人について、被告人のことは絶対許せない、厳重な処罰を望みますとの被害者感情を述べている。

OhmyNews、2007年1月28日)

****** OhmyNews、2007年1月28日

福島県立大野病院事件、冒頭陳述の要旨(弁護側)

 26日に福島地裁で初公判が開かれた福島県立大野病院事件で、弁護側が述べた冒頭陳述の要旨は以下の通り。

◇はじめに

 本件は、赤ちゃんは帝王切開により無事に生まれたものの、術前には予期できなかった子宮後壁に胎盤が癒着するという極めてまれな疾患が一因で、患者が死亡するという痛ましい結果が生じた事件である。

 被告人は、患者に帝王切開手術歴があり、全前置胎盤であったことから、前回創痕(そうこん)に胎盤が癒着しやすいことに特に留意し、術前に何度も超音波およびカラードプラを用いて子宮前壁に癒着がないことを確認した。開腹後も子宮に直接、超音波をあてて、癒着がないことを確認している。

 その後無事に児を娩出(べんしゅつ)し、胎盤の晩出をはじめたところ、子宮後壁に予期せぬ癒着があり、出血が続いたことから、止血を急ぐために胎盤剥離(はくり)を継続したものの、剥離後の多量出血が一因となって死の転帰を見た。

 これは通常の医療行為そのものであり、薬の種類や量を間違えたり、誤って臓器や血管を切ったり、医療器具を体内に残したという明白な医療過誤事件とはまったく異質である。

 検察官は、胎盤剥離が困難となった時点で、ただちに剥離を中止し、子宮を摘出すべきであったと主張するが、継続するか、中止するかは現場の医師が、現場の状況に即して判断し、最良と信じる処置を行うしかないのであって、生じた結果から施術の是非を判断することはできない。

 そうでなければ、単なる結果責任の追及にすぎないことになる。被告人の逮捕や告訴が医療現場に混乱をもたらし、産科医の減少に拍車をかけ、医療関係者から強い非難を寄せられているのは、医師の通常の医療行為を検察官が問題にしているからに他ならない。

 検察官の請求証拠には問題が多い。胎盤癒着の部位、程度、癒着胎盤の予見可能性や剥離の是非などの専門的な行為の相当性が争点となるのに、産科ではなく、婦人科腫瘍の専門家の意見や供述に依拠している。

 検察官はまた、癒着胎盤に関する教科書に、検察官の主張に沿う記述があるとしているが、その記述が本件に適応するかについては、執筆者や編集者のだれからも意見を聞いていない。

 検察官は、被告人の過失を認めるかのような記載がある医療事故調査委員会の報告書に依拠していた可能性があるが、同報告書は、再発防止と損害賠償に配慮して作成されたものであり、被告人の刑事責任につながる過失を認めたわけではない。

 一方、弁護人の証拠は、胎盤病理の専門家の鑑定書により、癒着の部位、程度を明らかにするものである。癒着胎盤の予見可能性や、医療行為の相当性については、周産期医療の鑑定意見により、被告人の医療行為が相当であり、過失がないことを明らかにする。教科書の記述については、執筆者や編集者の意見を収集し、教科書の記述が被告人の刑責を裏付けるものではないことを明らかにする。

 検察官が専門的な医療事件について、患者のために尽力してきた被告人をかくも安易に提訴し、医療現場を混乱させたことの不当性を明らかにしたい。

 また、異常死報告義務を定める医師法21条に違反しているとされることについては、同法が違憲無効な法律であるとともに、被告人に異常死の認識がないことから、同法の適用がない。

 証拠調べ請求に対する検察官の不適当な対応についてもひとこと述べたい。検察官は、このような専門的な医療事件で、きわめて困難な疾患を持つ患者に対する施術の当否が争点となっているにもかかわらず、弁護人の提出する証拠の取り調べを不同意としている。

 さらに検察官が作成した調書のなかに、被告人に有利な部分を削除して証拠請求するという前代未聞の措置を講じている。検察官の基本的職務に反する不公正な対応として強く非難されるべきである。

◇被告人の身上経歴

 被告人は1996年5月に医師免許を取得。2006年2月に起訴されるまでのあいだ、福島県立医科大学病院、公立岩瀬病院、二本松社会保険病院、県立大野病院などで約1200例の分娩を取り扱った。そのうち200例が帝王切開術だった。2001年には産婦人科専門医の認定を受けている。

◇事実経過

 県立大野病院は病床数150床の中規模病院。産婦人科の常勤医は1人で、被告人はいわゆる一人医長であった。被告人は、同病院で勤務していた1年10カ月のあいだに約350件の分娩を扱い、このうち約60例が帝王切開術であり、そのうち50例は臨時手術だった。2004年には今回と同じ全前置胎盤患者の帝王切開手術を行い、無事に終えている。

 患者は、2004年5月当時29歳で、第2子を妊娠していたが、不正出血したことで県立大野病院を受診した。同じ5月に再びの不正出血で一度入院。10月22日には後壁付着の全前置胎盤であると診断された。

 子宮摘出の可能性がある疾患であったことから、被告人は診断時にその話をした。このとき、患者に今後の妊娠予定などを聞いたところ、患者はもう1人は子供がほしいと答えたため、被告人は、患者夫妻は基本的に子宮温存を希望していると理解し、カルテにその旨記載した。帝王切開の手術日は12月17日に決まった。

 前回帝王切開創痕に胎盤がかかっていた場合、癒着胎盤が生ずる可能性が高くなる。このため、被告人は術前の管理を十全に行っていた。もっとも、胎盤が創痕にかかっていない場合には、癒着胎盤の可能性は通常の前置胎盤と同じ程度であることから、被告人は検査を慎重に行い、その把握に努めていた。

 11月22日に患者は入院した。11月29日、12月6日、13日の3回経腹超音波断層検査を、12月6日には超音波カラードプラ法検査を実施した。このころには子宮が大きく、筋層が薄くなっていたため、前回創痕を画像で確認することはできなかった。しかし、胎盤は子宮後壁、子宮口付近、子宮前壁の低い位置にあり、前回創痕があると推測される場所に付着している状態ではなかった。

 それらの検査結果から、胎盤が前回創痕にかかっている可能性はなく、癒着胎盤はないと判断した。MRI検査は、超音波検査で子宮前壁への癒着がないと判断したため行わず、準備輸血量は、前置胎盤の症例についての文献を参考に、濃厚赤血球5単位(1000ミリリットル)とした。

 手術については、癒着胎盤ではないと判断していたし、輸血用血液も1時間で到着することから、同病院で手術をすることにした。念のために、双葉厚生病院の加藤謙一医師に、術中何かあったら手伝ってもらうことにして、12月17日に電話で依頼し、どうしてもというときは呼んでくれという返答をもらった。

 12月14日に、麻酔科の医師と、患者の症状、胎盤娩出後、止血困難であれば子宮摘出術に移行する予定であることを打ち合わせた。患者夫妻への術前の説明は、12月14日午後7時から行った。病状、病中何かあったら応援医師の依頼予定であること、子宮摘出の可能性があることなどを説明し、手術同意書、輸血同意書に署名をもらった。

 このように、被告人の手術の準備は万全と評価できるものである。前回帝王切開創痕および子宮前壁には被告人の診断通り癒着胎盤はなかった。このことは後日の鑑定によっても裏付けられている。

 12月17日の手術は、医師3人、助産師2人、看護師4人の体制で行われた。のちに看護師3人が加入し、12人体制となった。午後2時26分に開腹。子宮表面の色は通常通りピンク色だった。超音波検査装置のプローベを子宮筋層に直接あて、胎盤実質の位置を確認し、胎盤のない子宮の右下方をU字型に切開した。

 検察官は、被告人は胎盤が前回創痕にかかっていたことを認識していたと主張するが、そもそも当該部分に胎盤はかかっていなかった。

 午後2時37分、胎児を娩出。子宮収縮剤を投与し、子宮のマッサージを始めたところ、胎盤が剥離するような傾向があり臍帯(さいたい)を引いてみたが胎盤は剥離しなかった。しかし、剥離しにくいことは帝王切開分娩ではよくあるため、子宮収縮不良により胎盤が剥離しないのだと考え、右手を子宮後壁上部に差し入れ、用手剥離を開始した。この時点の出血量は羊水込みで2000ミリリットル前後であった。

 しかし、半分程度剥離したと思われるころから、胎盤が子宮からはがれにくくなったのを感じた。このあいだは通常の出血量であったが、胎盤剥離面からにじみ出るような出血が継続していたため、胎盤剥離を終え、子宮収縮を促すことで出血を止めようと考え、早く胎盤を剥離するために、先端が丸い曲がりクーパーを用いた作業に切り替えた。

 子宮後壁下方を剥離すると、残りの子宮前壁部分はするりとはがれた。胎盤娩出が完了してから2~3分経過した午後2時52分ごろの出血量は2555ミリリットルだった。

 胎盤病理の専門家による病理鑑定の結果では、癒着の程度はもっとも深い部分でも子宮筋層の5分の1程度の深さで、この程度の癒着であれば剥離を行うことがより適切だった。また、子宮と胎盤の構造からして、クーパーの使用は母体からの大出血を招く行為ではない。

 逆に、胎盤を出さなければ子宮収縮が進まず、母体が危険になる。この場合のクーパー使用は、むしろ素早く胎盤を取り出し、その後の止血措置をやりやすくすることで有用といえる。

 午後2時50分、胎盤を娩出。子宮が収縮しにくいだらりとした状態であったため、収縮剤を再投与したが、出血は収まらなかった。午後4時30分、輸血用血液の到着を待って、子宮摘出手術を開始し、1時間後に子宮摘出を終えた。午後6時5分ごろには血圧が安定し、被告人は安心して手術終了の準備をしていたところ、突然、患者に心室細動が起こった。約1時間蘇生を継続したが、午後7時01分患者は永眠した。

◇医師法21条

 同法は、医師に異常死届け出義務を課しているが、文言上「異常」としているだけで、解釈の手がかりがない。各種ガイドラインの解釈もバラバラで、同法は明確性の原則に反しており、憲法31条違反で違憲無効な法律である。

 また、安易な合憲限定解釈も避けるべきである。医師にあらゆる患者の死亡を届けさせることになれば、医療行為に対する委縮効果になる。マニュアルに従えば通常は事故の起こりえない航空機や自動車の運転とは異なり、医療行為には「こうすれば必ず死なない」というマニュアルはない。常にリスクと隣り合わせであり、あえて治療を行った医師の届け出の範囲は無限に広がりうる。

 さらに、21条は医師に犯罪事実の自己申告を強制するもので、黙秘権を保障した憲法38条に反する。

 当該事件では、被告人は7時30分ごろ、患者は出血性ショックによって死亡したと判断している。さらに10時30分頃、麻酔科医とともに院長室で患者が亡くなったことを報告し、院長から過誤はなかったのかと聞かれ、過誤はなかったと答えると、院長は異常死の届け出はしないでいいという判断を述べている。

 仮に同法が合憲だとしても、被告人には過失がなく、患者の死亡も癒着胎盤という疾患に起因する死亡であるから異常死にあたらない。異常死との認識はないから同法違反は成立しない。厚生労働省の指針は、医療過誤でない場合、届け出は行わないとしており、被告人に届け出を期待することはできない。

 医療行為は、本質的に身体への侵襲(外科手術で人体を切開したり、薬の投与をしたりすることで身体に変化を与える行為)であり、一定の確率で予期せぬ結果を避けられないものである。

 そのような業務に従事する者の、しかも高度に専門的な判断に過失があるかないかを判断するときは、検察官、裁判所、弁護人も正しい基礎的な医学知識とさまざまな医療技術を学び、その上で被告人が行った行為を法的にどう評価すべきか吟味・検討しなければならない。

 本件で、そのような吟味・検討が十分なされたかは疑問であり、全国の医師会や学会、医会からは危惧があがっている。

 社会的背景を無視して、刑事裁判は成り立たない。問題にすべきは、患者の死の結果だけではなく、その死をどう見るのか、関与した医療従事者たちの行為と努力をどう見るかである。

 刑事司法が、医療事件を予見可能性だけで論ずるとすれば、医療従事者は医療行為を常に刑事訴追と一体に考えざるを得ない。それは、地域医療の現場から立ち去っている日本の医療の崩壊につながり、国民にとっての損失となる。

OhmyNews、2007年1月28日)